1−2:置き忘れてきた紅葉色数週間後に開催される小さな大会の申し込み手続きをし、日が暮れはじめたタマムシの街をあてもなくぶらぶらと歩いていた。 派手な格好をした若者たちがテンション高くおしゃべりをしている駅前を抜け、高層ビルの立ち並ぶハイソな道を通り過ぎ、タマムシにしては緑豊かな公園の方へ足を向ける。 今日はバイトも休み。明日は夜十時から朝の七時。バトルの申し込みもないし、かといって他にやることもない。 さてこれからどうしようか、と顔を上げた時、僕の目に見覚えのある、懐かしいものが見えた。 真っ赤に燃える炎の色を身にまとった集団。 コンクリート色の都会に輝く、緋色のユニフォーム。 野球だ。僕の故郷の、赤の球団だ。 思わずその集団を追いかけていく。飲食店やコンビニの並ぶ少し狭い道を真っ直ぐ歩いて行くと、深緑と橙の外壁の球場へたどり着いた。タマムシを保護地域とする、スウェロー……オオスバメを象徴とする球団の本拠地だ。 白地に紺と赤のラインが入ったユニフォームの人たちが集う中に、同じくらいの人数の緋色のユニフォームが混ざり込んでいる。 チケット売り場へ向かうと、外野自由席がまだ残っていた。購入して、レフト側外野席へ向かう。スタジアムの中は、客席のおよそ半分が緋色に染まっていた。適当な席を確保し、グラウンドに目を向ける。 グラウンドではビジターチームの練習が行われていた。緋色のユニフォームと帽子を身にまとった選手たちが準備を進めている。 モミジマジカープ。僕の故郷の球団。紅葉を象徴とする街の、マジカープ……コイキングをシンボルとする、スカーレットの球団。 『野球』というものがマイナーな競技になって、もうずいぶん経つ。 一昔前までは、スポーツと言えば野球、という風潮があった。僕がほんの子供だった頃までは、まだぎりぎりそうだったと記憶している。 しかしここ数年、趣味の多様化、特にポケモンバトルやポケモンを交えた競技の普及によって、野球の人気は一気に落ちた。 決定打となったのが、二十年ほど前にイッシュ地方から入ってきた、ポケモンと共に行うベースボール、通称ポ球だ。流入当初はポケモンの「P」と「YAKYU」をくっつけて「ピャキュー」などと呼ぼうとする運動が起こったとかいう噂もあるが、結局そちらは定着せず、「ポケモン野球」を略して「ポ球」と呼ばれている。 ポ球では事前に登録されているポケモンの中から六匹まで、メンバーの中に入れることができる。選手以外にもあちこちでポケモンが活躍し、観客席への持ち込みも一部を除き基本的に自由だ。 ポケモンが行う競技はさすがにダイナミックで、剛速球を投げるカイリキー、場外ホームランになってもおかしくない当たりをキャッチするピジョット、イニング間にチアリーダーとダンスをするピッピとプリンの群れなど、見ていて楽しいことは間違いない。 一方、野球はそれと相対する存在となっている。 グラウンドへのポケモンの持ち込みは基本的に一切禁止、客席でもボール外での携帯禁止、マスコットですらポケモンに模した姿をしていても、中に人……いや、夢と希望が詰まった着ぐるみでなければならない。今や野球にあるポケモンを感じさせる要素は、球団の名前と、マスコットの造形くらい。 ある意味徹底的にポケモンの存在を排除した世界に、特にトレーナー世代では反発を覚える人がいるのも無理はない。テレビでの中継はほとんどなくなり、球場へ足を運ぶ人も激減。最近では野球を見るのは頑固者とひねくれ者とポケモン嫌いくらい、なんて悪意のこもった冗談を言われるくらいだ。 しかしながら、僕の故郷では少々事情が異なった。 元々職業トレーナーの普及率が低く、ショービジネスとしてのポケモンに反発を覚える人が一定層いるのもあるが、それ以上に、あの地域では昔から『野球』というものが、スポーツの枠を超えた生活の一部として根付いているのだ。 理由はいろいろあるらしいが、まあ先の大戦で焼け野原となり、七十年は草木も生えないとまで言われた街の、希望の灯火であり復興の象徴となったことが大きな原因のひとつであることは間違いない。 