1−1:夜明け時の憂鬱トレーナーとして旅をしようと故郷を飛び出して、三つ、驚いたことがある。 ひとつは、ポケモントレーナーの、特に若年層への待遇が格段によく、世間がトレーナーを中心に回っているようにすら感じられること。 ふたつめに、先の戦争で新型爆弾が投下された日付も時間も知らない人が多いこと。 そして最後に、野球が遠い存在であること。 深夜だというのに、今夜のコンビニは妙に繁盛している。 僕は客が抱えてきたおにぎりやらサンドイッチやらのバーコードを読み取り、七百二十八円です、と告げる。見るからに十代半ばの少女は、赤い革製の長財布から、千円札と硬貨四枚と緑色のポイントカードを取り出した。 二百八十円のお返しです、とレシートとお釣りを渡す。受け取る左手の手首には最新型のポケナビ。白と桃色のボディにきらきらとしたラインストーンをちりばめてある。 はて、どこかで見たことあるような。そう思いながらありがとうございましたーまたお越しくださいませーと言うと、この時間に出歩くのはいかがかと思われる年頃の少女は僕に軽く頭を下げてコンビニを後にした。 少女に続いて、コンビニにたむろしていた人たちがぞろぞろと外へ向かう。何だ、妙に人が多いと思ったらあの子を追いかけてたのか。集団ストーカー事件か? とかぼんやり考えていると、コンビニを出たところで少女の周りには人だかりができ、みんな油性ペンやら何やらを少女に差し出している。とうかさん、とうかさん、と名前を呼ぶ黄色い声が店の中まで聞こえてくる。 あ、思い出した。あの子、この前あったバトルの大会で優勝した子だ。確か名前は「 ああなるほど、どうりであのポケナビ見覚えがあると思った。こんな時間に女の子ひとりで外に出るなんて危ないと思ったけど、あの子の腰につけてるボールにはちゃんとした護衛がいるわけだ。 なるほどなるほど、と心の中で納得しながらレジを打っていると、財布の中を漁っていた客が店の外の女の子と僕の顔を交互に見て言ってきた。 「あの、お兄さん、もしかしてこの前の大会であの人と三回戦で当たってませんでした? 確か…… 僕は小さく咳払いして、まあ一応、と小声で言った。 バイトを上がって、陽が昇り始めている人通りの少ない道をだらだらと歩く。まだ新年度が始まったばかりだというのに、夜が明けるとすでに若干蒸し暑い。こりゃ今年の夏は随分と暑くなりそうだ。耐えられるかな。辛いな。 ポケットからスマホを取り出すと、メールが一通届いていた。 差出人は母親。ため息をつきながら開くと、いつもと同じような文面が目に入った。 いつまでふらふらと遊んでいるのか。 早く帰ってきてまともな職につきなさい。 ポケモンを扱いたいならトレーナーなんかじゃなくてもいいだろう―― 僕はもう一度ため息をついて、メールをゴミ箱へ投げ入れた。 ここカントーやジョウトと違って、僕の故郷ではトレーナーに対する風当たりが強い。 戦後、カントーやジョウトが先陣を切って職業トレーナーの育成と発展に大いに力を入れ、世界的にも有名なトレーナーを何人も輩出してきた。 その一方で僕の故郷ではトレーナー制度の普及が遅れ、その結果今でもトレーナーとして旅に出る人数は他地方と比べて圧倒的に少ないし、実力あるトレーナーもほとんど登場していない。かれこれ十五年続いている、他の地域では大人気の、ピカチュウを連れた少年トレーナーが主人公のドラマも、僕の故郷では未だに週遅れどころかゴールデンタイムですらなく、早朝六時とか夕方四時半とか、完全に見せる気の無い時間帯にしか放送していない。 特に年配の世代では、職業トレーナーなんて無職の遊び人と同じ、情けない、くだらない、駄目な奴がなるものだ、と思っている人が未だに多い。 そうは言っても世間の流れには逆らえないもので、特に流行に敏感で刺激に飢えている若者なんかの間では、徐々にトレーナーを目指す者も増えている。 僕もその中のひとりで、十八で高校を卒業してすぐ、親の猛反対を押し切ってトレーナーとして故郷を飛び出した。 あれからもう七年。気がつけば僕は二十五で、圧倒的に若者の多い、十を過ぎれば旅立っても何も言われないくらいのこの地方のトレーナーの中では、それなりに年上に分類されるようになってしまった。 職業トレーナーの収入と言うのは基本的にバトルしかなく、大会に出て入賞したり、トレーナー双方合意の下で賭けバトルをしたり、そうやって賞金を稼いでいかなければならない。 幸いなことにこの地方のトレーナー支援は手厚く、旅をしていれば簡単な食事も宿泊もポケモンの治療費も基本的には無料だ。僕も何だかんだでタマムシのポケモンセンターにかれこれ半年は滞在している。まだしばらくは滞在するのではなかろうか。まあ故郷を飛び出してから宿泊はほとんどずっとポケモンセンターだし、タマムシを出てもまた違う町のポケモンセンターに滞在するだけだろうけど。トレーナーの中では珍しくはない光景だ。宿舎は六人部屋で、鍵付きのロッカーと二段ベッドの上か下どちらかが実質的な個人スペースになっている。僕は下段を使っているのだけれども、上段の人なんかもう三年は滞在しているらしい。ちなみに僕より年下だ。 しかしいくら手厚い援助があると言っても、淘汰は激しい。強いものは賞金を手に入れ、世間に注目され、スポンサーもついて、何不自由なくバトルに専念できる。 勝てない者は収入がなく、収入がなければバトルのための道具や薬も買えず、また負ける、という悪循環。バトル一本でやっていけない者は兼業トレーナーとなるか、他の収入を求めてバイトでもするか、いっそすっぱり諦めるしかない。 言うまでもなく、僕もバトルだけではやっていけないひとりだ。戦績は決して悪いわけではない。全ての勝負の勝率を出せば七割は超える。 ただ、僕の特性は「ムラっけ」らしく、どうも安定した結果を出せない。結果収入も安定せず、生活のためにコンビニでバイトしている。 親の考えや物言いは古臭いし、いらっとする。でも正直なところ、このままでいいのかなあ、と考えているのも事実だ。 だって、もう二十五である。この地方でトレーナーを辞める人数が、続ける人数を上回るのが二十二歳だ。僕が旅に出た時にはもうこっちの地方の同年代の子は辞めるか辞めないかを考えていた。高校の同期だった人たちの大半はとっくに大学を卒業して、大学院まで行った物好きな奴も卒業して、一般企業でバリバリ働いている。そんな中で僕は、勝率七割程度の低収入バトルを繰り返し、だらだらと生活を続けている。テレビを見れば僕よりずっと年下のトレーナーたちが、満員のスタジアムの中、派手なバトルを繰り広げては喝采を浴びている。 いっそ、親の言う通りすっぱりやめて故郷に帰ればいいのかもしれない。でも、もう後戻りすら難しい年齢に差し掛かっている。 今更戻れないという妙な意地と、自分はまだやれるんだという盲目的な思い込み。 二進も三進もいかず、今日も長期滞在中のポケモンセンターで直近の小さな大会を探す日々だ。 |