朝からベッドに寝転がって、パソコンの画面に張り付いている。 お気に入りに入っているあるサイトに書かれていた文字を見て、僕は飛び起き、着替えも忘れて近くのゲーム屋へ駆け込んだ。 ***** 真っ白なカバーのかかったベッドから体を起こす。外は今日も気持ち良さそうな風が吹いている。 やれやれ、随分長い間眠っていた気がするなあ。ボクはあくびをしながらそんなことを考えた。 +++Restart←:→Start▼+++ ベッドに入ったまま、ボクは部屋を見渡した。 シンプルな机に最新のパソコン。壁にはタウンマップがかかっていて、ラジオからはオーキド博士のポケモン講座が流れていた。 おかしいな、昨日の夜切り忘れたのかな、とボクは思った。 ボク、昨日の夜って何してたんだっけ。 ……何でだろう。 何も思い出せない。 昨日の夜のことも、これまでのことも、そしてボク自身のことも。 自分が何者なのかはわかっている。 名前もわかる。ボクはこのワカバタウンに生まれて、母さんと2人暮らし。隣りに住んでいるウツギ博士とは、ボクが小さい頃からの知り合い……ということはわかっている。 でも、ボクは今まで何をしていたのか、どんな生活を送って来たのか、それが全くわからない。 それを思い出そうとすると、なぜか、さっきまで見ていた夢を思い出す。 ボクそっくりの男の子が、ポケモントレーナーになってこのジョウト地方を旅する夢。 ***** 「すいませんっ! 予約、したいんですけどっ!!」 僕はゲーム屋に駆け込むなり、レジの中にいたバイトの店員にそう言った。店員は一瞬驚いたような顔を僕に向けたけど、ああ、とすぐに気がついて書類を出してきた。 「ハートゴールドとソウルシルバー、どちらを予約されますか?」 「両方!」 聞かれるまでもなく、僕は即答した。 「ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー」。 ポケモンのシリーズ最新作にして、10年前発売された「金・銀」のリメイクバージョン。 予約が今日からっていう情報をネットで見て、僕はすぐさまアパートを飛び出した。 ポケモン金・銀。僕にとっては本当に『特別』な作品だ。 1996年2月。初代ポケモン赤・緑が発売された。 発売されたその時、僕は小学校に上がる直前だった。そして小学校に上がったころには、まさに爆発的としか言いようのない流行になっていた。 クラスの奴らやその兄弟はみんな、休日には通信ケーブルとゲームボーイ、または当時の最新機種だったゲームボーイポケット片手に、公園とか友達の家で通信に夢中になっていた。 僕は持っていなかった。ゲームというものは小学生になりたての僕にはあまりにも高価すぎて、とてもじゃないけど買えなかった。唯一の頼みは親だけど、僕の親はゲームが嫌いで、買ってくれるなんて夢のまた夢だった。 それでも僕は、ポケモンが大好きだった。 友達と一緒に毎日ポケモンの絵を描いたり、持っている人に技やタイプといったものを教えてもらったりした。 姉が毎月買っていた雑誌で漫画の連載が始まるとそれに夢中になり、テレビでアニメが始まると、地方に住んでいる僕の町では早朝6時から始まっていたにも関わらず、毎週かじりつくように見ていた。 ずっとそうやって過ごしてきたから、知識は他のみんなと同じくらいあった。 だけど、実際にプレイしたことは1度もなかった。 ゲームを持ってる奴らが、本当に羨ましかった。 それでも僕は、ポケモンが大好きだった。 そして1999年11月、ついにあのソフトが発売になった。 ***** 夢の中の男の子はボクと同じくらいの年で、赤いフリースに黄色いハーフパンツで、ボクの服装とは少し違っていたけれど、かぶっている黄色と黒のキャップはボクのものとそっくりだった。 その男の子はボクと同じように、ワカバタウンの一軒家の2階に住んでいた。 ボクとそっくりだったけど、ボクとは違うっていうことが何となくわかっていた。 1階のリビングに下りると、男の子のお母さんが駆け寄ってきた。その手にはポケギア。随分前に修理に出していたとか。男の子がそれを腕につけると、お母さんはウツギ博士が呼んでいたと言ってきた。 男の子はそのまま家を出た。 男の子はウツギ博士からポケモンをもらって、ウツギ博士から頼まれたお使いをしに行った。 お使いに行った先で、男の子はオーキド博士にポケモン図鑑をもらった。そしてそのまま、トレーナーとして冒険を始めた。 そこから始まった、長い長い夢。 ***** 僕と主人公は、あの時同い年だった。 「ポケットモンスター 金・銀」。 初代の発売後から噂されていた「ポケモン2」。そいつがついに現実になった。 僕の当時の小遣いは月300円。それを僕は「いつか」のためにコツコツと貯めていた。 そして雑誌で発売のことを知った僕は、近くの玩具店に走り、親には何も言わずに勝手に予約をした。 ……まあ、後で電話がかかってきて結局親にはばれたわけだけど。 いやぁ、あれほど怒られた日はこの19年の人生で他になかったなあ。 そして発売日。だけど僕はその日にゲームを手にすることができなかった。 あまりにも人気すぎて、工場にすら在庫が残っていないって店の人が言ってた。僕が住んでたのが超ド田舎っていうのもあったかもしれないけど。 次の入荷を、僕はやきもきしながら待っていた。夜も眠れないというのはあんなことを言うんだろうか。 僕がソフトを手にすることができたのは、12月に入ってからだった。 あの日のことは今でも忘れられない。 メタリックブルーのパッケージ。それを手にした時の心臓の高鳴り。 生まれて初めて、「感動」で泣いた。 さすがに小学生の僕に、ゲームボーイ本体まで買う経済力はなかった。 月々に3枚だけもらえる銀色の硬貨を長年貯めて、ようやくソフトが買える程度だったのだから。 当時の最新機種はゲームボーイカラー。当然欲しかったけれど、僕にとっては夢のような存在。 でも当然ハードがなければゲームはできない。僕は、近くに住んでいる同級生の家に行って、本体を借りてプレイしていた。 親が寛容でゲームを山ほど持っていたそいつも、まだポケモン金・銀は持っていなかった。俺は少し優越感を感じていた。 だけど、本体を持っていない僕はそいつの家に行って借りないとゲームを進められない。もちろん毎日そいつの家に行けるわけもなく、それにたびたび借りに行くのも申し訳なくて、僕はちまちまとゲームを進めていた。 間もなく金・銀を手に入れたそいつは、あっという間に僕が進められていないところまでゲームを進めていった。アイツが金銀を始めたから、僕は一層本体を借りに行くのがためらわれた。 自分の好きな時に使える本体が欲しかった。銀色のソフトが恨めしそうに僕を見ていた。 親に頭を下げたけど、当然買ってくれるわけがなかった。 その年のクリスマス。僕は初めて、親からクリスマスプレゼントをもらった。 見覚えのある玩具店の袋から出てきたのは、クリアパープルのゲームボーイカラーだった。 それから僕は、朝も夜も忘れて夢中でゲームをプレイした。 ***** 休む間もなく、男の子は走り続けた。 行く先々にあるジムを次々と攻略していった。 ロケット団という怪しい集団と戦って壊滅させた。 ポケモンリーグに挑戦して、チャンピオンを打ち負かした。 カントーにも足をのばして、そこのジムも攻略していった。 そしてシロガネ山の奥に行き、伝説のトレーナーを倒した。 1周だけじゃなかった。何周も何周も、男の子は夢中で旅をした。 ある時はポケモンをとことん強くしようとし、ある時は図鑑を完成させようとし、ある時は何かよくわからない術を……いや、やっぱり何でもないや。 何度も旅してたけど、それでも、男の子の楽しそうな顔はずっと変わらなかった。 だけどある時、突然、男の子は立ち止まった。 ***** クリスタル、ルビー、サファイア、ファイアレッド、リーフグリーン、エメラルド、ダイヤモンド、パール。時が過ぎるごとに、ポケモンのソフトは増えていった。 ハードも進化して、ゲームボーイアドバンス、アドバンスSP、そしてDSと次々と変わっていった。 僕も中学、高校と年を重ね、少しずつ経済力をつけていった……というか月々の小遣いが値上がりした僕は、少し頑張れば新しいソフトもハードも買うことができた。 さすがに本体は厳しいところもあるけれど、それはまあお年玉という未成年だからこその収入があるから何とかなる。 だけど、初めてあいつを手に入れた時ほどの感動はやっぱり得られなかった。 年を追うごとにソフトは進化した。 ポケモンの数も飛躍的に増えた。 周りの奴らは、あの頃夢中でポケモンをやっていた友達は、みんなポケモンに興味を示さなくなった。 そして僕は、初めて手にしたアイツのことを忘れていった。 ある日、ふと思い出した僕は、久々に冒険をしようと、ゲームボーイカラーの電源を入れた。手にした本体はびっくりするほど分厚く感じた。 僕がリアルタイムで手にすることができなかった初代が、アドバンスでリメイクされたのがきっかけかもしれない。いろんな地方を旅していると、無性にジョウト地方が恋しくなった。 あの頃一緒に旅をした仲間たちは、今もカートリッジの中で待ってくれているだろうか。 だけど、電源を入れると、僕があの頃夢中で進めた冒険は全て消えていた。 ショックで足元が崩れ落ちたようだった。 ***** 男の子は家に帰った。 共に旅をしたバッグを放り投げると、まずはポケモンたちを手放した。 パソコンの電源を付けると、部屋に飾っていたぬいぐるみやポスターやゲーム機を全部片付けた。 男の子は服を着替えて、あくびをしながらラジオを付けた。 そして思い出したように、図鑑を放り投げた。 