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2009年9月4日。 今日は朝からデパートの7階で映画を見た。来年公開予定の最終話が前後編ってどういうことだろう。まとめてほしい。 ぶらぶら歩いていると、5階のゲーセンについた。まあちょっとのぞいてみようか、と中に入ってうろうろしていると、どこからか声が聞こえた。 『おーい……誰かー……』 辺りを見回すと、景品がいとつしか入っていない大きめのクレーン機があった。1回で200円かかる奴。ちなみに吊り下げられた奴を落とすタイプの。 『誰かー……』 ああ間違いない。この声、この中から聞こえてくる。 中をのぞくと、そこには長辺30センチくらいの直方体のパッケージ。プリントされている写真は、ギラティナ(アナザー)のフィギュア。かわいそうにひとつだけ吊り下げられている。 ってか何でフィギュアがしゃべってんだろう。 『おいそこの人間! ここから出してくれ!』 何だと。 まぁ命令されるのは嫌いだけど、ギラティナは嫌いじゃない。というか好き。連れて帰るのもいいかもしれない。 そう思って始めたけど、元々そんなにクレーンゲーム得意じゃないし、なかなか思うように行かない。 失敗するたびに文句言われるからもうやめようかと思ったけど、そうしたら途端に泣き落としでくるからやめられない。ちくちく良心刺激するのやめて。 結局3000円ほど使ってしまった。 本買いに行きたかったけど……しょうがないから諦めよう。 家に帰ってそいつを箱から出し、分離していた首と頭をくっつけた。 『いやー助かった! ずっと俺だけ吊り下げられっぱなしだったからさ』 「それはお疲れさんでしたギラちゃん」 『何だその呼び方は。ギラティナ様と呼べ』 「充分でしょうアンタには」 大体何でフィギュアを様付けで呼ばにゃならんのだ。そもそも威厳ないし。かわいいから「ちゃん」でいいじゃないか。 いや、だからそもそも何でフィギュアがしゃべるのかと。 『他の奴らはもらわれていったのに、俺だけいつまでたっても吊り下げられたままで不安だったんだ、いやマジで』 「まぁ小学校の夏休みも終わったしね。今日平日だし。どんまい」 『お前が来てくれて正直助かった』 「買う予定だった本買うのあきらめてまで拾ってやったのだ。存分に感謝するがよい」 要するに最後までもらわれて行かなかった余りものかギラちゃんは。 パッケージを見ると、今年の映画に出てきた奴ら……ディアルガとかパルキアとかアルセウスとかヒードランとかが描かれていた。 「ヒードランにも負けたんですかギラちゃん」 『それ以上言うな』 さすがにちょっとかわいそうになってきた。それにしても映画は8月半ばに見たけど、ヒードランの扱いひどかったな。 いやまぁでも去年のレジギガスよりまし……なのだろうか? 『それより』 「何?」 『腹が減った』 「…………」 こいつは本当にフィギュアなのかと。 要望通り、去年の末に近所のスーパーのゲーセンで取ったケーキ皿にケーキを乗せてギラちゃんの前に置いてやる。 コーヒーを入れるためにサイフォンに火をつけると、ギラちゃんが嫌そうな声で言った。 『甘いものは嫌いなんだが……』 「バラすよ?」 『スミマセン俺が悪ぅございました』 わかればよろしい。こいつの性格、絶対「なまいき」だな。 ぱっと見ケーキ減っているようには見えないけど、まぁフィギュアだし。細かいことは気にしない。 『……異常なほど甘いな』 「来週友達の誕生日だから試作したけど失敗した」 『手作り!? というか失敗作かよ!』 うるさいバラすぞ。 2010年5月30日。 「ただいまー」 『…………』 「ん? 何か随分と機嫌悪いねギラちゃん」 『……頼むから、目覚まし時計の隣に置くのやめてくれ』 「何で」 『何度寝ぼけたお前に頭叩かれたと』 「さーせん」 「ところで今日はドーナツ買ってきました」 『お、じゃあ俺は……』 「カリーパンは渡さん」 『……』 「あ、しまった。そういや参考書買ってくるの忘れた。まいっか」 『甘いものは苦手だと何度言えば』 「じゃあギラちゃんはなしで」 『……せめてコーヒーを淹れてくれ』 「はいはい。さーて、ゲームやろっと」 『お、ポケパークか? バトレボか?』 「今日こそ牧場に宇宙人は入れさせんぞ」 『何のゲームだ!?』 今日も居候は元気です。 「ところでさ、例のゲーセン潰れてたんだけど」 『マジで!? で、何になったんだ?』 「……本屋」 『…………』 |
