学校からの帰り道。
 ランドセルを背負って小道を歩いていると、今日も声をかけられる。




+++通学路の紫陽花+++



「やあ、おかえり」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ただいま」
「お兄ちゃん、おかえり!」
「ただいま」

 道の端に、真ん中に、今日も人が立っている。
 僕が通るたび、いつも声をかけてくれる。

「おかえり。今日は何もなかったかい?」
「ただいま。授業中に髪を引っ張ってくる奴がいたけど、特に何もないよ」
「それはいけないな。気をつけるんだよ」
「ありがとう」

 すれ違うおばさんたちが、こそこそと話す声が聞こえる。


――いやぁね、あの子、また壁に向かって話してるわ。

――毎日ああなんでしょ? 気持ち悪い子ね。


 おばさんたちはそう言って、僕に嫌な目線を向ける。

 どうやら、僕が毎日会って話しているこの人たちは、他の人たちには見えないらしい。
 家で、学校で、道で、公園で、僕にしか見えない人たちとたくさん出会う。
 中には髪の毛を引っ張ってきたり、転ばそうとしてきたり、驚かしてきたり、夜中に金縛りをかけてきたりする人もいるけれども、みんな大体は他の人間と変わりない。


 通学路でいつも真っ先に声をかけてくれるおじいちゃんは、いつも立っている目の前の家に住んでいた。
 道の真ん中に立っている、髪の長いお姉さんは、薬を飲みすぎてしまったらしい。
 小さな女の子は、車に轢かれたと言っていた。僕をお兄ちゃんと呼んで慕ってくれる。
 時々この道にやってくる、銃剣を背負った兵隊さんは、僕の身の回りのことをとても心配してくれる。

 みんな、とてもいい人たちだ。


 僕が仲良しなこの人たちを、幽霊、幽霊ってみんな怖がるけど。
 でも、元々はみんな、僕らと同じ人間なんだ。


 道端の紫陽花が、少しずつ花を開き始めていた。


+++


 学校からの帰り道。
 ランドセルを背負って小道を歩いていると、今日も声をかけられる。

 と思ったのに、いつものおじいさんがいない。
 お姉さんもいない。みんな、いない。
 どこかにはいるみたいだけど、みんな姿を隠しているみたいだ。


 助けて、と叫び声がした。
 慌ててそこへ向かうと、見たことのない生き物がいた。

 大きな顔があるまあるい体に、バケツのような頭が乗っている。太い腕に大きな手。足はない。
 その生き物が、僕が毎日会うあの女の子を追いかけていた。

 その生き物は、大きな手で女の子をつかむと、おなかの口を大きく開いて、女の子をぱくりと飲み込んだ。
 女の子を食べた生き物はおなかをさすると、またどこかへとふよふよ飛んでいった。

 僕は怖くて、びっくりして、その場からぜんぜん動けなかった。


 その日から、女の子は僕の前からいなくなった。


 道端の紫陽花は、紫色の花をつけていた。


+++


 学校からの帰り道。
 ランドセルを背負って小道を歩いていると、今日も声をかけられる。

「やあ、おかえり」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ただいま」

 いつものように返事を返す。
 女の子はいない。でも他の人たちはいつもと変わらない。

「やあおかえり。今日は何もなかったかい?」
「ただいま。大丈夫、何もないよ」
「そうか、ならよかった。ところで、いつもの女の子を見ないんだが、知らないかい?」

 兵隊さんは辺りを見回しながら聞いてきた。
 僕は先日のことを兵隊さんに話した。兵隊さんはうーんそうか、といつも女の子が立っていたところを見た。

「お迎えが来てしまったんだな」
「兵隊さん、あれのこと知ってるの? あれは何なの?」

 兵隊さんはにっこりと笑って、どこか座れるところで話そうか、と言ってきた。


 空は曇り空。もうすぐ梅雨に入りそうだ。
 近くの公園のベンチに、兵隊さんと並んで座った。きっと兵隊さんは座らなくても平気だろうけど、僕は立ちっぱなしは辛いから、僕のことを思ってくれたんだろう。兵隊さんは優しい人だ。

