「か〜らいの〜がすき〜♪ そん〜なあな〜た〜は〜♪ さ〜み〜し〜が〜り〜や〜の〜♪ こ〜ねこちゃ〜ん♪」 始終外れた調子で謎の歌(多分自作)を口ずさみつつ、そいつは小さなお玉で鍋をかきまぜていた。 俺は半開きだった窓を全開にした。目から勝手に涙がぼろぼろと零れおちてくる。ついでに鼻水も止まらない。 「おい、早くさっきの試食してくれよ」 そいつは赤というより紅、そう、真紅と言う言葉がふさわしい色合いの鍋の中身をひたすら混ぜつつ、傍らの皿を指差した。少し前まで穢れのない真っ白な肌をしていたその皿には、今は赤やら緑やら黄色やら黒やら、様々あるがどれもこれもどぎつい色をした物体が山盛りにされている。 認めたくはない。もしこれをそうだと言ってしまったら、俺は全国1500万人(適当)のコンテスト愛好家を敵に回すことになる。 しかし、現実は残酷だ。少なくとも俺にとっては。 鼻歌交じりに鍋をかき混ぜているこいつがそうだと言えば、俺はそれを認めざるを得ない。 ああ、いろんなところがひりひりする。 ため息をつきつつ。俺はまだ試食、否、毒味をしていない、赤黒い色をしたそれ……ポフィンを手に取った。 +++誰でもいいからください+++ 「ひたすらに辛いポフィンを作ろうと思う」 いきなり人のアパートに襲来したそいつは、口を開くなりそう言った。 こっちが返事をするのも待たず、そいつは勝手に俺の居住スペースへ上がり込んできた。くたびれたリュックから独り暮らしの男の部屋には似つかわしくない黄色いポップなデザインの鍋を取り出し、貧相なちゃぶ台の上に置く。さっき刺したばかりの携帯の充電器を勝手に抜き、開いたコンセントの穴にその鍋から伸びるコードを刺した。 こいつのこういう傍若無人な振る舞いは生まれた時から休むことなく受け続けている。もうとっくの昔に慣れっこだ。 初めての顔合わせは病院の新生児室。生まれたばかりの俺の隣に寝かされていたのがこいつだった。 何の因果か家も近く、遊び相手は生まれた頃からこいつだった。 保育所から幼稚園、小学校、中学校、高校までずっと、学校どころか教室までずっと同じ。大学も同じだったけどさすがに学部は違った、と思ったらアパートの部屋がベランダを挟んで向かい同士だった。 俺とこいつの間には腐れ縁というか、腐りきってすでに原形をとどめていない異臭のするおぞましい何かが横たわっているんだろう。多分。 こいつはどうも、遠慮やら礼儀やらそのあたりのモノを親の腹に置き去りにしてきたらしく、何というか、まあ、うん、自由奔放な性格をしている。……いや、悪い奴じゃないんだけどさ。腐り果てた縁とはいえ、俺はかれこれ20年以上もこいつの友人をやっているんだから。 確かに、こいつの自由奔放すぎて周りを気にしない性格のせいで、物心ついた頃から今まで、大なり小なり被害を受けたような記憶はある。 「腹が減った」と飯をたかりに来るのは毎日のこと、ある日突然「ポケモン捕まえに行くぞ」って何の装備もなく草むらに放り込まれたり、いきなり早朝やってきて「コンテスト出るから付き合え」って遠くシンオウ地方への日帰り旅行に連行されたり。 ……うん、ちょっと待って。何で俺、こいつの友人やってるのかわからなくなってきた。自分で言ってて哀しい。 俺がひっそりと頭を抱える横で、そいつはちゃぶ台の上にきのみやら何やらをリュックから取り出しては並べていた。……って。 「おいちょっと待て。何だその粉やらチューブやら怪しいビンやらは」 「調味料」 「待て待て待て待て。ポフィンを作るのに何でそんなモンが必要なんだ」 「言ったじゃん。ひたすらに辛いポフィンを作ろうと思う、って」 「だからって何でこんなに」 俺はため息をつきつつ、並べられた調味料を順に眺めた。 