コツ、コツというハンマーの音が薄暗い洞窟内に響く。 奥のほうの暗がりから、ガサガサと物音が聞こえてくる。 お、今日も来たな。僕は笑って顔をあげる。 +++採掘者+++ 長期休暇に先生から出された個人課題。 好きな場所の地質を調べてレポート書いて提出しろだってさ。 研究室に見学に行ったら強制的に言われた。でもこれやったら研究室選ぶ時考慮来てくれるっていうんだから頑張ろう。 僕は大学で地学を専攻している学生だ。 趣味は山歩き、好きな授業は古生物学とフィールドワークという典型的地学マニア。クラスの奴らにもやや呆れられるし自分でも自覚はしてる。 というわけでこの個人課題も面倒だと思いながらもちょっと楽しみだったりする。我ながらお気楽な奴だと思う。 鈍行列車で3時間、目的の場所に着いた。 近くの山小屋に1週間滞在。本当はそんなにかからないと思うけど、まぁ念のため。雨とか降ったら出来ないしね。 宿泊先に着くと、僕以外にも数人先客がいた。いわゆるアマチュアの鉱物マニアらしい。 山で会う人はみんな仲間。それがマナー。僕は先にいた人たち、まぁ言わば先輩たちにあいさつに回った。 そうしたら、何か夜に飲み会をやろうって話になった。お酒は全然強くないんだけど、まぁ少しは付き合わないとだめかな、と思ったからしぶしぶ了解した。 で、夜は結局飲み会。僕の歓迎会とか言ってた。ま、きっと何か口実をつけて毎晩飲んでるんだろうけどね。 何でも、この山の僕が地質調査をする予定のすぐそばに、きれいな鉱石が出る廃棄された坑道があるそうだ。それでみんな長期滞在して発掘しているらしい。 明日の天気予報雨だったし、僕も地質調査は休んでそっちに行ってみようかな。 「オイ学生、何か面白い話でもしろよ」 酔っ払って真っ赤になった先輩が僕に言ってきた。正直、こういうのって苦手だ。僕は少し困ったけど、ふとあることを思い出した。 そう、それはほんの数日前。 ここに来る前にふらりと立ち寄った路地裏で入った、不思議な喫茶店で聞いた話。 その喫茶店のマスターは、ちょっと変わった感じの人だった。帽子を斜めにかぶってたり、分厚い手袋をしていたり。見た目は僕より若い感じだけど、しゃべり方とか性格とか、その辺はすごく落ち着いていて、何だか年下には見えなかった。 「へぇ、地質の調査を」 「うん。先生からの半強制イベントだけどね。でもちょっと楽しみなんだ」 「それはよかったですね。私はそのような現場には行ったことはないですが……宝石の出る洞窟などがあれば面白いですよ。あの辺りには本当、面白い連中がいますからね」 「面白い連中?」 首をかしげる僕を見て、マスターは笑顔でうなずいた。 「そんな場所には住みついているんですよ。ヤミラミというポケモンがね」 「やみらみ?」 正直な話、僕はそんなにポケモンに詳しくない。トレーナーじゃないし、家で飼ってもいない。テレビでやってる大会の中継なんかもほとんど見ない。ピカチュウとかその辺の有名で人気のある奴らくらいしかよくわからない。 「それって、どんなポケモン? 岩タイプ? 鋼タイプ?」 「いいえ、ヤミラミは悪・ゴーストタイプのポケモンですよ」 「ゴースト?」 マスターの口から出た意外な言葉に、僕はまた首をひねった。 「ゴーストって、幽霊?」 「ええ、まあ、そうですね」 「じゃあ、そのヤミラミってやつらも幽霊なの?」 「そうですよ。ゴーストポケモンは人やポケモンたちの魂が元になっていますからね」 「魂ねぇ……」 ゴーストっていうと、怪談話に出てくるような、墓場とか古びた洋館とかに出てくる奴らばっかりだと思ってた。何でそんな奴らが洞窟なんかにいるんだろう。 僕がそんなことを考えているのがわかったのか、マスターは少しくすくすと笑った。 「ヤミラミは宝石の原石を食べる習性を持っているんですよ。ですからそういう石の採れる洞窟に生息しているんです」 「え、原石を食べるの? ふーん、そんなポケモンもいるんだなぁ」 「そうですよ。彼らは警戒心が強いですが、長い間現場にいれば、彼らも慣れて近寄ってくると思います」 「へぇ、そうなんだ」 僕はマスターの話に少し興味を持った。宝石の原石を食べるポケモンっていうのはもちろん初めて聞いたけど、それがゴーストっていうのもまた面白い。 「で、寄ってきてどうなるの?」 