ハンマー、ゴーグル、軍手、ルーペ。黒板に書かれているとおり、自分の引き出しから取り出してリュックサックに入れる。おっと、危ないからハンマーにはタオルを巻いておかなきゃな。 他の講義の教材は机の下に置かせてもらって、と……。 午後12時30分。気合いが入りすぎてちょっと早く来すぎたかな。 +++地底浪漫+++ 「お? 早いねぇ」 12時50分。午後の授業開始の10分前。先生が実験室にやってきた。 これから始まる授業は地学実験。学生ならだれでも取れる一般教養科目の1つだ。 実験と言っても、一般的にイメージする部屋にこもって薬品を混ぜ合わせたり顕微鏡をのぞきこんでいるようなものじゃない。屋外に出て、自分の足で化石とか鉱石とかを採集したり、簡単な測量をして自分の手で地図を作ったりする授業だ。 前回は授業のガイダンスで、今日から本格的に野外へ出ることになっている。僕はすごく興奮していた。 僕はこの大学の理工学部で地学を専攻している1年生。本当はこの授業をとらなくても、専門科目の増える2年生になったら好きなだけ出来る身分だ。だけど僕はどうしても早くフィールドワークがやりたかったから、他のみんなが物理実験やポケモン学を取っている中であえてこの授業を選んだ。 チャイムが鳴った。午後の最初、3限目の授業が始まる。 先生は実験室を見渡した。学生が僕しかいない。ガイダンスの時はもう少しいたような気がするけど、さては何人かさぼってるな。 「いやぁ、相変わらずこの授業は人気ないなぁ」 「時間帯が時間帯ですからね。みんな必修の科目とか入ってるみたいですし」 「そりゃ必修じゃあ生徒も減るよねぇ」 「しかも3、4限目に、大人気のポケモン学の授業があるじゃないですか。みんなそっちに行きたいんだと思いますよ」 「実験科目は2時間続きだからねぇ。しょうがないか」 先生は少しも残念そうでない口調でそう言い、笑った。 年齢は50歳くらいだと思う。普段から山歩きをしているせいか、実年齢の割に身体が若そうで、肌も焼けて、もう10月だというのに半そでだ。 先生は戸棚から地図を取り出すと僕に渡し、ベージュの帽子をかぶった。 「じゃ、今日はキャンパスの裏山に行って化石でも掘ろうか。準備は……お、もう出来てるね」 「はい」 「いいねぇ、気合い入ってるなぁ。それじゃ、行こうか」 地学実験室は、講義室の集まっている建物の、最上階の一番隅にある。大学の中で一番辺鄙な場所にある部屋だ。 つまり、外へ出るために玄関まで行かなければならないが、そこまでの道のりが果てしない。長い廊下を渡り、階段を何段も降り、ようやく玄関までたどり着く。 廊下を歩いている途中、ポケモン学をやっている教室の前を通った。大学にまだ行ったことのない人たちが想像するような、大きな階段教室。段差のついた部屋に長い机が扇型に並び、一番前で教員がマイクを使って講義をする部屋だ。 正直、僕はまだあんな教室に入ったことがない。一般教養は人気のない奴ばっかり取ってるし、学科に人がそんなにいないし。そもそも理系の人間にはあまりなじみがないように思う。これは僕の偏見かもしれないけど。 広い教室内には軽く300を超えるくらいの学生が入っている。びっくりするくらい広い教室の机に空きがない。 さすが、人気のある教科は違うなぁ。そう心の中で呟きながら、僕は前を歩く先生を見た。 「何、少人数のほうがこっちとしては都合がいいよ。手がかからないからね」 先生は僕の考えていることを見抜いているように言って、また笑った。 教員とは思えないほど気さくでユーモアのある人だ。しかも噂によると、この授業は単位をとるのがかなり楽らしい。もし開講される時間がよかったら、もしかしたら今のポケモン学くらいの人数が集まるんじゃないだろうかと思う。 ……まあ、冗談だけどね。半分くらいは。 建物を出て、運動場やテニスコートの横をすぎ、バス停へ向かう道を横にそれると、そこに裏山へ通じる道があった。道と言っても軽く草がなぎ倒されているだけ。整備も舗装も何もされていない。多分先生がちょっと前に通っただけだと思う。けもの道というか、何というか……。 ごめん。やっぱこれ道じゃない。ただの草むらです。クモの巣だらけの。 まあ、僕は生まれも育ちも山の中だから、このくらいのことでひるんだり嫌になったりはしない。むしろわくわくする方だ。 どこで拾って来たのか、木の棒を振り回してクモの巣を払いつつ進む先生の後ろを、僕は鼻歌交じりについて行った。 もう10月だというのに、ひどく暑い。先生が半そでなのも分かった気がする。 しばらく山の中を進むと、小さな沢に出た。