こんにちは。こんばんは。おはようございます。久方小風夜です。 当小説をお読みになる前に、注意事項です。 この小説は「ポケモン不思議のダンジョン 空の探険隊」のスペシャルエピソード−5、「暗黒の未来で」のネタばれを多量に含んでいます。 むしろネタばれ前提です。 そのことをご了承のうえ、『闇世の嘆き 時の護役 Special Episode:空の言伝(そらのことづて)』、どうぞお読みください。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。 世界が消える夢を見た。 何もない空間、いや、空間さえも崩れていく。光に包まれ、跡形もなく消えていく。 光が欲しかった。 だがしかし、わたしが待ち望んでいたのはこんな光じゃない。 血のような涙が一粒、『無』の空間に堕ちて、消えた。 Special−Episode:空の言伝 「よ、ヨノワール様ぁ……」 ぽた、ぽたと顔に当たる雫で目が覚めた。 目を開け、頬についた液体を手で拭う。赤くない。透明だ。 傍らではヤミラミたちが、鉱石のような目を情けないほど濡らしてこちらを見ている。やれやれ、泣くんじゃない。それでもわたしの部下か。そう言ってやると、ヤミラミたちはぴたりと泣き止んだ。 空を見上げる。光のない黒の空。 ああ……帰って来たんだな。この世界に。つい先刻、過去の幻の大地でつぶやいたものと同じことを心の中でつぶやく。 何より疲れていた。過去で受けた傷がひどく痛む。近くに奴の姿がなければ、全て諦めてそのまま眠ろうかと思った。 ジュプトルはまだ目覚めていないようだった。姿を見るなり、わたしは怒りが沸き上がってきた。 また邪魔をされた。またうまくいかなかった。この男のせいで!! 思わず首でも絞めてやりたい衝動に駆られたが、動こうとすると全身が引き裂かれんばかりの痛みが襲い、とても動けなかった。 痛みで逆に頭が冷えた。そうだ。冷静さを失ってはいけない。 今ここでこの男を殺してどうなる。過去の世界に少年たちがいる限り、わたしがこの世界で何をやろうとも無意味だ。 しかし、希望を捨ててはいけない。この世界はまだ消えていない。過去の現象がこの世界に影響を及ぼすには、少しだけ時間がかかるようだ。 まだ間に合う。再び過去の世界へ行くことさえ出来れば。しかし、時を渡るのはディアルガ様といえども大変な負担がかかる。わたしを2回も過去へ送った今、ディアルガ様はずいぶんお疲れになっているはずだ。 考えろ。ディアルガ様が疲弊している今この状況で、再び時空を渡るにはどうすればいい? そもそも、手負いのわたしがそのまま過去へ渡って、少年たちを止められるか? 彼らは明らかに強くなっている。わたしは今この身を動かすことさえ困難だというのに。 考えろ。 この男が目を覚ませば、何を考え、どういう行動に出る? 過去を変えた影響がまだ出ていないことを知ると、この男は必ず、それを確実に成功させるために行動するだろう。 少年たちを止めさせないためには、ディアルガ様が過去へ再び刺客――その場合無論わたしのことだが――を送らせないようにしなければならない。だからこの男は、何としてでもディアルガ様を倒そうとするはずだ。 ジュプトルは用心深い男だ。過去の世界で働いている少年たちをいくら信頼していようとも、念には念を入れるはずだ。 ……信頼……。 ……そうだ、その手があった。わたしは傍らの気絶している男を見てひらめいた。 信用されないならば、される姿になればいい。 ここからずっと北の空間を渡ったところに、氷塊の島と呼ばれる孤島がある。その島の奥地にある氷柱は常に放電していて、その電撃に触れると魂を抜かれるという。 それを使ってこの男の魂を抜き、空になった身体にわたしが取り憑つけばいい。わたしもゴーストだ。誰かに取り憑いたことはないが可能だろう。 わたしは計画をヤミラミに伝えた。 ディアルガ様に協力していただき、時限の塔から離れていただくこと。 ジュプトルを氷塊の島へおびき寄せるため、セレビィを捕らえること。ヤミラミでは厳しいだろうが、ディアルガ様に協力していただければたやすいだろう。 そして奴を確実に導くため、わたしがディアルガ様に裏切られ、奴に協力する風を装って、共に行動すること。 確実に信頼させるために、「わたしたち」の進む先に罠をはり、「わたしたち」攻撃すること。それも本気で。 最後の命令だけ、ヤミラミたちは難色を示した。過去で裏切った奴がいまさら何を言う、と言ってやると、気まずそうに顔を見合わせてしぶしぶ了解した。 行ってこい、と言うと、ヤミラミたちは一斉に動き出した。 あとに残ったのはわたしとジュプトルだけ。 疲れが噴き出し、傷が痛む。わたしはうつぶせに伏した。 とりあえず、少しばかり眠るとしよう。 どのくらい経っただろうか。足音と声で目が覚めた。 眠気と倦怠感と痛みが身体にのしかかってくる。死んだように眠っていたせいか、全く頭が働かない。 重い頭のまま視線を巡らせると、起き上がっている緑色の影が視界に入った。その瞬間、それまで切れていたスイッチが一斉についたように、わたしの頭は唐突に動き始めた。 真っ先に、激しい嫌悪感が湧き上がってきた。 「うぐぐっ……ジュプトル! ジュプトル! 貴様ぁぁぁぁっ!!」 感情のままに動いたが、次の瞬間激痛が走った。わたしは奴の元へたどり着く前に地面に崩れ落ちた。 落ち着けとでも言いたいように、傷の痛みは先程から絶妙なタイミングで襲ってくる。 そうだ。感情的になってはいけないと、眠り込む前にも自分に釘を刺したばかりではないか。そう思うと理性により嫌悪感が薄れ、冷静な思考がようやく戻ってきた。 この男を倒すのは、まだ先だ。 ふいに笑いがこみあげてきた。