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2009年9月4日。 世間では小学校の夏休みというものはもう終わったらしい。 そしてこのデパートに入っている映画館で、ポケモン映画の公開はもう終わったらしい。 ……で、俺はいつまでここに吊り下げられてりゃいいんだろうか。 ガラス越しに見える人はまばら。俺に目をやる奴は誰もいない。 待って待って待ちくたびれて、それでも誰も気付きやしない。 俺はすがるような思いで声をあげた。 『おーい……誰かー……』 俺の声が聞こえたのか、1人の人間が俺の方を見た。 2010年7月13日、午後5時過ぎ。 今日は午後が休講だったらしい家主が、ベッドの上で本を読んでいると思ったら、突然起き上がって台所へ向かっていった。 ボウルに白い粉、卵、牛乳を入れて小さな泡だて器でかき混ぜている。 『おい、どうした?』 「ホットケーキ食べたくなった」 『……』 何でこいつはこういう時の行動だけは異常に早いのだろう。いつもはやるべきことすらやらないのに。 俺はギラティナだ。いや、まあ、正しく言うとギラティナのフィギュアだ。 まぁ、何でフィギュアがしゃべってるのかとかそういう細かいことは気にしないでくれ。 俺は1年くらい前、ひとり寂しくゲーセンのクレーン機で吊られていたところを、ここの家主に拾われた。 あいつは勝手に俺のことを「ギラちゃん」と呼んでくる。失礼な奴だ。 俺は仮にもギラティナだぞ! 2008年の映画の主役だぞ!? まぁ俺自身はまだその頃まだこの世にいなかったけど。 「ヒードランにも負けた売れ残りが何を言うか」 家主はボウルの中身をかき混ぜながら言ってきた。 ……うん、多分こいつの攻(口?)撃、あくタイプだと思う。だって俺に効果抜群だし。 『……で、何でいきなりホットケーキなんだ?』 俺が聞くと、家主はコンロに火をつけようとする手を止めた。 「……その昔、自分がまだ小学校の低学年だった頃、学年誌に連載されていた漫画があってな」 『ほう』 「その中で、主人公がラッキーの卵を使った料理バトルに出る話があるんだ」 『なるほど、そこで作ってたのがホットケーキだったと』 「いや、作ってたのはアイスクリームだった」 『は?』 「アイス……ホットケーキにアイス乗せ……あ、ホットケーキ食いたい、って」 『…………』 今更だが、こいつの思考回路がよくわからん。 ベッドの上を見ると、家主が読んでいた本が置いてあった。ポケモンの漫画ではあったが、表紙に書いてあるのはダイパの主人公だ。 直接その漫画を読んだわけじゃなくて、別のを読みながら思い出してたのかこいつは。どこまで思考が飛躍してるんだ。よくわからん。 しばらくフライパンを温めて、濡れた布巾の上に置く。ジュウ、という音と共に布巾から蒸気があがる。 『何でわざわざ冷やすんだ?』 「このほうがきれいな焼き目がつくからじゃないの? 知らないけど多分」 『適当だな』 「本当はホットプレートで焼くのが一番きれいにできると思うけど……まぁ出すの面倒だし」 生地を30センチくらいの高さから落としながら家主は言う。ボウルに入っている3分の1くらいを入れたか。 フライパンを冷ますのはきれいに焼くため。高いところから落とすのはきれいな丸にするためだという。 こいつはホットケーキ作りにこだわりでもあるのだろうか。 「こだわりというか、『漫画に出てくるような』ホットケーキが焼きたい」 『漫画に出てくる?』 家主は真顔のまま、目を輝かせて言った。 「漫画とかアニメとか絵本でホットケーキと言えば出てくる感じ。きれいな円形で、円筒形と判断できる程度の均一な厚みがあって、表面がむらのないきれいなきつね色で、側面はクリーム色で、上に角切りのバターが乗ってて、はちみつもかかってて、ついでに3段以上重なってる。2段じゃ足りない。やっぱり3段は欲しい」 ……その熱く語れるくらいの情熱をもっと有用な方面に使えばいいのに。 火はやや強めの弱火。