1−6:本川の13球




 試合が再開された。あちらの攻撃の間、僕たちはじっと見守ることしかできない。ビジター席の観客はみなおし黙り、何となく重苦しい空気が漂っている。

 一人目、外角高めのストレートを見逃してストライク。二球目、三球目は内角へのスライダー。
 四球目をバットの先で何とか引っかけたが、投手のすぐ目の前へのゴロとなり、ホームへ送って一アウトとなった。
 レフトスタンドからほっとした息があちこちから漏れ聞こえた。しかし二人目のバッターがバッターボックスへ立つと、再びぴりぴりとした空気に支配された。

 二人目は初球から振ってきた。二球目がやや甘く入ったところを、狙って打たれた。しかし二塁手が素早く飛び付いてダイレクトキャッチし、即座に他の内野手へボールを送って牽制することで、ランナーを進ませなかった。
 これで二アウト。スタンドがざわめく。これまでの不穏なざわめきの中に、明らかに高揚が混ざっていた。

 三人目。一球目、二球目を見送られ、三球目をファール。四球目の外角低めの真っ直ぐを再びファール。五球目のスライダーはわずかに外れてボール。六球目もまたファール。
 投手は帽子を取り、ユニフォームの袖で額の汗をぬぐった。ライトスタンドからはバッターへの声援が飛び交い、レフトスタンドはじっと黙って投手の一挙手一投足に注目していた。


 七球目。
 振りかぶって投げられた球は、バッターの正面に飛んできた。
 狙い澄ましたバットがボールを叩かんとしたまさにその瞬間、ボールは急にがくっと軌道を変えて落ち、地面すれすれでキャッチャーのミットに収まった。
 バットが空を切った。空振り、三振。スリーアウト。


 レフトスタンドが総立ちになった。歓喜の声がスタジアムを包んだ。
 僕も声にならない歓声を上げてガッツポーズをした。何が何だか分からなくなって、今までずっと堪えていた涙がボロボロと零れおちた。周囲の人たちが、おう兄ちゃん良かったな、最高だったな、と言って、カンフーバットで僕のユニフォームの背番号90をバンバン叩いた。


 試合は七回表、期待の若手の今シーズン第一号逆転二ランホームランによって、見事逆転勝ちを収めた。
 ヒーローインタビューに呼ばれたスラッガーは、若さあふれる輝きで満ち溢れていた。落ち着いて考えたら僕より五つ以上年下だ。うわあ。考えたくない。
 レフトスタンドは試合が終わってからもしばらく、楽しく歌って勝利の余韻を噛みしめていた。

 グラウンドの端を、緋色のユニフォームを着た選手たちが荷物を抱えて歩いて行った。
 僕がそれを見ていると、緋色のユニフォームの集団に混ざっていたホンカワ投手と一瞬目があった、ような気がした。

 『人に影響を一番与えるのは、人だ、と僕は思っています』。

 勝ちもつかない、ホールドもつかない、ヒーローインタビューにも呼ばれないし、スポーツニュースは当然、野球専門チャンネルのハイライトでもカットされることだろう。
 それでも今日の彼は、緋色のユニフォームを纏った彼は、僕にとってこれ以上ない、魂を燃やしてくれる『ヒーロー』だった。


 スマホがメールの着信を告げた。あの女の子からメールが届いていた。嬉しそうにはしゃぐ本文に、バックネット裏で撮ったと思しき写真が添付されていた。
 僕はバックネットの方をちらりと見てふっと笑い、メールを返した。



『また、どこかの大会か、球場で』







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