「君が見たのは、ヨノワールと言うポケモンだよ」
「ポケモンなの?」
「そう。ヨノワールは、私たちみたいなこの世から離れられない魂を運んでいるんだ」


 この世に対する思いが強すぎたり、理由はいろいろあるけれど、死んでもこの世から離れられない魂はたくさんいる。
 君はこれまでにたくさん、私のような人たちを見てきただろう。私たちは死んではいるけれども、元々君たちと同じ人間だ。この姿になっても、少し悪戯が出来る程度。
 だけど、この世にずっととどまり続けていると、この世の中の負の力を蓄え続けてしまうことがある。
 それが度を超えると、とんでもなく悪いことをする霊になってしまうこともあるんだよ。

 そうならないために、ヨノワールはこの世界に取り残された魂たちを、霊界に運んでいるんだ。


「死んでからこの世に長くいるからね。次に会ったら、私も運んでもらおうと思っているよ」

 そう言って、兵隊さんは僕の頭をなでた。

 だけど、僕の耳には、兵隊さんの言葉はほとんど入ってこなかった。
 ポケモン。あれはポケモン。そのことばかり考えていた。


 道端の紫陽花は、風に吹かれてざわざわとゆれていた。


+++


 学校からの帰り道。
 ランドセルを背負って小道を歩いていると、今日も声をかけられる。

 と思ったけど、みんなの姿が見えない。
 ああ、この前と同じだ。

 あいつがやってきたんだ。


 道を走って、あいつを見つけた。
 この前見たのと同じ、まんまるの体に大きな手。

 駆け寄ると、そいつは赤い一つ目をくるりと動かして僕を見た。

「見つけたぞ。みんなを返せ」

 僕が言うと、ヨノワールはびっくりしたような顔をした。とは言っても、顔から表情は読めないから、雰囲気で察しただけだけど。
 ベルトに手をまわして、僕は言った。


「お前にとってはいない方がいいのかもしれないけど、みんな、みんな、僕にとっては大切な人たちなんだ」

「だって、みんな優しいんだ。優しい人たちなんだ。生きてる人間より、ずっと優しいんだ」

「そりゃ、時々いたずらしてくる奴はいるけどさ、」


「僕を指さして笑ったり、」

「僕をみんなで無視したり、」

「僕の靴に画びょうを入れたり、」

「僕の教科書を水浸しにしたり、」

「僕の机にマジックで落書きしたり、」

「僕をロッカーに閉じ込めたり、」

「僕を蹴ったり、殴ったり、」


「そんなことしてくる人は、誰もいないもん」


 僕はベルトから外したボールを握りしめた。


「馬鹿にされないように頑張ってポケモンを育てても、変わらなかった」

「気持ち悪い、嘘つき、って。みんなそう言うんだ」

「幽霊よりな、幽霊なんかよりな、」



「生きてる人間の方が、よっぽど怖くて、汚いよ」



 放ったボールから、黒い鎌のような角を生やした、白いポケモンが現れた。
 慌てて逃げようとするヨノワールに向かって、僕は命じた。


「『かみつく』!!」


 何とも言えない声を残して、ヨノワールは消えた。

 ああ、勝った。僕は勝ったんだ。
 これでまた、今までと変わらない生活が待ってるんだ。


 道端の紫陽花は、赤い色に変わっていた。


+++


 学校からの帰り道。
 ランドセルを背負って小道を歩いていると、今日も声をかけられる。

「やあ、おかえり」
「ただいま」
「おかえりなさい」
「ただいま」

 道の端に、真ん中に、今日も人が立っている。
 僕が通るたび、いつも声をかけてくれる。

「おかえり。今日は何もなかったかい?」
「ただいま。うん、今日はとても平和だったよ」
「そうか。それは、よかったね」



 兵隊さんの銃剣の先が、きらりと光った。



 道端の色褪せた紫陽花に、ぽつりぽつりと雨粒が落ちはじめた。





++++++++++The end.




あとがき
「幽霊と仲良しな少年と浮遊霊回収に勤しむヨノワールの小話」という電波を突然受信。
ついでだから夏も近いしってことで、涼しくなる話を書こうと思った結果がこれだよ。
電波の割にヨノワールの出番が少ないけど気のせいだよ。

書き終わった途端に外で雷が鳴って、大雨が降り始めた。
窓から見える紫陽花は、まだ咲いていない。
(初出:2011/6/2 マサラのポケモン図書館)



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