「七味、一味、タバスコ、豆板醤、デスソース、青トウガラシ、ワサビ、粉カラシ、サンショウ、藻塩、塩辛……待て待て待て」 「今度は何だよ」 「何でこんなバラエティ豊かなんだよ」 やれやれ、とそいつは首を振った。 「あのなぁ。ひと言で『辛い』って言っても、その辛さってものに種類がいろいろあるだろ。お前、トウガラシとワサビは同じ辛さだと思うか?」 「いやまぁそりゃ確かに違うけどさぁ」 「だろ? それぞれ違う辛さってもんがあるじゃないか。トウガラシとかワサビとかカラシとかサンショウとか塩とか」 「塩の辛さはちょっとベクトルが違いすぎじゃないか? 塩辛も」 「一応辛いって言ってるじゃん」 「俺はどっちかっていうと塩はしょっぱい派だけど」 「いいの。とにかく、うちのエネコちゃんがどの種類の辛さが好きなのかわかんないし、色々試してみようと思ってさ」 俺はベッドの上に目線を移した。飼い主と同じく自由奔放な桃色の猫が、人の寝床で勝手に丸くなってあくびをしている。 忘れもしない、今カバンの中から今度はきのみを取り出しては並べているこいつの16の誕生日の1週間前。 「雑誌読んでたらかわいいの見つけたから今から捕まえに行く」とか言って、お互いポケモン持ってないのに朝っぱらから無理やり引きずり出されて、俺だけ丸腰のまま草むらの中に放り込まれたっけ。 「ポケモン全然出てこないんだけど」って、そりゃお前両手に包丁持ってる奴が眼をぎらぎらさせて「かわいい子はいねぇが〜」とか言ってたらポケモンもびびるわ。 俺の方は身を守るもの何もないから傷だらけだし。お目当てのエネコはなかなか出やがらねぇし。ようやく出たと思ったら「オスはいらねぇメスがいい」とかわがまま言ってまた探しなおしだし。通りがかりの人にびっくりされて通報されるし。警察に散々説教されるし。 散々な思いをしてようやく手に入れたエネコのお嬢様を、こいつが溺愛するのはわからんでもない。確かにかわいいし。エネコに向けてるその愛の1億分の1でもいいから俺に向けてくれればこの何とも言えない哀しみも多少は和らぐような気がするんだけどなぁ。 でも正直、自由奔放な奴が増えて俺は頭を抱えたいのも事実だ。だってこの猫、捕まえたばっかりの頃から俺の部屋を我が物顔で闊歩してるんだもん。 ベッドを占領されるのはいつものこと、コタツに足を入れた瞬間中にいたこいつに足をかまれるなんてことも冬は日常だ。そして大体そういう時は、こいつの飼い主も勝手に人の部屋でくつろいでたりする。 ……うん。何で友達やってるんだろうな、俺。もうわからん。自分がわからん。 「で、ポフィンを作るのはわかったけど、何でわざわざ俺の家でやるんだよ」 「だって辛いの嫌いだもん」 「……つまり俺に毒味をしろということか」 「毒味じゃなくて、味見だって。いいじゃんお前辛いの好きだろ? 50倍のカレーばくばく食ってたじゃん」 「あれはお前が勝手に注文した奴だろ。そりゃ確かに嫌いってわけじゃないけど」 「じゃあいいじゃん。ちょっと食べて、一番辛い奴選んでくれればいいからさ」 そう言って、そいつはきのみを刻み始めた。ベッドの上のエネコがにゃあんと鳴いた。 冒頭に戻る。 俺が学んだのは、狭いアパートの部屋で大量の辛い物質を加熱するという行為は、ある種のご近所テロになる危険性があるからやめた方がいいということだ。 何だかんだで辛さのベースにしてるのはトウガラシ系が多い。 そういえば登山部の奴らが、山でリングマやらその他危険な大型ポケモンに襲われた時のために、トウガラシのスプレーを持って行くと言っていた。顔に向けて噴射すれば大きなポケモンでも悶絶し、皮膚についただけでも炎症を起こすというまさに劇物そのものだ。なにそれこわい。 その類のものが、今俺の部屋で生成されていると考えると、テロになる危険性じゃなくてもはやテロそのものなんじゃないかと思えてくる。