クククッと声をあげて自嘲する私に、ジュプトルは怪訝な表情を見せた。 何だかんだ言っても、結局わたしは負けたのだ。この男と少年たちに。少なくとも今現在は。 信じる心とやらの力の前に、わたしは負けたのだ。 理解できない。そしてできることならしたくもない。 わたしはこの世界を護るためたった独りで飛び回っていた。ただひたすら、真っ直ぐに。 「……でも……どうしてだ……。わたしは消えたくない……。ただ消えたくないだけなのだ……」 不意にそんな言葉が漏れた。 それはいつ、どこで聞いたものだったろうか。わたしが今の道を決めるきっかけになった言葉だった。 消えたくないのは誰もが同じはずだ。この世界の、誰もが。 それなのに、どうしてこいつらはこの世界を壊そうとするのだろう。 わたしのつぶやきが聞こえたのか、ジュプトルが口を開いた。 「お前も過去の世界を見ただろう? 日が昇る素晴らしさを。そよ風の安らぎを。心が歪むこの暗黒世界に未来はない。オレだって消えたくなんかないが……でも、それも歴史を変えるさだめならば……仕方がない。オレたちが消えても……これから未来に生きる者のためになるのなら……全てはこれから授かるであろう……新たな命のためなのだ」 思いがけない言葉に、わたしははっとした。 新たな命のために。 奴の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。全く想像もしたことのない言葉だった。 真っ直ぐで、自分に正直で、信じた道を脇目も振らずに進む。この男とわたしはよく似ていると思っていた。初めて会った時から、ずっとそう思っていた。 考え方の方向性こそ違っていたが、わたしたちの思考回路はとてもよく似ていた。 この世界を護るために、歴史を護ろうとしたのが、わたし。 この世界を変えるために、歴史を変えようとしたのが、この男。 だからこそ、この男からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。 ジュプトルは、ディアルガ様が再び過去へ刺客を送るにはまだ時間がかかるだろうから、その前に時限の塔へ行ってディアルガ様を倒す、勝つ見込みがなくとも、過去を変えるまでの時間稼ぎができればいい、と言い、先へ進んでいった。 わたしは痛む体に鞭打ち、慌てて先を追った。 計画は無事始まった。あとは想定通り進むことを祈るだけだ。 わたしたちが起きた場所から時限の塔へ行くには、先程ジュプトルが行ったダンジョンを進まなければならない。目覚めた場所は偶然だが、しかし計画を進めるには都合のいい場所だったと言えるだろう。 ダンジョンを抜けた先でジュプトルに追いついた。時間も場所も予定通り。 タイミング良く、先に隠れていたヤミラミたちが飛び出してきた。 ジュプトルに斬りかかり、そして前もって命じていた通り、わたしにも斬りかかる。 自分の体調のことを考慮に入れていなかったためもろに一撃くらったが、まあこのくらいは誤差の範囲内だろう。 「なぜ……なぜわたしまで攻撃するっ!?」 混乱している様子を見せるためそう言うと、ヤミラミたちはわずかばかり泣きそうな表情になった。 全く、何て顔をしているんだ。 しっかりしろ。まだこんなところで計画を終わらせることはできないのだから。 「いいから反撃しろっ! ヨノワール!」 「何っ!?」 「わからないのか!? こいつらの狙いは……オレだけじゃないってことを!」 ああ、やはりこの男は単純だ。こんな演技に簡単にだまされるとは。 馬鹿馬鹿しいほど甘くて真っ直ぐ。これほど扱いやすい奴もそうそういまい。特にこの、誰の心も歪んでしまっている闇世では。 とん、と背中に軽くジュプトルの肩が当たった。この男は今、わたしに完全に背を向けている。 いつもなら、少なくともこの世界に戻る前までは、この男は絶対にこのような隙だらけのことはしなかったはずだ。 警戒を解いてはいない。互いの顔は見えないが、背中の男から、張り詰めるような緊張感は伝わってきた。 背中合わせでの戦い。初めての経験だった。 わたしもジュプトルも手負いだったせいか、思った以上に苦戦した。しかし何とか打ちのめし、ヤミラミたちは逃げ去っていった。 演技とは言え、妙な気分だな、とわたしは思った。 ヤミラミたちは命令通り本気で向かってきたし、わたしも本気で応戦していた。 まあ結果としてそれがよかったのだろうか、ジュプトルは本当にわたしがディアルガ様に見捨てられたと思っているようだった。全く、警戒心は強いくせに、こういうこととなると本当に鈍い。 ディアルガ様に「捨てられた」わたしを置いて、ジュプトルは先に進もうとした。 今だ。切り出すのなら、今しかない。 「……待て! ひとまず休戦だ。ジュプトル。とりあえずは……わたしと一緒に行かないか?」 わたしの提案に、ジュプトルは心底驚いた表情を見せた。 それもまあ当然だろう。わたしたちは自他共に認める敵同士なのだから。 疑いの眼を向けるジュプトルにわたしは、冒険中に襲うことはしない、警戒心の強いオマエを今のわたしが襲っても通用しないだろう、わたしと組めばダンジョンも抜けやすいはずだ、と言ってやった。 ジュプトルは簡単に警戒を解くことはしなかったが、しかしわたしが同行することを了承した。 わたしは内心ほくそ笑んだ。これでいい。あとは上手くこいつを導くだけだ。 ダンジョンを抜ける時も、ジュプトルは何度もわたしの方を振り返ってきた。 わたしが後ろにいるということが気になるのだろう。さすが、警戒はなかなか解かない。 さて、どうするか。警戒を持たれることは結構だが、あまり警戒されすぎていても今後計画通り導くのに支障が出るかもしれない。 その時、前方にヤミラミが見えた。