街を歩けばチームカラーの緋色が目に入る。建物、乗り物、飲食物、あらゆるものにチームの名を冠し、テレビでは朝から晩まで野球の話、そこらを歩く小学生や女子高生ですら休み時間に野球の話で盛り上がる、そんな場所だ。僕も故郷を飛び出して、初めてその異常さに気がついた。 何と言うか、好きとか嫌いとか興味あるとかないとかそういう次元をとうに超えた、DNAに刻み込まれた魂の一部みたいなものである。割と冗談ではなく。 野球を観るのなんて何年振りだろう、と思いながらその様子を見回していると、外野のセンター付近、グラウンドの一番端で、投手陣が集まってアップをしているのが見えた。 その集団からひとり、早々に準備を切り上げて、ベンチへ下がっていく選手がいた。 その背番号を認識し、僕は驚きと嬉しさと高揚感がごちゃまぜになった不思議な感覚を覚え、思わず笑顔になった。 彼は僕が学生時代、まだ故郷にいた頃、一番応援していた選手だった。 僕がもうすぐ高校に入学するというころ、彼は大学を卒業すると共にドラフト一位で入団した。 地元出身ということで最初の興味を持った。とはいえ特に近所というわけでもなく、僕は街の方だけど、彼は何と言うか割と自然豊かな、まあ言ってしまえば山の中の田舎の方だ。 次に僕が興味を持ったのは、彼が最近では珍しい進学校に通っていたことだった。職業トレーナーの普及に伴って、大学以上の教育を受ける人口は減り続けている。特にトレーナー産業の活発な地域では高校に進学する子さえ減りつつあるらしい。学力が重要視されなくなってきた世の中、彼の通う高校はポケモンバトルや育成に関する教育をほとんど行わないことで有名だった。大学での専攻も、ポケモンと関わりのないことだったと記憶している。 高校、大学と特に大会で優勝したとか活躍したとかそういう感じの選手というわけではなく、スカウトの人があちこちを歩きまわって見つけた逸材ということだった。本人もドラフト一位指名は予想外だったようで、群がる記者の質問にわたわたしながら答えていたのを今でも覚えている。 ルーキーイヤーは開幕早々に先発投手のローテーション入りを果たしたが、夏前に 重い ただ、僕が故郷を飛び出した頃から成績を落としていたらしく、ここ数年は故障もあって一軍に上がらない日々が続いていた、はずだ。はずだ、というのは、故郷を出て以来僕は全くと言っていいほど野球というものの情報を入れていなかったからだ。野球が必要以上に根付いている僕の故郷と違い、最近の世の中はポケモンが絡まないと認められない人が多いらしい。野球の情報も生活の中に入り込んでいた故郷と違い、こっちでは探さないと出てこない。夜のニュースのスポーツコーナーの片隅にほんの少しだけ出てくる情報を、時々眺める程度にとどまっていた。 試合は結局、僕が応援していた選手が登板することはなく、相手チームの打線が大爆発を起こし、こちらはもう笑いしか起こらないくらいひどい大敗を喫した。 それでもレフトスタンドを占拠する緋色のユニフォームを纏った集団は、最後までわいわいと熱く盛り上がっていた。ここだけ見れば、野球が世間的には斜陽なんて本当なのかな、と思えるほどだった。 滞在中のポケモンセンターに戻った頃には、ロビーにはもう人影もまばらだった。 自由貸出のパソコンの電源を入れる。テレビでは夜のニュースのスポーツコーナーで、ポ球のどこやらのチームのピジョットが通算犠打数の世界記録を作ったという話をしていた。 しばらくその話題でスタジオは盛り上がった後、本日の野球の結果はこのようになっております、と五秒くらい全試合の結果が一覧で表示され、特に何のコメントもなく次のニュースの予告が出てCMへ移った。有料のケーブルテレビや衛星放送では野球の専門チャンネルもあるようだけど、まあ一般的なニュースのスポーツコーナーならそんなものだろう。 僕はそれを横目で見ながら、球団のホームページからグッズの通販ページへ飛び、背番号90のレプリカユニフォームを申し込んだ。 |