長期休暇が待ち遠しくてたまらなかった。 小学生の頃は夏休みとして。どこで誰とどのように遊ぶか。45日の間、何をするかが一番の楽しみだった。 中学生からは少し変わった。今年はどこに行こうか。どんなルートで行こうか。行った先で何をしようか。45日の間、どこに行くかが一番の楽しみになった。 私の通っていた中学校では、夏の長期休暇の間、ポケモンを連れて旅に出ることを許されていた。 自主性と社会性を育むことを目的としていて、ポケモンを取り扱う資格さえあれば、どこへ行っても、何をしてもよいことになっていた。一種の職業体験のようなもので、旅の間のことは詳細なレポートを書いて学校に提出しなければならないから、そうそう危ないことはできないけれども。それでも、大抵のことは自己責任だった。 将来職業トレーナーを目指す人も、そうでない人も、免許を持っている人のほとんどは旅に出た。 長期休暇が待ち遠しかった。 空は連日の雨模様から綿雲を纏った青空へ。道端の花は紫陽花から向日葵へ。 彼女との出会いは、夏が本格的に始まるころだった。 +++太陽、ひまわり、キーボード+++ 高校へ進学した私はこの夏、トレーナーとして少しステップアップすることを目指していた。 中学生のころは、色々なところをとにかく歩きまわって、気の合った人とたまにバトルをして過ごしていた。 でも今年からは、本格的にバトルを極めていこうと思っていた。ポケモンを鍛えて、ジム巡りをして、高校卒業と同時にリーグへ出場できるくらいになることが目標だった。 そのためには、まずポケモンを整えなければならない。 私の一番のパートナーは、オオタチのたんぽぽ。お父さんに付き添われて、私が初めて捕まえたポケモン。 でも生憎、たんぽぽはそんなに強くない。バトルを極めるなら、やっぱり強いポケモンを手に入れて育てないといけない。 そこで私の特性、優柔不断が発動する。どのポケモンを捕まえて育てればいいのか、悩んでしまってどうしても決められない。 困ったなぁ、と思っていた時、バトル雑誌の小さな広告が目に入った。 夏休みが始まる直前の日曜日、私はその施設を訪れた。 何らかの事情で、トレーナーと一緒にいることができなくなったポケモンたち。 人間の手がかかったポケモンの中には、野生のポケモンたちと比べると強すぎたり、野生ではほとんど持ちえない技や特性を持っていたりすることがあって、そのまま野生に返すことが出来ない子がいる。この施設は、そういうポケモンたちを他のトレーナーに引き取ってもらうためのものだ。 参考程度にならないかな、と思って、私は施設に足を踏み入れた。 施設では色々な種類のポケモンたちが、檻やボールに入れられていた。 トレーナーに捨てられた子たちが大半だった。特に大型のポケモンは、自分で世話をするのが嫌になって、逃がしてしまうトレーナーが多いそう。他に、トレーナーがポケモン取り扱いの免許の取り消しを受けて差し押さえられたポケモンとかもちらほらいた。 小型のポケモンや危険性の少ないポケモンは檻の中に、大きかったり危険なポケモンはボールに入っていた。 どうしようかな、と思っていた私の前に、彼女はいた。 檻でもボールでもなく、少し背の高い柵の中。 緑色の細い腕で、白いスカートを抱え込むように、彼女は座っていた。 彼女だけ柵という特異性だけでなく、彼女は醸し出す雰囲気が他のポケモンたちと全く違っていた。 嫌悪感をこちらに向けてくるわけでも、懐っこい視線を送ってくるわけでもない。ただじっと、赤い目でこちらを見てるだけ。 細い体に、真っ白な体に、その人形のような雰囲気はぴったりとはまっていた。 彼女の、そのサーナイトの様子は、どう見ても他のポケモンたちとは違っていることが明らかだった。 私は施設の職員さんに、サーナイトのことを聞いてみた。 職員さんにとってその質問はよくあることらしく、ため息交じりに答えてくれた。 彼女は、トレーナーと死別したポケモンだった。 不慮の事故でトレーナーが亡くなってしまって、この施設へ引き渡されたそうだ。 それは今から1年近くも前のことで、彼女は施設に来てから今までの間、ずっとあの様子らしい。 これでもかなり、こちらに心を開いてくれたほうなんだよ、と職員さんは言った。 「本当に、心苦しいことだよ。