ああそうだ、ここで待っているよう命じたのだったな。 ジュプトルもヤミラミに気付いたようだった。そして先程までとは違う目線をわたしに送ってきた。 挟むぞ。 彼の意思をくみ取り、わたしは小さくうなずいた。それを確認すると、ジュプトルは穴を掘って地中に潜っていった。 わたしとジュプトルでヤミラミを挟み撃ちし、ジュプトルはヤミラミを岩陰へ引きずって行った。ここで捕まえることは計画通りではあったが、ヤミラミは必要以上に震えている。本気で怯えているのだろうか。 岩陰に追い詰められてすっかり固まってしまったヤミラミに、ジュプトルとわたしは「なぜわたしまで襲ったか」を問い詰めた。 ヤミラミは言い渋っていたが、わたしの命令には従う。脅しつけてやると、飛び上がって泣きながら言った。 「ウヒィィィ! 言います! 言いますよ! ワタシたちも本当はやりたくなかったんです! ヨノワール様を襲うなんて……そんなことは……。本当なんです! 信じてください!」 ああ、まずい。こいつ、本気だ。号泣しながら言うヤミラミを見てわたしはそう思った。 わたしが言った通りのシナリオを、まるで本当のことのように泣きじゃくり叫ぶ。こいつらはこんな演技ができるほど器用な奴らではないことは、ずっとこいつらの上司をしていたわたしが誰より知っている。 助けを請うようにしがみつかれて、透明な涙が腕に、体にしたたり落ちる。 何でここまで本気になれるんだ。正直理解できなかった。 だがしかし、なぜか本気で泣き叫ぶヤミラミを見て、不思議とわたしも気分が変わってきた。 焦り、苛立ち、怒り、いや違う。何だろうか、この妙に頭に血がのぼる感覚は。 ……不安? わたしは目の前の壁を殴りつけた。ヤミラミは飛び上がり、慌てて逃げて行った。 なぜだろう。胸の奥がざわざわとする。 気持ち悪い。 「…………。クククッ、クハハハハハッ!」 なぜか急に、笑いがこみあげてきた。 元々信用などないのだ。このわたしに。上司も、部下も、当然隣の男も。 自分で考えたシナリオ。自虐的なものにしか見えなかった。 「ジュプトル。お前が今何を考えているのかわかるぞ。哀れだと思っているんだろう。このわたしが。笑え! 笑うがいい! 裏切られ……捨てられた者の顛末をな。クハハハハ!」 「フンッ! 笑うも何も、オレにとってはどうでもいいことだ。ヨノワール」 この男の冷淡な答えに、なぜかとても救われた気がした。 時限の塔に着いた。もうこの頂上にディアルガ様がいらっしゃらないのは知っているが、登らなければ計画も進まない。 登っている最中も、ジュプトルは何度もわたしの方を振り返ってきた。まだ気になるらしい。当然のことだが。 この男は今何を考えて登っているのだろうか。 それとなく探ってみるため、頂上が近付いてきたころ、わたしはジュプトルに、頂上でディアルガ様と話す時間をくれないかと尋ねた。 するとジュプトルは、わたしをにらみつけながら言った。 「ダメだ! お前がディアルガと話したら……気持ちがディアルガに傾く可能性が高い! それに、例の新しい腹心もいるかもしれない。そうなると3匹対1匹! オレの勝ち目はないに等しい!」 ああなるほど、こんなことを考えていたのかこの男は。さすがは警戒心の強い奴だ。 そして言っていることもあながち外れではないだろう。……どう間違っても「3対1」にはならないが。 頂上に着いたが、当然ディアルガ様はいらっしゃらなかった。こちらの計画は予定通り進んでいるようだ。 タイムスリップの方法としてセレビィの存在を示唆すると、ジュプトルは慌てて黒の森へ走って行った。 やれやれ、本当に真っ直ぐな男だ。 全力で走るジュプトルを追いかけ、黒の森を抜けた。 しんと静まり返っている。どうやらセレビィは無事捕まえたらしい。まあ、ディアルガ様が直接協力してくださったのならば当然だ。 その時、ヤミラミたちが飛び出してきた。予定通りここにも罠を張っていたようだ。 ジュプトルがふん、と鼻から息を吐いた。 「ヨノワール! ディアルガの新しい腹心とやらは……お前と同じぐらい用心深くて腹黒いようだな!」 「新しい腹心」がどうかは知らんが、この作戦を考えたのはわたしだからな。否定はすまい。 またヤミラミたちを倒す。相変わらずこの感覚には慣れない。 逃げようとしたので、適当な1匹を捕まえた。普通に首元をつかんだだけのつもりだったのだが、妙に苦しそうにしていた。 ジュプトルが捕まえたヤミラミにセレビィとディアルガ様の居場所を問い詰めると、泣きながら氷塊の島へ行ったと行った。 ああ、長かった。ようやく目的地だ。我ながら、なぜこんなに遠回りする必要があったのか。 軽く突き飛ばすと、ヤミラミは地面に勢いよく叩きつけられた。おかしいな、そんなに強く力を込めたつもりはなかったのだが。 わたしは自分の手を見つめた。何回か握ったり開いたりして気がついた。 ああそうか。こちらの世界に戻ってきてからだいぶ経った。傷が癒えてきたようだ。ここまでに何度も襲ってきた、体が張り裂けるような痛みももうない。 腕に力が戻ってきている。まるでそれと同時に、自信と余裕も戻ってきたようだった。 氷塊の島へ渡るため、空間の橋渡しをしているポリゴンの元へ向かった。 あの島へ渡るのも随分と久しぶりだが、ディアルガ様たちももうあちらへ行ってらっしゃるはずだ。これ以上時間をかける必要もあるまい。 あとは過去が変わる前に計画を遂行する。それだけのことだ。 ただ……それだけ、だ。 氷塊の島へ着いた。辺りには大きな氷の塊が浮かび、他の場所よりずっと冷たい空気が身に突き刺さる。 島に着くと、さっそくユキワラシたちがわたしたちを出迎えた。 ジュプトルが駆け寄り、最近ここに来た者がいなかったかとユキワラシたちに問うた。 