「彼らは警戒心も強いですが、同時に好奇心も強く、そしてとても悪戯好きです。あなたにちょっかいを出してきたりするかもしれませんね。ですがこちらから何かしない限り、大事を起こす連中じゃありません。適当にかまってやれば喜ぶでしょうね」 マスターはそう言ってにっこりと笑った。僕は状況を想像した。ハンマーを持って採掘作業をする僕の周りを取り囲む幽霊。ちょっと怖いかもしれない。 あ、そうそう、とマスターは何か思い出したように言った。 「彼らは群れて行動しますが、自分たちの群れの縄張り意識がとても強いんですよ。何せそういう場合にあなたが坑道で探しているものは、彼らの探しているものでもあるんですからね」 「そっか、鉱石探してたらそうだよね」 「ですから決して、彼らの持ち場を荒らさないことです。彼らが掘っている場所を無理やり奪ってはならない。これは人間同士でも同じことでしょう。採掘者としてのマナーですよ」 「なるほど、確かに」 「マナーをきちんと守りさえすれば、もしかしたらいいことがあるかもしれません。ですが、もし破ったら……取り返しのつかないことになるかもしれませんね」 「うわぁ、怖いねぇマスター」 僕は茶化すようにそう言って笑った。マスターも声をあげて笑った。 僕が話を終えると、先輩たちは大声で笑い出した。 「ヤミラミ? ああ、確かにうじゃうじゃいるよ。だけど大したことないって。数は多いが弱いしな」 「大体、ここは元々人間の掘った坑道だぜ。ポケモンの好きにさせるわけにゃいかねーよ」 先輩たちはそう言って笑いながら、コップに焼酎を注いでいた。 だけど僕は、マスターの言葉を忘れなかった。 マスターの言っていたことは間違っていない。マナーを守れない奴にはやっぱり、石を採掘する権限なんてない。人間であろうと、ポケモンであろうと、それは同じ。少なくとも、僕はそう思うけどな。 次の日、予報通り雨だったから、僕はその坑道へ行ってみた。 雨で崩れそうな洞窟なら帰る予定だったけど、かなり丈夫そうだったから入ってみることにした。 奥へ進んでいると、どこからか視線を感じた。僕は洞窟の奥の方へヘッドライトの光を向けた。 暗闇の中で何かが光った。宝石の反射に似たような輝きだった。 闇の中に、1匹のポケモンが見えた。 紫色の猫が直立したような姿だけど、その見た目は何とも言い表し難い。胸に当たるところに、カボションカットのルビーのような赤い結晶を持っていて、目は六角形にカットした水晶のようだった。 初めて見たけど、すぐにピンときた。これがヤミラミ。 ゴーストって言うからもっと、いわゆる幽霊っぽい姿をしているのかと思ったけど、思ってた以上に獣っぽい。なかなかどうしてかわいいじゃないか。 ヤミラミは水晶みたいな目で、僕をじっと見つめていた。僕は正直とまどっていた。マスターは適当に相手してやれって言ってたけど、何をどうすればいいんだろう。 しばらくすると、ヤミラミは突然ニッと笑った。ギザギザの鋭い歯が見えた。咬まれるとちょっと痛そうだと思った。 ヤミラミは僕から少し離れたところに立って、鋭い爪で洞窟の壁を削り始めた。時々僕のほうを見てはケタケタと笑い声をあげる。 僕は何とも言えない微妙な笑いを返して、近くの壁を掘ってみることにした。 しばらくして、僕はヤミラミのほうを見た。 驚いた。ヤミラミが増えていた。さっきまでたった1匹だったのに、気がつくとその周りには7、8匹のヤミラミがいて、それがみんな僕を見てケタケタと笑っていた。1匹だけなら何となくかわいげがあるけど、こう大勢集まると正直ちょっと怖い。 そういえば、マスターがヤミラミは群れで行動するとか何とか言ってたっけ。本当だったんだ。 「オイ学生、お前何ヤミラミなんかと戯れてんだ?」 向こうから先輩がやってきた。ヤミラミ達は一斉に、洞窟の奥へ逃げ去っていった。 先輩はヤミラミ達がいた場所に行くと、そこの壁を掘り始めた。僕はマスターの言葉を思い出した。 「先輩、そこってヤミラミ達が掘ってた場所じゃ……」 「あ? そんなの関係あるか。それによ、ヤミラミが掘ってたところは良質の原石がとれるって話だぜ? お前もいい石欲しけりゃそういうところ狙えよ」 先輩は僕の制止も聞かずに、壁を掘り続けていた。 僕はやれやれと思って、とりあえず場所を変えることにした。 