いつかこれを読む奴がいたとしたら、きっとそいつは俺の頭がイカレてると思うだろう。実際、俺はおかしくなっているのかもしれない。いや、そもそも精神がまともかどうか判断するのなんて結局のところ世の中の多数決で、俺は圧倒的少数派なのだから、やっぱり狂っちまってるのは俺の方だろう。この世界でイカレてるのは俺ひとりで、そう思った方が俺としてもよっぽど楽だ。
だが、俺はどうしても自分が今いるこの現実を受け入れることが出来ない。周りがどう思おうとも、やっぱり俺にとっておかしいのはこのクソみたいな世の中の方だ。
このイカレた世界でたったひとり、俺がまだまともなうちに、残しておかなきゃいけない気がして、こうやってこの文章を書いている。
俺の記憶が正しければ、始まりは確か、1996年2月の終わりのことだったと思う。最初の『患者』は小学校低学年の女の子だったはずだ。新聞の端っこの小さな記事にそのことが書かれてた。
その後も時折、同じような小さな記事が新聞や週刊誌の片隅に書かれるようになった。しかし奇妙なことに、長いこと、それが大きな問題になることはなかった。何年もだ。
だがゆっくりと、確実に『患者』は増えていった。世間がこれを大きな問題として取り上げるようになったのは、最初の『患者』が現れてからどれだけ経っていただろうか。少なくとも、年単位の時間は経っていた、はずだ。
正直、どこが転換期だったのかはっきりと覚えていないし、わからない。初めての『患者』から1年ほど経った頃だったか、『患者』が広範囲で見られるようになった頃だったか、それとも『患者』の年齢層が、20歳近くまで拡大していた頃だったか。
少なくとも今俺が確実に言えることは、世間がこの事態の重さに気がついた時には、もはや何もかもが手遅れだったってことだ。
テレビや新聞は毎日のように騒ぎ立て、青少年の心の闇だの、社会の歪みだの、あらゆるメディアはそんな言葉で溢れかえった。原因も分からず、対処法もなく、しかし確実に『患者』は増えていった。
メディアや有識者は口をそろえて青少年特有の心の病とか言っていた。俺は当時からそんなもんじゃないと思っていた。きっと俺と同じことを思っていた奴はたくさんいたはずだ。
くそったれ。実際に『患者』を見りゃすぐわかっただろうに。心の病とか、これはそんなレベルのもんじゃねえってのは。
俺の家のすぐ近所に、ケンジっていう小学生のガキがいた。ご近所付き合いって奴で生まれたばっかの頃から知っていた。
ケンジは絵に描いたようなやんちゃ坊主で、毎日毎日学校から帰っては家の近くを走りまわっていた。虫取りとか魚釣りとか、他の連中と鬼ごっことか、まあとにかくいつもTシャツ短パンで走り回っているような奴だ。
あの日俺は、ちょうど家に帰り着いたところだった。西の空は真っ赤で、カラスの鳴き声がぎゃあぎゃあうるさかったのを覚えている。ケンジはあいつの家へ向かって、虫取り網を担いで走っているところだった。
「ただいまっ!」
「おうケンジ、あんまり遅くなるなよ」
俺がいつものようにそう言うと、ケンジはいつものように笑って手を振った。
いつもと同じだった。何も変わらなかった。
次の日の朝のことだ。俺が家を出るちょうどその時、いつも寝坊気味のケンジは俺の家の前を小学校へ向かって走っていく。ぺったんこの黒いランドセルを背負って、手に体操着の入った手提げとか、あるいは朝飯の食パンを持って。
「おはようっ!」
だが、いつものようにそう言ってきたはずのケンジは、いつものケンジじゃなかった。
あいつは体の前で自分の両腕を抱きしめていた。まるで、『何か』を抱きしめているように。
つい昨日普通に夕方のあいさつを交わした近所のガキが、朝になって突然、見えもしない『何か』を胸に抱いている。
俺は生まれて初めて体の芯から震えあがったね。今でも何であんなに恐ろしかったのかはわからねぇ。ただ、俺の頭は理解するのを拒んだ。
直感的にわかったんだ。目の前にいるこいつは、昨日までのこいつとは『違う』。それが何かはわからねぇが、何かが圧倒的に『違う』。
そして、これは個人の心の問題じゃない、もっと大きな『何か』があるはずだ、と。
俺の勘はひどく残念なことに大当たりした。青少年特有だったはずの『患者』は、いつの間にか、年齢を問わずあらゆる人間に現れるようになっていた。
青年、老人、中年、赤子。老若男女問わず、全世界で『患者』は現れた。