10センチくらいの幅の小さな川に、透き通った水が流れている。正直、すくって飲みたいと思ったね僕は。飲めるよ多分。山の中だし。 先生は小川の向かいにある崖を指差した。 「この崖を見てごらん。これが地層だ。今から10万年ほど前に作られたものだよ」 「結構新しいですね」 「ハンマーで叩いてみてもいいよ。軟らかいからすぐに崩れる。運が良ければ貝の化石が出てくるかもしれないな」 化石が出ると聞くと黙っていられない。僕はすぐにリュックサックからハンマーを取り出し、川を飛び越えて岩肌を叩いた。 岩肌と言っても、地層というと誰もがイメージするような硬い岩盤じゃなくて、押し固められた砂のようだった。ハンマーのとがったほうで叩くと簡単に削れ、削り取った破片を指で押しつぶすとさらさらと砕けた。 しばらくそこらへんにある岩を割ったり壁面をたたいたりしていたけど、化石は全然出てこない。やる気があっても運がなければそうそう出てくるものじゃない。 僕がちょっと不満そうな顔をしていたのを見て、先生は声をあげて笑った。 「大丈夫大丈夫。これから誰でも貝の化石が取れるところに連れていくから」 そう言って先生は素早くハンマーをしまい、沢の上流へ向かって歩き始めた。僕も慌ててハンマーをしまい、先生の後について行った。 幅20センチくらいの足場を崖下に起きないようにそろそろと歩き、ぬかるんだ地面に足をとられて靴が脱げ、気がついたらはいていたズボンが泥まみれになっていた。いくら僕が山育ちといえども、さすがにそんなには山の奥深くや沢の方を歩いたりはしないから歩きづらい。先生の後を追いかけるのに必死だ。 先生はというと、どんな障害物もお構いなしにひょいひょいと越えていく。さすがはその道のプロ。まだ10代でも僕の体力なんか足元にも及びません。距離自体はすごく短いのに。 倒れた木をまたぐと、先生が左手にある小さな崖を指差した。さっきの沢のところと同じ、軟らかい砂の岩盤だ。 「よーし、ここなら化石が出るぞ。まあ、好きに探してみるといいよ」 先生に言われ、僕は崖の下に転がっている岩をハンマーで叩いてみた。岩は簡単に真っ二つになった。 割れた断面を見ると、明らかに二枚貝とわかる、親指の爪ほどの大きさの化石があった。 「先生! 見つかりました!」 「お、さっそく。ここの地層には貝そのものの化石はなくてね。これは貝殻の跡の化石なんだよ。印象化石というんだけどね」 「へー、そうなんですか」 「うん。この保存状態なら名前もつけられるね。なかなか調子いいじゃないか」 「よっし! がんばります!」 先生に褒められて気分がよくなった。僕は俄然やる気を出して崖を切り崩しにかかった。 僕が手のひら大くらいの大きな二枚貝の化石を発掘していると、先生がたずねてきた。 「そう言えば君、出身は?」 「ド田舎ですよ。ジョウトより西、ホウエンより東の山の中です。知名度低いし、全然目立たなくって」 「いやいや、それはなかなかいいところに思えるよ。ところで君、シンオウ地方に行ったことはあるかい?」 「シンオウですか? ないですねぇ。何せ遠いんで」 シンオウ地方と言えば北国。寒いところが好きな僕は昔から観光に行ってみたいとは思っていたけど、未だに行けずにいる。 先生は僕の発掘した印象化石を手に取り、周りについている余計な岩を取り除きながら言った。 「シンオウ地方には、その全域に巨大な地下空間、地下通路が広がっているんだよ」 「え、シンオウ地方の全域? シンオウ地方ってものすごく広いですよね?」 「そうだね。元々は石炭を掘るための坑道だったとか、とある穴掘り好きの男が掘り始めたとか、起源は都市伝説並にいろいろあるけどね。今ではシンオウの地下を迷路のように走っているよ」 「へぇ、そうなんですか。知らなかったなぁ」 「で、だ。この地下通路なんだけどね、壁を掘ると時々化石が出てくるんだよ。しかもよくある貝の化石とかそんなもんじゃない。古代に住んでいたポケモンの化石だ」 「ぽ、ポケモンですか!?」 僕はびっくりして、思わず手に持っていたハンマーを勢いよく岩肌に叩きつけた。もろい岩壁が派手に崩れ落ちた。 そんなに驚かないで、と先生は僕をなだめるように言った。 「まあ、無理もないけどね。ポケモンの化石なんて、この辺じゃめったに出てこない。出てきたら大騒ぎだよ」 「そ、そりゃそうでしょう。恐竜やらポケモンやらの化石ってそんなに簡単に出てくるものじゃないでしょう?」 「まあね。だけどシンオウ地方の地下通路ではそれがよく出るんだよ。特によく出てくるのが、ズガイドスというポケモンと、タテトプスというポケモンの頭の化石なんだけどね。