洞窟を更に奥へ行ってみると、さっきのヤミラミ達がいた。ヤミラミ達は僕が来たのに気がつくと暗闇に隠れたけど、しばらくするとまたやって来て、僕をじっと見た。 僕はハンマーを取り出して、採掘をすることにした。 ヤミラミ達は片時も目を離さず、僕の手元をじっと見ている。その視線に何となく殺気を感じる。少し、気味が悪い。 だけどその視線で、僕にあることに気がついた。 「もしかして……ここ、君たちの縄張り?」 僕が尋ねると、ヤミラミ達は怒ったように、一斉にぴょんぴょんととび跳ねた。そうだ、とでも言いたげに。 僕はもう少し、洞窟の入り口側に寄ってみた。 「この辺ならいい?」 そう言うと、ヤミラミ達は今度は一斉にケタケタと笑い始めた。 多分、肯定の意味だろう。僕はそう解釈して、その周辺で作業を再開することにした。 働けど働けど、我が暮らし楽にならざり。先人はこんな言葉を遺したらしい。 そんな気持ち、今の僕にはよくわかる。掘っても掘っても、何も出てこない。 耐えろ僕。所詮は趣味だ。こういう採掘作業は悠久の時間に体を任せ、自然と一体することが大事なんだ。そして大地の声に耳を傾け、自然の恩恵をありがたく頂けることに感謝を抱き……。 って、何か妙な謳い文句が頭の中で紡ぎだされた。特に意味はない。 何やら騒がしい声が聞こえてきたので、ヤミラミ達のほうを見てみると、1匹がかなり質のいい原石を掘りあてていた。周りのヤミラミ達がそいつを祝福するように騒ぎ立てている。 正直、喉から手が出るほど欲しかった。1つ原石が見つかると、大抵の場合その周辺には原石が固まっている。ヤミラミ達も多分、宝石の鉱脈を見つけたんだろう。今ヤミラミ達が掘っているところを掘れば、きっと質のいいものが見つかる。 よし、僕もその場所を掘ろうじゃないか。 ……いや待て、と僕は考えなおした。 採掘のマナーを忘れちゃいけない。誰かが掘っているところを横取りするのは採掘者として最低だ。 残念だけど、あの鉱脈は発掘したヤミラミ達のもの。僕が手出ししちゃいけない。 喜び騒ぐヤミラミ達を横目に、僕は自分の持ち場で採掘を再開した。 ……あいつら、あれを食べるんだよなぁ……。贅沢だなぁ……。 やっぱり質によって味って変わるのかなぁ……。ちょっと興味あるなぁ……。 結局、その日は何も出てこなかった。 夕方宿泊所に戻ると、先輩たちが今日の成果を自慢し合っていた。あの後、ヤミラミ達が掘っていたところで結構いいのが見つかったらしい。 まあ、暇つぶしみたいなものだからな。気にしない気にしない。 ラジオの気象情報が、明日もまた雨だと告げていた。 それから数日、ずっと雨だった。 僕が採掘現場に行くと、ヤミラミ達が待ってましたとばかりに現れるようになった。 最初は7、8匹だったのが、次の日には12、3匹、その次の日には15匹、そして最終的には20匹前後と、日に日にヤミラミ達の数は増えていった。最初は僕に警戒心を抱いていた奴らまで、僕が危害を加えないことを理解すると、警戒を解いて近寄ってくるようになったらしい。 一度警戒を解くと、そいつらはむしろ僕に興味津々と言った様子だった。 採掘している僕の足もとをうろちょろと駆け回り、頭によじ登ってヘルメットやヘッドライトを奪い取ったり。中には僕の持っているハンマーやピッケルに興味を示して、予備のものを僕のリュックサックから勝手に持ち出して、僕のまねをして壁をたたく奴もいた。 その中でも特にある1匹は、なぜか僕の背中がお気に召したようで、始終僕の首元に抱きついて離れようとしない。耳元でケタケタと笑われたら、ちょっと背筋がぞっとする。やっぱりゴーストだからかな。 時々作業の邪魔になることはあったけど、僕が嫌がるような動作をしたら逆に面白がるようにケタケタと笑って飛び退いたりした。 坑道の中で昼食の弁当を開くと、そこにいた奴ら全員が一斉に飛びかかって来て、あっという間に弁当がなくなったりした。その凄まじいほどの迫力に、あれ、こいつらって原石食べてるんじゃなかったっけ? とも思った。 その日は結局昼食抜きで午後の作業をやった。おかげで腹の虫が始終文句を言いっぱなしだった。 ついでに背中に貼りついてるやつもずっと文句を言いたそうに鳴き声をあげていた。僕にしがみついていたせいで弁当にありつけなかったらしい。