そして、その現象がメディアで取り上げられることは、『患者』の増加と反比例するように減っていった。
まるで、『患者』に見えているモノこそがこの世のスタンダードだ、とでも言うように。
そしていつしか、俺以外の全てが『患者』となった。
世界が変わった。歴史も、社会も、文化も、全てが俺の見えない『何か』に塗り替えられてしまった。
俺以外の全てが、スタンダードとなった。
変化は急激だったと思う。でも、わからない。時間や空間さえも、俺の知らない『何か』に置き換わってしまったようだった。
何もかもが変わってしまったのに、それを知っているのは俺だけだった。世界はまるで変化などなかったかのように、何事もなく流れていった。
俺はこの部屋に、自分の部屋に閉じこもるようになった。テレビもパソコンも通信機器も、外と繋がるものは何もかも捨てた。世界に触れることが恐ろしかった。
周りの何もかもが俺と違った。どいつもこいつも、あのガキと一緒だ。俺に見えない場所で、俺に見えない『何か』と一緒にいる。俺の知らない社会で、俺の知らない過去を持ち、俺の知らない生活を送っている。
『何か』に描きかえられていく世界で、俺だけが変わらなかった。
たったひとり、世界に取り残されたようだった。そして周りの連中の世界は、俺を除いて滞りなく流れている。
おかしいのは俺の方かもしれない、と何度も思った。変わったと思っている世界が正常で、俺だけが狂っているのかと。世界に取り残された部屋の中で、俺はずっと考え続けた。
そしてひとつ、自分の納得のいく結論に至り、こうしてペンを走らせている。
俺のいとこに、随分と絵の上手い奴がいた。パソコンを使って、色鮮やかなイラストを毎日のように描いていた。
そいつが使っていた、いわゆるお絵かきソフト。考えるに、それが1番、俺の今の状態を説明するのにしっくりきた。
まずいとこは1枚の絵を描いた。白いテーブルに、向かい合った2脚の白い椅子。そこに座る、若い女性の絵。彼女は顔を真っ赤にして泣いていた。何か悲しいことがあったのかと俺は思った。
次にいとこは、さっきの絵に1枚『レイヤー』を重ね、別の絵を描いた。今度は若い男性の絵。うつむいていて、顔はよくわからない。ふたつを重ね合わせると、テーブルをはさんで向かい合う男女の絵になった。彼が彼女を泣かせたのだとわかった。どうやら恋人同士らしい。別れ話か、浮気でもしたのか。
いとこはもう1枚、『レイヤー』を重ねた。テーブルの上に、小さな箱が現れた。その中にプラチナ色の指輪が描かれているのを見て、俺はようやくこの絵がプロポーズの場面だと気がついた。彼女は嬉し泣きしていたのだ。
結局そうやって1枚の絵が完成したわけだが、男の絵を重ねる前でも、指輪の絵を重ねる前でも、その絵はある意味完成していた。道理は通る。変わるのは意味あいだ。彼女が喜ぶためには、机の上に乗っている指輪という『レイヤー』が必要になる。
そして俺は思う。この世界も多分、似たようなものなんじゃないか。
俺にはきっと、その『レイヤー』が1枚、足りていないのだ。いや、正しくは、俺だけがその『レイヤー』の下にいるのだ。
元の世界に、俺が知っていた世界に、過不足はなかった。
そこに『薄膜』がかかった。世界が塗り替えられた。俺だけが取り残された。
いつからか世界にかけられた『薄膜』を、自分だけまだ俯瞰できていない。
俺はもう、疲れた。取り残されることに。ひとりで抗うことに。
世界から取り残されたこの部屋も、いずれ飲みこまれていくのだろう。
この文章を書きあげたら、俺はこれをデスクに厳重に仕舞って、この部屋から出るつもりだ。この世界に飲まれてやる。どうなるかなんてもう知らん。知ったことか。くそったれ。
いずれ『薄膜』の上にいる誰かが、これを見つけて読むかもしれない。頭のイカレた奴だ、と思っていることだろう。
だが、俺の世界は俺の世界で完結していた。お前たちのいる世界はその上にかかったものだ。全てを塗り替えられたと思わないことだ。俺たちの世界はお前たちの世界に、しっかり爪痕を残している。
俺にとって道理の通らない世界に住んでいるお前たちに、『薄膜』の上しか知らないお前たちに、今の世界がスタンダードだと思っているお前たちに、ひとつ、問いかけてみたいことがある。
世界を覆うこの『薄膜』に、なぜお前たちは『Pocket Monster』と、『怪物』と名をつけた?
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