あと稀に大腿骨と思われる部分の化石も出てくるみたいだよ。大腿骨以外はよく出るからお店に持っていても500円そこそこの値段しかつかないそうだし」 「えー、うらやましい……」 僕はそう言って小さくため息をついた。僕がこうやって小さな貝の化石を発掘しているときに、シンオウの地下にいる人たちはポケモンの化石を簡単に掘り出している。何だかすごく不平等だ。 先生は何か考え事をしているように黙って、しばらく経ってから口を開いた。 「君、ポケモンの化石はどうして珍しがられるんだと思う?」 「え? うーん、そりゃ、めったにとれないからだと思いますが……」 「そうだね。で、そもそも化石がどうやってできるか知ってるかい?」 「えーっと……海とか湖の底にある生物の死骸の上に土砂が堆積して、永い時間をかけて成分が置き換わって行くんでしたっけ?」 「まあそんな感じだよ。そう、化石って言うのは元々生物の死骸だ。普通だったら微生物に分解されて腐って消えてしまうところが、偶然が積み重なってできるものだよ」 「貝とかが残りやすいのは腐りにくいからですよね」 「その通りだね。でさ、そのシンオウの化石だけど……ちょっと妙だと思わないか?」 「え?」 先生の言うことがわからなくて、僕は首をひねった。先生は化石を掘るのを中断して、手元にある印象化石を見ながら言った。 「化石がとある場所で大量に見つかるのはよくあることだよ。ここみたいにね。特に恐竜とかそのポケモンたちみたいな陸上で生活していた生き物の場合は」 「それはどうしてですか?」 「化石ができるためには海とか湖とか……とにかく水のあるところに死骸がなければならない。つまり、それらの生き物の体は川なんかに流されたわけだ。だから自然と集まるんだよ」 「なるほど」 「だけどね、それは本当に局所的のものだよ。さっきの沢のところの崖ではあんまりでなかった化石が、ほんの100メートルくらい離れたここでは山ほどとれるだろう。そのくらいのものなんだよ。シンオウ地方はそういう、化石の集まる場所としてはあまりにも広すぎる」 「……なるほど」 「それから、化石がこうやって地表面に出てくるのも奇跡に近いんだよ。もともとは海底だったのが隆起したんだからね。海底が陸になったのが奇跡、それが表面に出てくるのはもっとすごいことだ。だけど地下通路では、表面にすごくたくさんの化石がある。子供でも簡単に発見できるような場所にね」 「何というか……それはおかしいですね」 僕はそうとしか言えなかった。話が見えない。 だけど、何かどうしようもない違和感は感じていた。素人の僕でさえも何となく。 「まだある。化石で出てくる主なポケモン、君はいくつか知っているだろう?」 「えっと……カブト、オムナイト、アノプス、リリーラ、ズガイドス、タテトプス……とか、こんな感じですか? あ、機械で復活できると言えば琥珀もありましたね」 「よく知っているじゃないか。カブトとオムナイトは全身の化石だ。琥珀には時々、蚊が入っている時がある。その蚊がよくプテラの血を吸っているから、そこからプテラも復活できるわけだ。さて、彼らはまあいい。残りの奴らなんだけど、実はこれまで、身体のほんの一部の化石しか見つかっていないんだ」 「え?」 「アノプスは爪だけ、リリーラは根っこにあたる部分だけ、ズガイドスとタテトプスは頭がい骨だけ……。これはあれだけ化石の出るシンオウの地下通路でも同じでね。他の部分の化石は見つかったことがない。大腿骨と思われる部分も見つかってはいるが、それが何の骨なのかはわかっていないんだ。復活もできないしね」 「どうして他の部分の化石が出てこないんですか?」 「わからないね。カントーのオツキミやまでは、以前カブトプスとプテラの全身骨格が発掘されたことがある。そりゃもう大騒ぎになったさ。だけどシンオウの地下通路では1つも出てない。あれだけ化石が出るのに」 先生は足元に転がっている岩を両手で割った。前にも言ったけど岩というより固まった砂のようなものなので、素手でも簡単に砕ける。 そこにあった小さな巻貝の化石を僕に渡して、先生は続けた。 「もう1つ。シンオウであれほど化石が出るのに、シンオウ以外の地方ではほとんど見ないだろう? 店で500円そこそこで売れるくらいなのに、大学のような研究機関ですらめったに手に入らないものなんだよ。ポケモンの化石っていうのは」 「……おかしいじゃないですか」 「そうだね。おかしいね。……それをまともに考えるのなら、の話だけど、ね」 先生は最後、低い声でつぶやいた。 「……どういうことですか?」 