それは自業自得だろう、とツッこんでやりたかった。 相変わらず成果はさっぱりだったけど、あまり気にならなかった。 ヤミラミ達といるのは面白い。石を探すこと自体の楽しさと、ヤミラミ達という面白い連中。何かもう課題とかどうでもよくなってきたな。雨だし。 そして、とうとう最終日。 結局滞在中ずっと雨だった。もしかして僕って雨男なのだろうか。 宿泊費がギリギリだから、今日には必ず帰らなきゃならない。 まぁヤミラミという面白い連中とも会えたし、いいとしよう。もうちょっと大学から近い別の場所でやればいいや。 でも、ここのヤミラミ達と触れ合えるのも今日が最後。そう思うと、ちょっと切なくなった。 いつも通り採掘をしていると、僕の背中に貼りついているヤミラミが突然飛び降り、僕の足をつついてきた。 目をやると、そいつはまたケタケタと笑いながら、僕のズボンのすそを引っ張った。こっちに来い、とでも言いたいのだろうか。僕はとりあえずそいつについていった。 ヤミラミが連れてきた場所は、ヤミラミ達が石を掘っていた場所だった。仲間たちがケタケタと笑い声をあげながら、僕とそのヤミラミを迎え入れる。 その意図を図りかねて、僕が首をひねっていると、ヤミラミは行動の壁をトントンと叩き、そしてまた笑い声を上げた。僕は何となく理解できた。 「もしかして、ここを掘れ、って言ってるの?」 そう尋ねると、ヤミラミ達は一斉にケタケタと笑い声を上げた。肯定の返事だ。 僕は壁にタガネを当て、ハンマーを振り下ろした。ヤミラミ達は押し黙って僕の手元に集中している。 コツン、コツンという音だけが辺りに響いた。 岩の間に、きらりとした光が見えた。どきっ、と胸が高鳴った。 慎重に周りの余計な岩を崩す。期待と緊張で指が震えた。 逆転満塁ホームラン。 これまでの零行列なんて問題にならない。課題ができなかったのもどうでもいい。ぱっと見ただけでもわかるほど質のいい原石が、僕の前に現れた。 ヤミラミ達が一斉に祝福の声を上げた。僕は丁寧に原石を取り出した。 「これ、僕がもらってもいいの?」 そう尋ねると、ヤミラミ達はまた一斉に笑いだした。当然だ、とでも言うように。 採掘者のもう1つのルール。掘り出したものは、掘り出した人のもの。ヤミラミ達はどうやら、そのことをしっかりと心得ているらしかった。 『マナーをきちんと守りさえすれば、もしかしたらいいことがあるかもしれません。ですが、もし破ったら……取り返しのつかないことになるかもしれませんね』 マスターが言っていた言葉が、僕の頭の中でもう一度繰り返された。 本当にいいことあったなぁ。ヤミラミ達に餞別もらっちゃったよ。 確かに、面白い連中だね、マスター。 採掘現場を片づけて、僕はヤミラミ達と別れた。ヤミラミ達も心なしか寂しそうな顔をしていて、思わず涙が出そうだった。 荷物を取りに宿泊所へ寄った。 詰所の中には誰もいなかった。おかしいな、坑道には誰もいなかったと思うけど。 先輩たちの荷物はそのままだし、帰ったわけじゃないみたいだけどなぁ。散歩でもしてるのかな? ま、いっか。一応挨拶してから帰ろうかと思ったけど、先輩たちいないし、もう帰ろう。 宿泊所を出て歩こうとすると、首の後ろがずっしりと重くなった。 まさかと思って背中を見ると、ずっと僕の背中に貼りついていたあのヤミラミがしっかりとしがみついていた。 よっぽど僕のことがお気に召したらしい。僕は笑って、ヤミラミに聞いた。 「一緒に来るかい?」 ヤミラミはケタケタと笑い声をあげた。肯定の返事。 僕はリュックサックを背負った。ヤミラミはその上に飛び乗った。 僕は笑って、帰り道を歩き始めた。 よし、家に帰ったらまず課題やる場所決めよう。次はこいつと一緒だ。 なぜか頭の中で、マスターの声が響いてきた。 『ゴーストポケモンは全て、人やポケモンたちの魂が元になっていますからね』 ……そういえば、ヤミラミになる魂ってどこから来るんだろう? 今度、マスターに聞いてみようっと。 『もし破ったら……取り返しのつかないことになるかもしれませんね』 青年の背で、ヤミラミは宿泊所を見、洞窟の入口を見て、ケタケタと笑い声をあげた。 いい気味だと言わんばかりの、不気味な笑い声を。さも楽しそうに。 Requiem ←←← Back | Next →→→ 影とヒトガタ |