あのサーナイトのトレーナーだった女の子は、まだ中学三年生だったらしいからね」 職員さんはため息交じりにそう言った。 肌にぞわりとした感覚が走った。 1年前に、中学三年生。 それじゃあ、私と全く同い年じゃない。 気がつくと、私は必死に、職員さんにこのサーナイトを譲ってほしいと頼んでいた。 職員さんは渋った。これまでにも、サーナイトを引き取りたいと言ってきた人はたくさんいたみたい。でも、サーナイトが心を開いてくれなくて、結局誰も引き取ることができなかったらしい。 その気持ちは私も理解できる。私だったら、自分のポケモンと死に別れるなんて辛すぎる。このサーナイトもきっと、死ぬほどつらいんだ。 その時、私の腰につけていたボールが大きく揺れて、たんぽぽが勝手に飛び出してきた。 たんぽぽはふるふると頭を振ると、ぴょんととび跳ねて、柵の中のサーナイトに飛びかかった。 「ちょ、たんぽぽ! やめなさい!」 私は慌ててたんぽぽをボールに戻そうとした。たんぽぽはサーナイトの前で、オオタチ特有のどこから始まっているかわからない長い尻尾をふりふりと振って、首をかしげてニコッと笑った。ああもう何この子かわいい。じゃなくて、早く戻さないと。 たんぽぽは長い胴をサーナイトの膝の上に横たえて、きゃっきゃと笑いながら尻尾でサーナイトをくすぐった。う、うらやましい。じゃなかった。 「こらーっ! たんぽぽ! 止め……」 その時だった。 それまで呆然とたんぽぽを見ていたサーナイトが、声を上げて笑いだした。 サーナイトが笑って嬉しくなったのか、たんぽぽは自分のしっぽをつかんでころころと回り始めた。サーナイトはまたけらけらと笑った。 私と職員さんは茫然とした。たんぽぽとサーナイトは2匹で楽しそうに遊び始めた。 こうして、サーナイトは私のポケモンになった。 夏休みが始まってすぐ、冒険を始めるより先に、私は家電屋へ走った。これから旅を始めるにあたって、一番大事なツールの最新型を買うために。 それは携帯端末。いつでもどこでも、すぐにネットにつなげられるもの。 ちょっと前まで、旅で一番厄介なことは、道具の持ち運びだった。 トレーナーの道具は多い。ボールや薬品類やわざマシン、移動に使う自転車、それに野宿するためのテントや寝袋、食器類。どんなに頑張ってかばんに詰め込んでも、カバンの容積には限界がある。 道具がデータ通信で送れるようになってから、トレーナーの旅はだいぶ楽になった。いらないものを全部パソコン通信で自分の家に送り届けてしまえば、カバンの中にはかなり余裕ができる。 そして最近はもっと便利になった。ノートパソコンみたいな携帯端末の性能が上がったから、いつでもどこでも、道具を出し入れできるようになった。 ショップでの買い物は物品を直接もらわずに、自分専用の倉庫のような場所に保管される。旅の途中で使うときは、その倉庫からその都度引きだせばいい。鞄の中には万が一の時のために、ボールや薬をいくつか入れておけばいい。 今はまだ道具だけだけれど、ポケモン通信もいつでもどこでも出来るように研究が進められているらしい。今は持ち切れなくなったポケモンを一方的に自分のボックスに送るだけだけれど、海の向こうではもう、他人との通信ならばいつでもどこでもボックス同士でも可能になってるとか。将来的には出し入れ自由に出来るようにするのが目標らしい。確かにそうなれば便利だけど。 というわけで、私は新しいノートパソコンを探していた。タッチパネル式の携帯端末も出始めているけれど、そっちはもうちょっと改良されてからにしようと思っている。まあ、画面に指紋が付くのもちょっと嫌だし。 2時間くらい売り場で迷って、画面が大きくてきれいで軽い、ポケモントレーナー向きのものに決めた。OSも去年出たばっかり。15メートルの高さから落としても大丈夫。耐水・耐火・耐電・耐振動性もバッチリ。ちょっと値は張ったけど、まあいいか。 ぴかぴかのパソコンをカバンに入れて、私は冒険の旅に出た。 45日間の冒険の旅。 海を渡り、川を渡り、野を超え山を越え、人ごみにもまれ、いろんな人と出会い、別れ、そしてまた出会う。 サーナイトは日に日に元気になっていった。 施設で引き取ったポケモンは、私がボールを投げて捕まえたわけじゃない。でも、ボールに登録されるトレーナーのIDコード、いわゆる「おや」のデータは私になる。 元の持ち主の情報も、詳しいことはプライバシーの保護で一切分からない。