ユキワラシたちは顔を見合わせると、ジュプトルに顔面に凍える風を当てた。呆気にとられるジュプトルを後目に、ユキワラシたちは笑いながら逃げていった。 ジュプトルは口に入った氷のかけらを吐きだしながら、何て奴らだ、と悪態をついていた。 わたしは心底呆れた。この男、先程までの警戒心はどこへやった。 この世界の者たちの心が歪んでいることくらい百も承知だろうに、単純というか、何というか……。 いや、わかった。この男、ただの単純馬鹿ではない。 「おひとよし」なのだ。馬鹿馬鹿しいとも思えるほどの。 良くも悪くもまっすぐ。それ故に、この「闇世」の中でも心が歪んでいない。 何となく、この男が羨ましく感じた。 氷山を登り、更に先へ進む。 この先だ。もう少し進めば、目的の場所が見えてくる。 計画も終盤が違い。わたしの仕事も終わる。 もう少し。もう少し―― ――先に進むジュプトルの頭上に、大きな氷塊が見えた。 「ジュプトル! 気をつけろ! 上だっ!」 意識するよりも先に、飛び込んでいた。 ジュプトルを突き飛ばしたその後どうするかなんて、考えていなかった。 気がついたときには、辺りには砕けた氷が散らばり、ジュプトルがぽかんと間抜けに口を開けていた。 さすがに直撃は辛かった。全身が痛い。 「ヨ……ヨノワール! お、お前がかばったのか!? このオレを!?」 この程度のことでいちいち騒ぐな馬鹿、と言ってやりたかったが、それどころではない。 これは自然にできた氷ではないし、このような氷が自然に落ちてくることはない。 案の定、そばの崖の上からオニゴーリたちとマンムーが下りてきた。闇世の影響ですっかり凶暴化しているようだ。 身体の痛みなぞ二の次だ。今はこいつらをどうにかしなければ。 わたしは起き上がり、ジュプトルとともに奴らと戦った。 追い払ってしまうと、全身の痛みがぶり返してきた。 わたしの様子を見て、ジュプトルはわたしを氷壁の裂け目へ引きずって行った。 少し休むと出発するぞ、とジュプトルは言った。 ここまでずっとこいつと共に行動してきたが、単純な割に判断は冷静で、采配もうまい。 考えてみれば、ここまでのダンジョン、ほとんどがこいつが前衛、わたしが後衛で行動してきた。わたしとこいつの覚えている技の特徴をつかんだ結果だろうが、実に効率よくここまで進んだ。 それに何より、諦めない行動力。そして気持ちの強さ。リーダーとしての素質を持っているな、と感じた。 「しかし……あの時……氷の塊がオレの頭上に落ちてきた時……まさかお前が……オレをかばうとはな……」 「思い違いだな。ジュプトル。断わっておくが……わたしはお前のことが大嫌いだ」 ……この「甘さ」さえ何とかなれば、の話だがな。 そろそろ行くか、とジュプトルは言った。 ふと気紛れに疑問が浮かび、わたしはジュプトルに尋ねた。 「ジュプトル……お前は……お前は……なぜそこまで頑張れるのだ? 前にお前は……未来のために……これから授かるであろう……新たな命のためにと言っていたが……それでも自分自身は消えてしまうのだぞ。お前の命は……なくなってしまうのだぞ。そんなこと、わたしは……やはり耐えられないことなのだ。自分が消滅するなんて……わたしにはとても受け入れられないのだ。それなのに……なぜお前はそこまで頑張れるのだ?」 他愛もない話のつもりだった。 ただ、この男の持つ、驚くほどの……羨ましいほどの行動力の源が知りたかった。 誰もが消えたくないと願っていた。 だからわたしはこの道を選んだ。 それなのに、この男だけは違った。昔も、そして今も。 ジュプトルは少しだけわたしの方を見て、そして静かに言った。 「……ヨノワール。消えたくないというお前の気持ちはわかるが……でもオレは……こう思っている。例え消えようとも……例え消滅しようとも……オレ自身は消えてはいない……と」 「何っ?」 この男は何を言い出すのか。言っている意味がわからず、わたしは思わず聞き返した。 ジュプトルは笑いさえ浮かべ、わたしに言った。 生命には終わりがある。このまま「闇世」が続こうとも、いずれは消える日がやってくる。 そうであるのなら、消滅の時期に意味などない。 大切なのは命の長さではなく、生きている時に何ができるか。 生きている時に輝けば、その魂は、その精神は未来へ受け継がれる。 そしてその魂はまた他の者へと。 例え消滅しようとも、魂は生き続けるはずだ、と。 「それが……それこそが……生きているってことじゃないのか?」 思いがけない言葉に、わたしははっとした。 奴の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。全く想像もしたことのない言葉だった。 真っ直ぐで、自分に正直で、信じた道を脇目も振らずに進む。この男とわたしはよく似ていると思っていた。初めて会った時から、ずっとそう思っていた。 考え方の方向性こそ違っていたが、わたしたちの思考回路はとてもよく似ていた。 この世界を護るために、歴史を護ろうとしたのが、わたし。 この世界を変えるために、歴史を変えようとしたのが、この男。 だがしかし、わたしたちの見ているものは違った。 わたしは「今」を見ていた。この世界の「今」ある命を、この世界の「今」を護ろうとしていた。 だがこの男は「未来」を見ていた。この世界の「未来」の命を、この世界の「未来」を変えようとしていた。 そしてそれこそが、わたしたちの何よりの差だったのだ。 それこそが、わたしたちが道を違える一番の理由だったのだ。 「今」を見ているわたしは、この男の考えることなど理解できない。 「未来」を見ているこの男は、わたしのことなど理解できないだろう。 消滅しても、生きている。 魂は、生きている。 それは、この世界の、誰もが……? 