家主は片手にフライ返しを持って、コンロの前で仁王立ちしている。 表面が少しプツプツと泡立ってきた。ほんのり甘い匂いが漂ってくる。 『そろそろひっくり返してもいいんじゃないか?』 「待て……待つんだ」 家主はいつになく真剣な眼差しでフライパンをにらみつけている。 「火は弱火……焼けるのには意外と時間がかかる。ひっくり返す回数は極力少なくすべきだ。今ひっくり返すと間違いなく表面は肌色レベルの全然足りない焼き色。そして中には火が通らず生焼けとなる。ホットケーキを食べてる時にそれほど残念なことがあろうか、いやない」 『……』 「待つ。とことん、待つ。焦らず、待つ。ホットケーキにしろお好み焼きにしろ、釣りにしろ化学の実験にしろポケトレにしろ、心を静めて待つことが成功への秘訣なのだ」 『…………』 一体何がこいつをここまで駆り立てるのだろうか。 待つこと数分、ようやく家主が動いた。フライ返しをホットケーキの下に差し込み、ひっくり返す。 焼き面はつるりとしたきつね色。家主はため息をついた。 「 完 璧 だ ……! 」 今のこいつを止められる奴がいるだろうか、いやいるわけがない。 というか、関わりたくない。少なくとも俺は。 しばらくして、家主が皿を片手に居間へ戻ってきた。 皿の上にはホットケーキが3枚。いずれも焼き色は上々だ。 だが家主は眉間にしわ。明らかに不満顔だ。 『どうした、気に食わないことでもあるのか?』 「……厚みが」 曰く、全体の厚みが均一でなく、真ん中が膨らんでふちが薄い、どら焼きの皮のような状態になったと。 あと生地の配分がいまひとつで、1枚1枚のサイズがあまりそろわなかったと。 そのくらいいいだろ、と俺は正直思ったが、声に出したら頭と胴体分離されそうだったからやめた。 ホットケーキに角切りのバターを乗せて、はちみつのなみなみ入ったハニーディスペンサーを傾ける。 というか、時間的にもう夕食の時間じゃないか。ということは、もしかしてこれが今日の夕食か。 『お前、そんなに甘いものが好きなのか?』 「残念ながら、甘いものはそこまで好きではない」 『……ならなぜはちみつをかける』 「ホットケーキにはバターとはちみつと相場が決まっているだろう」 『そんなだから太るん』 「よっぽど頭からはちみつをぶっかけられたいようだなギラちゃん?」 『誠に申し訳ございませんわたくしが悪ぅございました謝りますからハニーディスペンサーを頭上に持ってくるのやめてください』 バラされるよりよっぽど悲惨な目に会うところだった! 「……まあ、途中で飽きそうだからいろいろ用意はしておいた」 『例えば?』 「チョコレートシロップ。ケチャップ。マヨネーズ。からし。のりのつくだ煮。ピザソース。しょうゆ。みそ。ポン酢。お好みソース。レタス。サラミ。丸のままキュウリ」 『待て。キュウリは切れよ』 「面倒くさいから丸かじりする」 「うん、ケチャップとマヨネーズは意外と合う。レタスとサラミが更にいい」 『そうか?』 「ハムとかツナマヨのクレープあるじゃん。あんな感じ」 『完璧におかずだな』 「惜しむらくは少しぱさついてることだ。口の中の水分が吸い取られる」 「で、ギラちゃん。もうすぐアンタを拾って1年経つわけだが」 『そうだな。あと1ヶ月半くらいだな』 「ということは、もうこの夏のポケモン映画は上映されてるわけだ」 『!!』 「残念だな。新しい映画が公開されて、ゲームも新しいバージョンが出て、旧作の主役はどんどん影が薄くなっていくわけだ」 『うおぉぉ……もうフィギュア作られて売れ残ってひとり拾われるのを待つ、っていう経験も出来ないわけか……! 嬉しいような悲しいような……!』 「まぁいずれにせよ、アンタ自身はそういう経験はもうしないんだからいいじゃないか」 『そうか? まあ……そうだな』 「ま、新バージョン出たら、この部屋に来た人に『え、まだそのフィギュア飾ってるの?』とかは言われそうだけど」 『……』 今日も家主は相変わらずだ。……いい意味でも悪い意味でも。 「とりあえず、焼き方に関しては研究が必要だな」 『え、まだやるのか?』 「あのホットケーキミックス、3袋入りなんだ」 『何だと』 「卵と牛乳の賞味期限もあるし、あと3日はホットケーキだな」 『…………』 |