こいつのせいでまたご近所さんに何か言われると思ったらもはやため息しか出ない。はぁ。 刺激物の発生源の一番近くにいるはずのあいつは何で平気なんだろう、と思って見てみると、いつの間にか肘まであるゴム手袋とガスマスクのような何かを装備していやがった。 ちくしょう。そんな装備をしなきゃならないなんてもはや食物じゃないだろうそれは。準備してるってことは薄々分かってたんだろ。お前は一体何を生成しているんだ。化学物質か。新手の兵器か。黒魔術の触媒か。 でもギリギリ食えないことはないんだよな。ギリギリだけど。刺激強いの食い過ぎていろんな所がマヒしてるせいかもしれないけど。 なるほど、辛いと熱いと痛いは同じ神経っていうのがよくわかった。出来れば一生わかりたくなかったけど。 机の上に並んだどぎつい色とりどりのポフィン(のような何か)を一応全部毒味した。何だったんだろうこの苦行。 鍋を洗ってゴム手袋とガスマスクのような何かを外したそいつは、人の家の冷蔵庫から勝手に牛乳を取り出して聞いてきた。 「で、結局のところどれが一番辛かった?」 「我慢できないほどに辛いのは……これ、かな」 俺は机の上に並ぶポフィン(多分)の中でもひときわ怪しい、黒っぽい茶色っぽい紅色のを指差した。いやもう途中というかわりと序盤から味とか何とかよくわかんなくなってたけど。 そいつはそうかこれかー、と言って、タオルケットの中に潜り込んでいたピンクの猫(こいつは子猫と歌っていたが断じて子猫ではない)を引っ張りだしてきた。 「ほーら、大好きな辛いものだよー」 エネコは皿の上のポフィン(?)に鼻を近づけ、ひくひくとにおいをかいだ。 すると、エネコはクシュンと小さなくしゃみをして、全く口をつけることなく顔を背けると、にゃあんと鳴いてそいつの膝の上で丸くなった。 「あれー? おかしいなあ。ほらー、食べろよ―」 「辛すぎたんじゃないか? さすがに」 「えー。でもこいつ、辛いもん好きなはずだぜ?」 「そもそも、さ。お前のエネコが『辛いもの好き』っての、俺初めて聞いたんだけど」 「でも、昨日トウガラシあげたら、めっちゃ嬉しそうに食ってたもん」 なー? とそいつは膝の上のエネコをくすぐった。エネコはごろん、と仰向けになり、自分のしっぽを抱えて遊びだした。 「っていうか、お前のエネコの性格って『さみしがり』だったっけ?」 「だって、帰ってくるとすげー嬉しそうにするぜ? すげー甘えてくるし」 「でも、時々何日か勝手に外に遊びに行ったりするじゃん。構うと怒ることもあるし」 「……あれ?」 俺はそいつのカバンの中から、クラボとカゴとモモンとチーゴとナナシのみを取り出して、皿の上に並べ、エネコの前に出した。エネコはにゃあと嬉しそうに鳴いて、あっという間に全部の実をたいらげた。 まあ、薄々っていうかもう見てわかるくらいはっきりしてたけど。俺はため息交じりに言った。 「お前のエネコ、『きまぐれ』だわ」 ぽん、と手を打って、「それがあったか!」とでも言いたげな表情を浮かべるそいつ。気づけ。何年一緒に暮らしてるんだ。 いや、ここまで口を出さなかった俺もそりゃ悪いけど、でもこんな自信満々に辛いもの好きとかさみしがりとか言われたら、そうなのかと思うだろ。そういうの調べるの得意な人に調べてもらったのかと思うだろ。何なんだよもう。泣きたいよ俺。まじで。まじで。まじで。 ひどく無駄にした今日という日。それに加えて、この後控えているポフィンっぽいものの山の処理とか、ご近所への対応とか、未だにひりひりする体のいろんな所とか。 何を考えても、ため息しか出てこない。……はぁ。 ああもう。誰でもいいから、もっと哀を……間違えた、愛をください。 エネコがまた俺のベッドを勝手に占領して、にゃあんと満足そうな声を上げた。 +++++++++The end |