行くぞ、とジュプトルが声をかけてきた。わたしは慌てて起き上がった。 先へ進んでいると、道の脇の氷柱が放電していた。 この放電だ。この放電を使えば、肉体から魂を抜くことができる。 ああ、長かったな。ここまで来るのは。わたしは何となく感慨深くなった。 その時、目の前にユキワラシが現れた。先程会ったのとは別の奴だ。 ジュプトルはまたそのユキワラシのところへ駆け寄った。また攻撃されるのがオチだぞ、と言ってやったが、聞く耳を持たない。やはりこいつは単純だ。 しかし今回は上手く情報を聞き出したようだ。ヤミラミたちとセレビィが氷柱の森の奥へ行った、と。 やれやれ、どうやら上手くセレビィは捕まえられていたらしいな。これでもう大丈夫だろう。 そばの氷柱の放電が突然激しくなり、ユキワラシは逃げだした。 しかし、この男を動かすには十分すぎる働きだった。 さあ、終わりの時間が近付いてきた。 終わりだ、もうすぐ。……全てが。 氷柱の森を抜けた。目的地は目の前だ。 4本の柱が見える。あの場所の真ん中こそが、最も放電のエネルギーが集中する場所……魂を抜きやすい場所だ。 柱の向こうに囚われた気絶したセレビィを見つけたジュプトルは、わたしが何もせずとも柱に近づいていく。 ああ、ヤミラミたち、ミカルゲに協力を依頼したのか。なかなかどうして頭が働くじゃないか。 あと……3歩……2歩……1歩……。 「終わりだ」 わたしは小さくつぶやいた。 その瞬間、ジュプトルは歩みを止めた。 しまった、殺気に気がついたか。まあ、とはいえあと1歩。万が一の時は後ろから突き飛ばしてやればいい。 しかしその時、都合よくセレビィが目を覚ました。 それに気付いたジュプトルは、さっきのことなど忘れ、セレビィを捕らえているミカルゲを倒そうと歩を進めた。 「こ、こっちに来ちゃダメっ!!!」 もう遅い。残念だったな、セレビィ。 せいぜい嘆くがいい。お前の想い慕う相手が単純な奴だったことを。 放電がジュプトルを襲う。桃色の光が黒の空を、灰色の氷の大地を照らす。 絶叫がこだまする。あまり気分のいいものでは、ない。 ヤミラミたちが飛び出し、ジュプトルを取り囲んだ。混乱しているジュプトルに、わたしは言ってやった。 全てはわたしが仕組んだ策略だったのだと。お前の魂を抜き、わたしがお前になりかわって過去の世界へ行く。 新しい刺客はお前のことだったのだ、と。 ジュプトルはここで初めて、わたしが先に起きていたことに気付いたようだった。 つくづく甘い。甘すぎる。わたしたちは宿敵同士。油断を見せるなどもってのほかだ。 「ぐぐっ! オレが……オレが甘かったのか……。少しでも……お前のことを信じた……このオレが……」 そうだ。わたしなんかを信用したお前が悪い。 その単純さが、その甘さが、その「おひとよし」な性格こそが命取りだということに早めに気付くべきだったな。 「この! 卑怯者!」 セレビィが叫ぶ。 何とでも言えばいい。そんなこと、とっくに自分で分かっている。 いずれにせよお前たちは負けた。このわたしを信じたばかりに。 その時だった。 ジュプトルが苦しそうに言った。 「いや……そんなはずはない……。オレは……間違っていない……。オレは……オレは今でもお前を……信じている……」 ……何、だと? 「ハッハッハッ! こんな目に会っているというのに……まだ信じるというのか? このわたしを?」 本当に馬鹿じゃないのか、この男は。 『信じる』だと? このわたしを? ずっと殺す気で追いかけ、こちらの世界に戻ってからもずっとだまし続け、そして今まさに命を奪わんとしているこのわたしを? 信じられる個所なんて見当たらない、この、わたしを? 「そ…そうだ……。お前にも……本当はよくわかっているはずだ。ヨノワール……。オレたちには通じ合う瞬間があったはずだ……」 「フン、そんなもの……あるわけないだろう」 あるわけない。そんなものあるわけない。 そんなものあってたまるか!! 「いいや。確かにあった。オレはお前と冒険を重ねるうちに……ダンジョンを突き進み……戦いを乗り越えていくうちに……後ろにいるお前から……いつしか……憎しみが消えているのを感じた……」 「な、何を言う! そんなことはあり得ない! 言っただろう! わたしはお前のことがキライだと! 単にオマエがそう感じているだけだ!」 そうだ。わたしはこの男が嫌いだ。この男が死ぬほど嫌いだ。 理解し合うことなどできない。絶対に。この男とは。この男とだけは。 この男だけは、理解してはいけない! 理解してはいけないんだ!! 「違う。気のせいじゃない。オレは警戒心がかなり強い。それでも共に冒険しているうちに……信じてもいいと思ったのは……心を感じ取ったからだ。お前の信頼の心を。魂を強く感じたのだ。お前の……輝ける魂を」 「か、輝ける……輝ける……魂だと……。わたしの……」 やめろ! やめてくれ! これ以上わたしの心をかき乱さないでくれ!! それ以上言うと、わたしは……わたしは……! 「お前は闇のディアルガに忠誠を誓い……そしてこの暗黒世界を護ろうとしている。しかし、それはあくまで消えたくないという気持ちから来るものだ。でも、本当にそれでいいのか? このままここで生きながらえることが……お前の幸せなのか?」 違う。わたしは、この世界の……。 この世界の、ために……。 「生きる意味を……生きている意味を考えてくれ! ヨノワール!」 生きている、意味……。 わたしが……わたしが、生きている、意味……。 わたしはこれまで、何のために働いていた? 何のために生きていたんだ? わたしは「時の護役」だ。 わたしはこの世界を護るために生きていた。 この「闇世」に住まう全ての命を。 この世界に生きる者たちを消滅させないために。 