全てが終わると、男の子は大きく伸びをして、まっ白なシーツのかかったベッドに身を滑り込ませた。 ***** 気がつくと、僕は主人公より10歳近く年上になっていた。 僕は大学生になった。 大学では、僕と同じくまだポケモンを続けている奴らがたくさんいた。長いこと仲間がいなかった僕は本当に嬉しかった。 大学に入ってからプラチナが発売されて、みんなで集まってそれを楽しんだ。 そこで聞いた。みんなも当時手に入れた金銀のデータが消えてしまったこと。もう一度、あの冒険を待ち望んでいることを。 あの時の感動は、高揚感は、もう得られないかもしれない。 それでも、あの冒険をもう一度。 僕はずっと、心の中でそう願っていた。 そんな時だ。ネットをしていて、待ち望んでいた「リメイク発売決定」の文字を見つけたのは。 ***** ボクはベッドの上で、ゆっくりと部屋を見渡しながら考えた。 あれはなんだったのだろう。本当に夢だったのかな。 いやにはっきり覚えているし、しかも異様に長い。 あれはもしかして僕のこと? 最初はそう思ったけれど、でもそれは違うと、何となく直感でわかった。 あの夢に出てきた男の子は「ボク」じゃない。 だけど……もしかしたら「僕」かもしれない。 ***** 9月12日。 僕は朝起きるなり、すぐに自転車を走らせてゲーム屋へ向かった。 朝9時の開店と同時に店に到着、すぐに店内へ駆け込む。バイトの店員はやっぱりお前か、みたいな顔でこっちを見てきた。 叩きつけるように1万円札を店員に渡し、釣り銭を受け取ると、僕はすぐさま自転車に飛び乗った。 サークルなんて知るか。僕にとってはこっちが最優先事項なんだ。大体今大学は夏休みなんだから自由にさせてくれ。 僕はそう心の中で呟きながら、ゲーム屋の袋から箱を2つとりだした。 金と銀。ホウオウとルギア。待ちに待ったリメイク。 最初にどっちからやろう。一瞬考えたけど、答えはすぐに出た。 僕はルギアのパッケージを手に取った。 生まれて初めてやったポケモン。僕にとって人生初の、最高のパートナーだったアイツ。 箱からゲームを取り出した。 手が震えた。心臓が口から飛び出そうだった。初めてアイツを手にしたあの時に、限りなく近い感覚だった。 一旦取り出したゲームを机に置いて、コーヒーサイフォンに水を注ぎ、アルコールランプに火を付ける。とにかく一旦落ち着かないとやばいほど、僕の胸は高鳴っていた。 サイフォンをセットして、DSにゲームを差し込み、電源を入れる。 ロゴが出て、オープニングが終わる。興奮と感動で呼吸が上手くできない。 次に出てくるのはオーキド博士だ。記憶をたどり、僕はごくりと唾を呑んだ。 『……おや、君か』 不意に画面に現れた文字に、僕は釘づけになった。 呆然としていると、画面の中のオーキド博士は更に話を進めた。 『懐かしいのぉ。君があの日、きらきらとした眼でこの画面を見ておったのを、わしは今でもよく覚えておるよ』 あの日のことは忘れられない。 友達の家に駆け込んで、アイツをやらせてもらった日のことは。 『カートリッジを買うのも手間取って、本体もなかなか手に入らず、ずっとやきもきしとったのぉ』 ソフト1本買うのも必死だった。 だから一層好きになった。 今ではもっと楽に買えるけど、それでも。 『バックアップの電池も切れてしまって、君には寂しい思いをさせたの』 どうしても欲しかったあのカートリッジは、僕の1番のパートナーは、もう上手く動いてはくれない。 だけど。 『随分と待たせたの。ようやく君に図鑑を返せる日が来たんじゃよ! ほっほ!』 ずっと待ち望んでいたんだ。 この日が来るのを。 『君ももう一度、かつての仲間たちと会いたいと思うじゃろ?』 一度と消えてしまった冒険は、もう戻せない。 だから、これからやりなおすんだ。 『君はずいぶん大人になってしまったが……』 あの頃、僕は10歳だった。 今の僕は19歳。もうすぐ20歳になる。 10年の年月は長かったけれど。だけど、僕の心はあの頃から変わっていない。 『……もう一度、ジョウトの旅へ出てはくれんかの?』 湯が上がり、コーヒーサイフォンがごぼごぼと音を立てた。僕はその音ではっと我に返った。 画面を見ると、オーキド博士はいつも通り、『ポケットモンスターの せかいへ ようこそ! ▼』という文字を見せていた。 やっぱり幻覚だよな、と、僕は淹れたてのコーヒーをすすりながらため息をついた。 だけど、変わらない。 むかしのこども、いまのこども。 おとこのこでも、おんなのこでも。 みんな、同じ。 ポケモンが大好きだから。 「僕」の冒険が、再び始まる。 ***** 窓を開けたら、柔らかい風が吹きこんできた。 この町はワカバタウン。「始まりを告げる風が吹く町」。 ボクはベッドから起き上がり、階下のリビングへ向かった。 「ボク」の冒険は、これから始まる。 +++++++++Start or Restart! |