名前も、住所も、IDも。 ポケモンに聞いても、人の言葉はしゃべれないから、わからない。 私が知っていることは、彼女の元の持ち主が、私と同い年の女の子だった、ってことだけ。 彼女は、とても太陽が好きだった。 楽しいことがあると、太陽のように輝く笑顔を私に見せてくれた。 そして彼女は、太陽によく似た花のことも大好きだった。 私は彼女を、「ひまわり」と呼ぶことにした。 ひまわりと一緒に、私は各地を渡り歩いた。 旅の時間は短い。たったの1ヶ月半しかない。だからその間に、出来ることはなるべくたくさんしようと思った。 初めて見るポケモンと出会った。草むらに入るのがいつも楽しみだった。 知らない町に行った。自分と全然違う生活をしている人と、その人と一緒に暮らすポケモンに会った。 初めてジムに行った。最初はぼろぼろだった。諦めずにポケモンを育てて、戦略を練り、ようやく勝てるようになった。 ある時、数日雨が続いた。 雨具を着れば冒険はできるけれども、折角だから少し休憩することにした。 学校に提出するレポートをまとめたり、これからの予定を立てたり。 退屈になったから、少しネットをすることにした。 この時期は全国色々なところで冒険している人たちがいる。そしてその人たちの中には、旅の日記をサイトやブログで公開している人がいた。他のトレーナーさんの情報を見るのは楽しかった。 「……ん?」 サイト巡りをしていて、気になるものを見つけた。 トレーナーやポケモンに関する小説のコミュニティサイト。名前も年齢も、住んでる場所も職業も知らない色々な人が、掲示板に小説を投稿していた。 長い話。短い話。旅のトレーナーの話。日常のちょっとした話。ポケモン視点の話。お店で売っている本では読めない小説がたくさんあった。 こんなサイトがあったなんて。私は夢中で、そこにある小説を読み始めた。 その日から、私の日課に、そのサイトを閲覧することが加わった。 更新される小説を読んでいると、だんだん自分も書きたくなってきた。 もし私が、トレーナーじゃなかったら。 もし私が、旅の途中で伝説のポケモンに出会ったら。 もし私が、とんでもなく悪い奴と戦わなければならなくなったら。 もし私がいるこの世界に、ポケモンがいなかったら。 自分の生活で、旅の中で、もしこうだったらなぁという願望はいつも有り余っていた。 到底実現するわけのない願望もたくさんあったけれども、小説の中でならそれを現実にできる。疑似体験できる。そして私の作ったその世界を、誰かに見てもらえる。 キーボードを叩いて、私は短い話をひとつ書きあげた。 本名の『美良子(みよこ)』をもじって、『ミラージュ』と名乗ることにした。 夏はあっという間に終わった。私の冒険は、次の長期休暇まで持ち越しになった。 旅のレポートを提出して、またいつもの学校生活に戻る。 コミュニティサイトの閲覧と投稿は変わらず続けていた。併設されているチャットにも顔を出すようになった。サイトに来ている人はわたしと同じトレーナーの人がほとんどだったから、話が弾んだ。 いくつか話を書いたころ、自分のサイトを開いた。 旅に出ていない間、私はパソコンの中で違う世界を冒険することができた。 小説を書き始めて、半年が経った。 コミュニティサイトでもすっかり常連になった。仲のいい作者さんたちもたくさんできた。 春休みに旅に出るか悩んだけど、今年は近場でポケモンを鍛えることにした。この夏に向けてトレーニング。今年はジムをいっぱい制覇したい。 いつものように小説を読んでいると、ひまわりが寄ってきた。いつも私が機械に向かって何をしているのか気になってたみたい。 「今、お話を読んでるの。いろんな人がトレーナーの小説を書いてるのよ」 私がそう言うと、ひまわりは画面と私の顔を何度か見た。読んでほしいの? と私が聞くと、ひまわりはこくこくとうなずいた。ひまわりがとてもかわいかったから、私はさっき読んだ短編を、情感たっぷりに読んであげることにした。 ひまわりはじっと話を聞いていた。読み終わると、次は? と言いたげに首をかしげた。かわいい。 続きはまた明日ね、と言うと、ひまわりはちょっと拗ねた顔をした。やっぱりかわいい。 それから毎日、私はお話をひまわりに読んであげた。 ひまわりが特に気にいった様子だったのは、私と同じ頃にサイトを開いた人の長編だった。 