「闇世」を嘆きから救うために。 時の止まったこの世界に生まれながらも、この姿まで「進化」することができた、これはわたしの役目なのだと。そう思って生きてきた。 だが、本当にそうだったのか? 本当にわたしは、そのために生きてきたのか? 『……でも……どうしてだ……。わたしは消えたくない……。ただ消えたくないだけなのだ……』 不意に漏れたあの言葉。あれは誰が言ったものだった? いや、誰が言ったものでもない。 あれを言ったのは、わたしだ。 わたしが護りたかったのはこの世界だったのか? それとも……わたし自身だったのか? 「護る」と言ったのは建前で、わたしはただ逃げていたのか? 未来を見据えることから、ただ逃げていたのではないのか? ただ、怖かった。 闇に包まれたこの世界の未来はあまりにも不安定で、追いかけても追いつかず、この手に掴んだそばから崩れ落ちてしまいそうだったから。 だが、わたしは護りたかった。 この世界と自分自身を。 「闇世」に住まう全ての、そしてわたし自身の生きざまを、消滅させたいわけがなかった。 だからわたしは、進むことをやめた。 「未来」を捨て、「今」を生きることに決めた。 それはあの男とは全く正反対の生き方だった。 だからわたしは、あの男の考えを理解しなかった。 だからわたしは、あの男が心の羨ましかった。 何も恐れず、真っ直ぐに生きていけるあの男が、心の底から羨ましかった。 「思い出してくれ! ヨノワール! あの時オレが感じた……お前の魂を!」 ジュプトルの声が聞こえる。 遠く離れているはずなのに、それはまるで目の前で拡声器でも使っているかのように、わたしの頭に鳴り響いた。 「わ、わたしの……魂だと? そんなもの……そんなものあるわけなかろう! お前の……お前の勝手な思い込みなだけだっ!!」 認めるわけにはいかない。 あの男の言葉を認めてしまえば、わたしはこれまでの生き様を、誇りを、信念を、全て否定しなければならない。 そんなこと、とても耐えられない。 認められない! 認めるわけにはいかないんだ!! ヤミラミたちが駆け寄ってきた。わたしはそれを夢中で振り払った。 いつの間にか、わたしにも刻まれていたのか? あの男の生き様が? あの男が警戒を解いたのは、わたしがあの男を『信頼』していったからなのか? わたしが身を呈してあの男を助けたのは、あの男の信念に惹かれていたからなのか? だがそんなこと、今更認められない。認められるわけがない! わたしがやってきたことは間違っていない! わたしが今までやってきたことを否定などできない! これを否定しろというのなら、わたしの生き様を、誇りを、信念を否定しろというのなら、わたしはどうやってここから先へ進むことができようか? それらを捨ててしまえば、わたしはただの抜け殻だ。 自分の中の『正義』さえ護ることができれば、それでよかった。 わたしにとって価値のあるものはそれだけだった。 わたしのそばには誰もいない。 だからわたしは、独りで生きるしかなかった。 信頼なんかされなくともかまわない。誰にも認められなくてもかまわない。 『オレは……オレは今でもお前を……信じている……』 ……違う。わたしは独り「だった」のではない。 わたしは独りに「なった」のだ。自らを孤独の中に置いたのだ。 誰かに信頼されたかった。認められたかった。わたしの『正義』を理解されたかったし、誰かの『正義』を理解したかった。 しかし、わたしはそうしなかった。怖かったのだ。進むことが。 目を閉じ、耳を塞ぎ、自らの殻に閉じこもって、誰との接触も頑なに拒み続けた。 だがしかし、あの男はその檻をも破壊しようとした。 そして叫んだ。ただ、真っ直ぐに。 『生きる意味を……生きている意味を考えてくれ! ヨノワール!』 苦しい、割れそうだ、頭が、体が、痛い、いたい。 いたい、イタイ、くるしい、クルシイ……!! タスケテクレ!!! 強まる電流。叫び声。 視界が染まり、激痛が走る――。 ――ああ、この世界の空は今日も暗い。そんなことをぼんやりと考えた。 自分でもわからなかった。なぜわたしは、この男を再び突き飛ばしたのだろう。 先程まで、割れんばかりの心の葛藤で動くことすらかなわなかったというのに。 ジュプトルも、セレビィも、ヤミラミたちも困惑していた。わたし自身も何が何だか分からなかった。 ふっと、辺りが暗くなった。 辺りの空気を震わせる、大きな咆哮が聞こえる。 ディアルガ様はわたしの前に降り立った。 わたしが口を開こうとすると、ディアルガ様は再び咆哮をあげ、わたしを蹴りあげた。 仕方ない。とっさのこととはいえ、わたしはディアルガ様を裏切ったのだから。 反乱分子は、消す。それだけのこと。ディアルガ様のことは、傍でお仕えしていたわたしが誰よりよくわかっている。 再び蹴られながら、わたしは妙に冷静にそんなことを考えた。 ざわざわと、ヤミラミたちが騒ぐのが聞こえてきた。 「ヨ、ヨノワール様を……」 「ヨノワール様を……守るんだ! 行くぞ!!」 そういうと、ヤミラミたちは無謀にもディアルガ様に襲いかかった。 信じられなかった。過去ではわたしを見捨て、ディアルガ様の命令に背いたことのない、このヤミラミたちが。 わたしなどという「反逆者」を守るため、主君にその爪を向けている。 なぜ彼らは「わたしたち」を攻撃しろという命令を拒んだ? なぜわたしたちを攻撃したとき、情けない涙顔になっていた? なぜ本気で号泣し、攻撃したくないと言ったのだ? 6つの影が、ディアルガ様に弾き飛ばされるのが見えた。 ああ……こんなわたしにも。 「信頼」してくれる者たちがいたのだな。こんなに近くに。 蹴られ、頭突かれ、弾き飛ばされたが、不思議と心は楽だった。これで死ぬのなら、それでもいい。