1−5:僕は緋に燃える六時になって試合が始まっても、彼女から連絡は来なかった。僕は一応スマホと一緒にイヤホンを持ち、球場の緋色の集団に紛れ込んだ。 今夜は先発投手が初回に早々ソロホームランを打たれ、一点ビハインドのまま淡々と試合が進んだ。お互いまともなヒットもなく、試合運びは割とサクサクしている。いや、サクサクしてたら困るんだけど。こっち負けてるし。 四回表のこちらの攻撃がもうすぐ始まろうという頃、スマホにメールが届いた。URLからして動画らしい。選手会が合併反対を訴えて作ったサイトに掲載されていた、とメモ書きがあった。 僕は応援に盛り上がるスタンドをそっと抜け出して、コンコースの片隅で動画の再生ボタンを押した。 それはインタビューの動画だった。動画の中では若い頃のあの選手が、ポ・リーグとの合併についてどう思うか、野球選手としてどう考えているか、などを話していた。 その時、インタビュアーが尋ねた。 「あなたは『特携』の出身で、高校や大学でもポケモンと触れ合わない生活をしていたようだが、それが合併反対に影響を与えることはあるか?」 と。つまり、「お前はポケモンとトレーナーが嫌いだから合併したくないんだろう?」と遠まわしに言っているのだ。 すると彼は、困ったように笑い、そして穏やかな顔でこう言った。 「確かに、僕はトレーナーだった両親に捨てられました。それは今でも、僕にとっては悲しい思い出です。 でも、それは必ずしも、マイナスの側面だけではありません。僕は人より少しだけポケモンから距離を置いて生きてきて、この世界におけるポケモンの影響力を見てきたつもりです。ポケモンが与えるいい影響も、悪い影響も、出来るだけ冷静に、見てきたつもりです。 まず言っておきますが、僕はトレーナーやポケモンが憎い、なくなればいい、と思っているわけではありません。確かに何度も、悲しい思いはしましたが……それとこれとは違う話です。 昔は確かに、ポケモンやトレーナーから出来る限り距離を置きたいと思っていました。だけど時が経って、色々と見て、学んで、経験していくうちに、考え方も変化していきました。 現状のトレーナー制度には問題があるとは個人的に思います。僕みたいな子供を減らす努力はしなければいけません。でも、それと僕がポケモンやトレーナーを憎むのは、違う問題だと思ったんです。 ポ球は何度も観ました。素晴らしいスポーツだと思います。人間だけでは決して出来ない、派手でダイナミックなプレーは大きな魅力です。 だけれども、僕は、野球は決してそれに負けない、強い力を持っていると思います」 「人に影響を一番与えるのは、人だ、と僕は思っています」 「子供の頃、野球選手を見て、僕は生きる力、みたいなものをもらいました。それは派手な動きとか、神業的なプレーによるものではなかったと思います。 でも、野球選手は僕にとって『ヒーロー』でした。 僕は人間です。野球をやっているのも、僕と同じ人間です。人がやることだからこそ、僕は心が動かされたんだと思います。 野球選手になった今、今度は逆に、野球を愛してくれるたくさんの人から、僕は力をもらいました。今度は僕が、皆さんに力を与えられたら、と思っています。 だから、僕は野球が消滅してしまうことに反対です。この競技がいいんです。この競技でなければいけないんです」 そして彼は歯を見せて笑い、こう言った。 「野球は僕の、魂の一部なんです」 動画が終わった。僕は大きく深呼吸して、涙が溢れそうになるのをぐっとこらえた。 赦されたような気がした。自分が勝手に罪悪感を持って、勝手に憂鬱になっていただけなのに。 ファンである資格がないと思い込んでいたのは、自分だけだった。彼はいつでも球場で、グラウンドで、マウンドの上で待っていてくれた。 もういちど深呼吸をすると、ちょうど四回裏が始まるところだった。僕はスマホをポケットにしまい、急いでスタンドに戻った。 ここまで一失点ながら好投していた先発投手だったが、四回に入って突然制球が乱れ始めた。フォアボールを連発し、一、二塁が埋まる。 捕手とコーチがマウンドに向かい、内野手も交えて話し合いをしているようだった。レフトスタンドの緋色の集団はざわざわと不安そうにざわめき、ライトスタンドからはチャンステーマが高らかと鳴り響く。 選手たちが定位置に戻り、ピッチャーが三人目のバッターに一球目を投げた、その時だった。 打ち返された速球が、投手の頭に直撃した。 ピッチャーが頭を押さえてその場に崩れ落ちた。スタンドから悲鳴が上がる。すぐにタイムがかけられ、緋色の選手たちがマウンドに集まった。 しばらくの後、投手がふらふらと体を起こそうとするのが見えた。スタジアム全体から安堵の声が漏れた。しかし外野席から見ても、その様子は万全とは思えず、周りの選手やコーチは体を動かさないよう押さえつけているようだった。 頑張れ、頑張れと鼓舞する声が響く中、投手は担架に乗せられ下がっていった。監督が球審の元へ駆け寄り、何かを話しあっていた。 マウンドへ走ってきたのは、僕が羽織っているのと同じ背番号90を背負った、ホンカワ投手だった。 こぼれ落ちたボールをいつの間にか投手のすぐ横まで移動していた二塁手のカミヤチョウが拾って処理していたことで失点はしなかったが、無死満塁。 マウンドでは投球練習が始まっている。レフトスタンドが、これまでとまた違うざわめきに包まれる。事態が事態だけに、普段あふれかえるヤジすら飛ばない。 今日の相手投手はいい。これ以上点を与えるわけにはいかない。「ムラっけ」のピッチャー、ましてや緊急登板。十分な準備は出来ていないはずだ。大丈夫か? という空気が緋色の集団に蔓延していた。ごくり、と息をのむ雰囲気がスタンドを覆っている。 「……れ……、頑張れ! 頑張れーっ!!」 気がつくと僕は、立ち上がって声を張り上げていた。周りの視線が僕と、僕が来ているユニフォームに向けられる。 呆気に取られていた周りの人たちが、つられて声を出す。応援団が太鼓を叩く。やがてレフトスタンド全体から、頑張れ、頑張れ、の大合唱が始まった。 |