『トレイン』というハンドルネームのその人は、私と同年代で、トレーナーじゃないけどトレーナーの小説を書いていて、それが結構リアリティに溢れていて面白かった。年ごろと書き始めた頃が私に近かったのもあって、お互い切磋琢磨し合うライバルのような存在だった。 ひまわりは事あるごとに、トレインさんの小説を読んでほしいとせがんだ。こんなに好かれてるなんてうらやましいなあ、と私は思った。 ある日、私が用事から帰ってくると、ひまわりが私のパソコンの前に座っていた。 画面を見て難しそうな顔をしている。見ると、いつも小説を書くのに使っているメモ帳に、めちゃくちゃな文字列が並んでいた。 「……ひまわり、文章書きたいの?」 私がそう聞くと、ひまわりは恥ずかしそうに頬を染め、小さくうなずいた。かわいすぎる。 サーナイトは人に近い姿をしているけれども、人じゃないから文字を理解することは難しい。仮に文字を理解できても、文章を自分で作るのはもっと難しい。 でも、もしかしたらできるかもしれない。昔どこかで、人に化けて生活するキュウコンやらゾロアークやらメタモンやらの話を聞いたことがある。ひまわりだって文字は読めないけど私が読む小説の内容を理解しているみたいだし。 もしひまわりが文章を打てるようになったら、サーナイトの書く小説なんてものも読めるかもしれない。それはぜひ読んでみたい。 その日から私は、ひまわりにキーボードの打ち方を教えるようになった。 私が小説を書き始めてから3年が経った。 高校を卒業して、私は大学へは進まず、トレーナーになることにした。高校時代にバッジはほとんど集めた。これから先はポケモンを鍛えつつ、残ったバッジを回収してポケモンリーグへの出場権を得ることが目標。 バイトをして費用を稼いで、空いた時間に小説を書く。お金がたまったら旅に出る。なかなか忙しい毎日を送っていた。 地道にキーボードの打ち方を教えた結果、ひまわりはとうとう文章が打てるようになった。 サーナイトは腕は細いけれども指は結構太いから、なかなか軽快にはタイピングできない。パソコンを覚えたての人が1つひとつキーを押していくように、ひまわりもゆっくり丁寧に文章を打ち込んだ。 たまに教えてもいないのに顔文字なんてのも挟まっていて、ポケモンの成長ってすごいなぁ、と思った。 ある日私は、いつものコミュニティのチャットに入った。誰もいない。閲覧者もいない。まぁいずれ誰か入ってくると思う。 何気なく、普段使っていないメールサーバーを開いてみた。2年前にフリーのアドレスを取ってから、使っていないはずだった。 でも、履歴を見ると、なぜかつい最近使った形跡があった。 こちらから送られたメールは、ほとんど顔文字で埋め尽くされている、女子中高生っぽいメール。 そして送り先は、トレインさんだった。 私は顔文字なんてほとんど使わないし、最近トレインさんにメールを送った記憶もない。 気味が悪い。とりあえずトレインさんに連絡した方がいいかな。 そう思っていると、都合よくトレインさんがチャットに入ってきた。 トレインさんにメールの旨を伝えると、何か思い当ることがあったみたいで、明日会えないかと言われた。ちょっとびっくりしたけど、私も気になることだし、次の日はバイトもなかったので了承した。 これまでオフ会は参加したことがなかったのだけれど、まさか初めてのオフがこんな形になるとは思わなかったなあ。 トレインさんは、ひまわりも連れてきてほしいと言ってきた。 次の日、私はひまわりを連れて、パソコンも持って、待ち合わせの場所に行った。 駅近くのビルの前。ビルに向かって立っている男の人がいた。 トレインさんは、想像していたより背が高くて華奢な人だった。私の周りの男性がほとんどトレーナーで、旅の中で鍛えられた人たちばかりだから余計にそう見えたのかもしれないけれど。 連れてきて、と言われた時から薄々そうじゃないかとは思っていたけど、トレインさんにメールを送っていたのは、ひまわりだった。 トレインさんの話によると、トレインさんが小説の主人公のモデルにしていた女の子が、何とひまわりの元のトレーナーなのだという。 確かに、トレインさんの小説の主人公はサーナイトを持っている女の子だった。私は、ひまわりがトレインさんの小説を気に行った理由はそのせいだと思っていたのだけれども、どうやらそれだけじゃなかったみたい。 