そう思えてしまうくらい。 ミカルゲの声が聞こえる。どうやらセレビィへの金縛りは解けたようだ。 ああ、わたしは自ら立てた作戦を自ら破り、使える主君に反旗を翻した大馬鹿者だ。 全く……誰のせいだろうな。わたしがこうなったのは。 暗い空に光が走った。 誰もが空を見上げた。 ゆらゆらと、虹色の光のカーテンが空に揺らめいている。オーロラだ、とジュプトルがつぶやいた。 ひゅう、と空気を切る音が聞こえた。顔に風が当たった。 すぐに理解した。 世界が、この「闇世」が再び動き始めたのだと。 ディアルガ様は苦しそうにうめき声をあげると、また咆哮をあげ、苦しそうに暴れながらどこかへ飛び去って行った。 ヤミラミたちが駆け寄ってきた。どいつもこいつも、泣きぬれた情けない顔を見せて。 わたしのことは心配ない、それよりディアルガ様の行方を追え。そして残った者はジュプトルとセレビィの手当てをしろ、とわたしは命じた。 それきり、わたしの意識はしばらく途絶えた。 夜空に揺らめくオーロラは一瞬として、同じ姿をとどめておくことはない。 わたしが再び目を覚ましたその時も、暗い空には見事なオーロラが煌めいていた。 ああ、過去へ行った時も、オーロラは見たことがなかった。 太陽風によるプラズマ現象。美しいものだな、としみじみ思った。 けがのことも考えず飛びついてくるヤミラミたちも、この光景のことを思えばデコピン程度で許してやれる気分になる。 間もなく、ジュプトルとセレビィが目を覚ました。それとほぼ同時に、ディアルガ様を追いかけていたヤミラミが戻ってきた。 目を覚ましたばかりにも関わらず、ジュプトルは率先して先へ進んでいった。 全く、相変わらずせっかちなんだから、とセレビィがつぶやいた。 なるほど、目標に向かって進むことしか考えていないな、あの男は。セレビィが少し恨めしそうに見ているのもお構いなしか。 ヤミラミは大氷山のふもとへわたしたちを案内した。ディアルガ様はここへ向かったらしい。 それを聞き、セレビィが少し焦った様子を見せた。この山の頂上には「時の回廊」があるのだという。 セレビィは回廊の場所は教えなかったと言っていたが、暴走しているディアルガ様はもはや本能的にこの場所を捜し出したのだろう。どちらも時を操る者。何かひきつけるものがあるのだろう。 しかし、事態は深刻だ。万が一「時の回廊」が破壊されてしまえば、動き始めたこの世界の時もどうなるかわからない。 「時の回廊」は時間への入口。セレビィの司る、「時限の塔」と同じ働きを持ったものと見ても差し支えない。 東の空がわずかに白んできた。もうじき夜明けだ。 うかうかしていられない。この先はわたしとジュプトル、セレビィの3匹で行くことにした。 こちとら反旗を翻した身。時が動き出したこの世界では、わたしの護ってきた『正義』ももはや意味をなさない。 覚悟は決まっていた。 わたしは護る。この世界……この世界の「未来」を。 その時だった。ジュプトルの体から、ぽこ、と光の球が湧き出した。 はっとした。あれが「消滅光」。歴史にひずみが起こり、消滅する際に出る光。 ジュプトルと眼があった。わたしはうなずいた。 もはや猶予がないことを悟っていた。一刻も早く行かなければ。もう時間がない。 ジュプトルはうなずき返した。そして傍らのセレビィにも声をかけ、進むべき方向へ駆けだしていった。 山頂にはディアルガ様がいた。 そしてその背後には白く輝く回廊……「時の回廊」が。 ディアルガ様はひどく苦しそうにうめき声をあげていた。時が動き出したことが、ディアルガ様を支配している闇の心を苦しめていた。 その時、ディアルガ様の体から光がでてきた。いや、ディアルガ様だけではない。わたしたち全員からだ。 消滅の時が近い。 しかしその時まで、消滅の時まで、何としてでもディアルガ様を止めなければ! ディアルガ様に反抗するのは、これが最初で最後だ。 独りではない。 わたしには……「仲間」がいる。 ディアルガ様がとうとう地に伏した。 それに対して色々思うことはあったはずなのだが、体が異常に重く、それどころではなかった。 消滅光が激しくなる。 ディアルガ様の姿が消えたのが、視界の端で確認できた。 ぐっ、と上から押しつけられるような苦しさが襲った。 ああ、次はわたしの番か。 妙な気分だった。悲しくもあり、しかしなぜか妙に清々しくもあった。 苦しい息の中、隣りの男に尋ねた。 「ジュプトル……教えてほしい……。わたしの……わたしの命は……輝いていたか……?」 ジュプトルはわたしの言葉に、笑いながら返した。 「ああ。とびっきりな」 ……そうか、これでよかったのか。わたしも自然と笑みが浮かんできた。 「……よかった……。わ、わたしは……わたしは最後の最後で……迷わず……真っ直ぐに……生き抜くことができた……。それができたのも、ジュプトル……お前のおかげだ……。ありがとう……。もう……もう、悔いはない……」 そう、悔いはない。 最後の最後で反逆者になったことも、生き方を変えたことも、自分の『正義』を捨てたことも。 全てはわたしが選んだ道だ。 目の前の男はわたしの閉じこもっていた殻を壊し、耳をふさいでいた手を払いのけ、閉じていた眼に光を当てた。 自分の信じていた『正義』は捨てた。しかしそのかわり、わたしはこの男の『正義』に触れた。 それがよかったとも、悪かったとも思わない。 ただ……後悔だけはしていないつもりだ。 ただ単純に真っ直ぐなこの男のおかげで、わたしも何か変わることができただろうか。 夢に見たよりずっと、消失の瞬間は美しかった。 光の中で霞んでゆく視界のなか、東の空、昇っていく朝日が見えた。 後悔はない。 ああ、それでも。 ただひとつだけ、願いがかなうのならば。 ……この『世界』を 護りたい…… 「えー……それでは、何か意見のある者」 わたしが問うと、ヤミラミが勢いよく手を挙げた。 「うむ、何だ?」 「ウイィッ! 今日は暑いから夕飯はソーメンがいいと思います!!」 「……他に」 「ウイッ! 全力で同意!」 「ソーメン! ソーメンウイィ〜ッ!!」 「…………」 わたしはため息をついた。後ろのホワイトボードには「河岸緑化計画」の文字。今回の議題だ。 しかしなぜだ。なぜこいつらは夕食のソーメンの話で盛り上がっているのだ。 錦糸卵もキュウリもマトマもクラボも色つきも今回の議題とは関係ないはずなのだが。 「お、お前ら今日の夕飯ソーメンか? いいなぁ」 「ウフフッ! それなら当然カイスもつけるのよね? 今日暑いからいいわねぇ〜」 窓の外から声。見ると、窓の桟を乗り越えて部屋の中に入ってきている。……まあ、いつものことだが。 「……お前たちに食わせるとは一言も言っていないのだが?」 「何だよお前、冷たいなー。友達だろ?」 「こういう時だけ友達ヅラをするな!」 「カイス! カイス! カイスウイイィ〜ッ!!」 「ほーら、あなたの部下はノリノリみたいよ?」 「だからお前たちに食わせるとは言っていないっ!! そもそもなぜわざわざここへ来るっ!!」 「いいじゃねぇか。ここ設備整ってるから涼しいんだもんよ」 「涼をとりに『時限の塔』へ来るな!!」 「む? どうした騒ぎおって」 騒ぎを聞きつけたのか、ディアルガ様がいらっしゃった。 ヤミラミたちとジュプトルが勝手に話を進めている。 ディアルガ様まで盛り上がってきた。流しソーメン? もう好きにすればいい。 ひらり、と窓の外に青と白の翼が見えた。 ソーメンとカイスの話で盛り上がっている連中を無視して外に出ると、案の定、そこに落ちていたのは1枚の封書だった。 さすが空気の読める郵便屋、ナイスタイミング。わたしは小さくつぶやき、室内に戻った。 「……盛り上がっているところ申し訳ない。仕事だ」 そう言い、わたしは手に持った封書――大きく『HELP』の文字が入っている、専用のもの――をひらひらとさせた。 「あ……オレも行く!」 「わたしだけで結構だ。お前はせいぜいそこで涼んでいろ」 背後から何やら文句が聞こえたが、わたしの知ったことではない。 ……結論から言おう。消滅しなかったのだ。 わたしたちも心底驚いた。誰もが消える覚悟であの場に臨んでいたのだから。 ディアルガ様は、これはディアルガ様より上位の者のおかげだとおっしゃっていた。 「その者」が誰なのか、わたしは知らない。心当たりがないわけではないのだが確証もない。 ただ、ディアルガ様はぼそりとわたしにささやいた。 この奇跡としか呼べないことが起こったのは、「誰か」が心の底から強く願ったからなのだ、と。 その「誰か」が心に抱く強い意志が、信念が、そして『正義』が、「その者」の心を動かしたのだ、と。 「未来」は「今」の先にある。 だから、わたしが抱いていたものは決して無駄ではなかったのだ、と。 この世界はまだ不安定なところが多い。 ディアルガ様のお力でかなり緑は戻ったが、まだまだやるべきことはたくさんある。 だからわたしは、今もディアルガ様のお傍にお仕えしている。 まぁ……とはいえ、部下のヤミラミたちに全くやる気というものがないので、わたしとしてもなにをどうすればいいやら、だが。 全体的にのほほんとしているなか、自分だけやる気満々というのは大変やりづらい。先程の会議が好例だ。 そこでわたしは探検家というものをやっている。過去の世界では成り行きでやることになってしまったが、今回は自分の意思だ。 探検家、というよりは救助役、といった方が今は雰囲気が近いか。まあこの世界も大変だ。文句は言うまい。 大きな事故が起こったときには、ジュプトルやセレビィと組むこともある。 だがまあ、たいがい自分だけで何とかなってしまうものだ。大事故はそうそう頻繁には起こらない。ありがたいことに。 今回も無事救助の依頼を達成した。 さて、お礼にもらったこの金銭、どうするか。 ……まあ、答えは決まっているが。 わたしはそのまま市場へ向かった。 「いらっしゃいませ〜♪ あー、ヨノワールさん! 今日もお疲れ様です〜♪ お夕食の買い物ですか〜?」 「まあ、そんなところだ」 「それにしても暑いですね〜。冷たい麦茶でもいかがですか〜♪」 「ああ、すまないな。いただこう」 馴染みの店主がコップを持ってやってきた。時折こういうサービスはしてくれるが、油断しているとこの商売魂の塊は何かしら売りつけてくることがあるので注意が必要だ。 「で、今日は何にいたしましょう?」 「ああ……ソーメンはあるか?」 「はい〜もちろん! 今日は暑いですからね〜。やっぱりこういう日はソーメンに限りますよね〜♪ 毎度あり〜♪」 「それから……カイス、とびきりうまい奴を1つ見繕ってくれ」 「おやぁ〜? 今日は奮発しますねぇ〜♪」 「ああ」 店の奥に並んでいるカイスの実を選別している店主に、わたしは軽く笑いながら言った。 「親友が来ているんだ」 西の空が赤く染まってきた。 いつもより多めの荷物を抱え、わたしは帰路に着く。 誰かが言っていた。 陸や海はいつかどこかで途切れてしまう。 しかし、空は途切れない。いつでもどこでも、全てのものの上には必ず空があり、そしてそれは全てつながっている。 だから、遠くの誰かに伝えたいことがあるのなら、空に伝えてもらうのがいいのだと。 空の言伝。 目が覚めたとき、あの男は遠い過去にいる仲間に言葉を送った。 時を超えることができるのかは知らないが、届けばいい、と願っている自分がいた。 紅に染まった黄昏の空を見上げる。 ああ……明日も、晴れだな。 そうつぶやき、待つ者のところへわたしは急いだ。 The end |