「シンオウの地下通路は、今や一種の娯楽施設なんだよ。誰もが気軽に無料で入れて、自分の好きなように活用できる。化石を掘るのも遊び……ゲームのようなものだ」 「ゲーム……ですか」 「地下では『化石』はポケモンのものしか出てこない。こんな貝の化石ですら出てこない。採集した化石は地上の研究機関でポケモンに復活できる。化石採集はポケモンを手に入れるためのゲームのようなものだ」 ポケモンを手に入れるための『化石』採集ゲーム。 僕はポケモンを持ってないからわからないけど、ポケモントレーナーだったらこぞってやるだろう。 先生はまた足もとの岩を割った。今度は何も出なかったようだ。 「僕らがまだ学生だった頃だけどね、化石からポケモンを復活できる装置が開発された。そりゃあもう驚いたよ。古代のポケモンを現代に復活できるなんて」 「化石から採取した遺伝子を培養するんでしたっけ……詳しいことは知りませんけど」 「そんな感じだね。……でも、育て屋っていう店に特定のポケモンを預けると、交配させて卵を作ることができるんだ。ポケモンは今や無限に増殖できる時代なんだよ。たとえそれが古代のポケモンであってもね」 「……」 「詳しいことは知らないけど、最近の若いトレーナーの間では、生まれたときから能力の高いポケモンを育てようとすることが流行ってるらしいね。だからいくつも卵を作って孵すんだ。そしてその中から特に優れたのを選んで育てるとか。で、選ばれなかったポケモンたちだけど……どうするか、トレーナーじゃなくてもわかるよね」 「逃がす……しかないですかね」 「そうだね。でもさ、彼らは元々古代のポケモンだ。現代の生態系には入ってない。もし大量の古代のポケモンを逃がすようなことをすれば、その辺一帯の生態系がおかしくなってしまう。彼らを野生に返すことはできないんだ。そしてトレーナーは大抵、自分の手でポケモンを逃がすことはしない。彼らの使っているパソコンの預かりシステムでやっているからね。つまり……そこでちょっと裏から手を加えることは可能なんだよ」 「さて……これらのことを踏まえた上で、君にひとつ質問だ」 「……君はシンオウの地下通路にある『化石』が、本当に本物の化石だと思うかい?」 僕の持っていた岩が手を離れ、地面に落ちた。もろい砂岩は簡単に砕け散った。 10月とはいえ日差しが強く、更に山道を散々歩いて暑かったはずなのに、なぜだか突然寒気がした。 ゲームだというのならば、『賞品』は決められていた方がわかりやすい。骨や歯のかけらでは、一体何の化石だかわからない。 ポケモンを復活させるのなら遺伝子さえあればいい。遺伝子さえ採取できれば復活は出来る。 つまり元々、化石である必要性は全くない。 本当に逃がしたのかわからないポケモンたち。 通路の表面に集まっている化石。 大量に出てくる、頭がい骨や体の一部『だけ』の化石。 研究機関には回って来ず、店に持っていけば異常なほど安い値段で売れてしまう化石。 その『化石』は、もしかして……。 「いやあ、ごめんごめん。ちょっと脅かしすぎたかな。気にしないでくれ。全部架空の話だよ」 先生が申し訳なさそうに笑いながら僕に言った。 「さ、そろそろ4限が終わる時間だ。実験室に戻ろうじゃないか」 「あ、はい……そうですね」 発掘した貝の印象化石の中から特に大きくていい状態のものを手に持ち、僕は先生について、来た道を引き返した。 何せ崩れやすい岩なので、来る時以上に足元に気を配る必要があった。 だけど、これは僕が自分で発掘した化石なんだ。 そんなに珍しくもないし、現代に復活させることもできないし、その上すぐに砕けてしまうけれど、太古にこの世界に生きていた生命の奇跡が、僕のこの手の中に描かれている。それはまぎれもない事実であり、そして僕が化石が好きな理由でもある。 先生から聞いた話を、倫理的にひどいと考えるべきなのか、それとも化石を愛するものとして許せないと思うべきなのか、僕にはわからない。そしてきっと、先生も僕と同じことを思っているんだと思う。 でも多分、どちらの思いも持っていると思う。化石を「捏造」するのはひどい話だし、古代のポケモンたちはかわいそうだ。 いずれにせよ、全て先生の仮説に過ぎないのだから、僕はこれ以上考えることはできないし、すべきではないと思う。 この話は頭の片隅のとどめておくことにして、僕は早くこの化石を実験室へ持っていこう。 風が出てきた。空を見上げると、さっきまで雲ひとつなかった空は薄く曇り始めていた。 きっと、今夜は雨だな。僕はそう心の中でつぶやき、実験室へ向かう先生の背中を追いかけた。 +++++++++The end |