モデルの子……陽世さんに聞いた話を元に、トレインさんは小説を書いた。体験談のたっぷり詰まったその物語の主人公は、まるで陽世さんそのものだった。 だからひまわりは気がついた。物語の主人公と、それを書いている人の正体に。 「ハルはメール魔だったんです。旅に出ている間も毎日毎日、俺にメールしてきました。顔文字を使うのが大好きで、文章より顔文字が多いくらいで。きっとサーナイトは、ハルがメールを書いている様子を見て、メールの送り方を覚えたんでしょうね」 トレインさんはオムライスを食べながら、懐かしそうにそう言った。 「高校に入った頃に、今の小説コミュニティを知ったんです。話を読んでいるうちに、俺も書きたくなって」 「わかります。刺激受けますよね」 「ですね」 汗をかいたお冷のグラスをテーブルに置いて、トレインさんは小さくため息をついた。 「……もしハルが生きてたら、まだ冒険を続けてたら、きっともっといろいろな、楽しいことがあったんだろうなって。俺がキーボードを叩けば、ハルはまだ旅を続けられる」 「駄目ですよね。いい加減にしろこの未練たらたら男、って今頃怒ってるかもしれない。でも、もう少しだけ続けていたいんです。気持ちの整理がつくまで、もう少しだけ。……やっぱりまだどうしても、忘れられないんです」 「ハルは俺の親友で、幼馴染で、俺の……俺の、初恋の人だったから」 最後だけ少し照れくさそうに、トレインさんが言った。 目を離すと、たんぽぽが道端の青草をかじっていた。置いて行くわよ、と声をかけると、たんぽぽは慌てて走ってきた。 ひまわりはどことなく軽い足取りで、私の隣を歩いていた。懐かしい風景に嬉しくなったのかもしれない。 私は教えてもらった家のチャイムを鳴らした。しばらくすると、若草色のエプロンをつけた女性が出てきた。私は少しドキドキしながら言った。 「は、初めまして。連絡差し上げました……このサーナイトの、今のトレーナーです」 陽世さんのお母さんは、お待ちしていましたよ、と私とひまわりを温かく出迎えてくれた。 お仏壇に手を合わせた。初めまして、と心の中で挨拶した。 写真の中の女の子は、輝くような笑顔を浮かべていた。笑った時のひまわりによく似ている、と私は思った。 陽世さんのお母さんは、お茶をどうぞ、とガーデンテラスへ案内してくれた。 たんぽぽが、花壇のマリーゴールドに鼻先を近づけて、においをひくひくと嗅いでいる。ひまわりはそっと私の隣のいすに座った。 今朝咲いたであろう朝顔の花はしぼみ、薄茶色の殻につつまれた種がいくつもできている。枯れかけの向日葵は黄色の花弁を散らし、大きな頭をぐったりとうつむけて立っていた。 私は紅茶と、ブルーベリーがたっぷり乗ったケーキをいただいた。ひまわりはとても嬉しそうにしている。この子、ラルトスの頃からこれが好きなのよ、と陽世さんのお母さんが教えてくれた。 「私も旦那もポケモンの扱いには慣れていなくて、周りに世話してくれるような人もいなくて。それで仕方がなく施設へ預けたんだけど、その後のことって教えてくれないでしょ。とても心配していたのだけれど、あなたみたいな優しい人にもらわれて本当によかったわ」 「いえいえ。お母様やひまわりを見ていると、陽世さんがとてもいい人だったんだなっていうのが分かりますよ」 「あらやだ、嬉しいこと言ってくれるわね」 陽世さんのお母さんはそう言って照れたように笑った。ひまわりもぽっと顔を赤くした。 「陽世さんのお写真を見せていただきましたけど、とても笑顔がまぶしい人だなと思いました。まるで太陽みたいな」 「そうね。私たちの願いどおり、明るくて元気な子になったわ。あの子の名前はそう願ってつけたの。この世を照らす太陽のみたいな子になりますように、って」 太陽。そうか、太陽。 ひまわりの笑顔は、陽世さんから受け継いだ太陽だったのね。 夕日が電車の中を赤く染める。 ひまわりが何か言いたそうな様子だったので、パソコンを渡した。 かちかちとキーボードを叩く音。 ひまわりが画面をこちらに向けた。笑顔の顔文字がひとつ書かれていた。 私が笑うと、ひまわりも輝くような笑顔を向けた。 電車は山間の道を進む。私は窓を開けた。涼を含んだ風が髪を揺らした。 もうすぐ、夏が終わる。 ++++++++++The end |