Inning3:DUGOUT:テンマ広報の取材メモ




 あるトレーナーにお願いをするため、いろいろと資料をあたったり関係者の人に話を聞いたりした。
 明らかに広報の仕事から離れてしまったような気がするけど、これもまあある種の経験なのかもしれない。ということにしておく。でもこれやっぱり広報の仕事じゃないよね。作家とか評論家とかそっちの仕事だよね。いち球団職員のやることじゃないよね。
 まあせっかくだし、それっぽく真面目くさった文章で書いてみよう。


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 この国における『野球』と『ポ球』の関係をまとめてみたいと思う。
 それを語るためには、まずこの国におけるポケモンとポケモントレーナーに関わる文化の発展から話していく必要があるだろう。


 この国においてポケモントレーナー産業が本格的に始まったのは、戦後、カントー地方ヤマブキシティに本社を置く株式会社シルフカンパニーが汎用モンスターボールの機械生産に成功したことがきっかけであるとされている。

 かつてポケモンはその能力や特性ゆえに、神格化されたり化物として恐れられていた。
 ぼんぐりなどから作られる現在のボールと似たような収納能力を持つ道具は存在していたが、大量生産できず、また取扱も現在のものより難しかったため、裕福な者、もしくは特別にポケモンを操る才能を持つ者しか使用できなかった。それ故に、かつてポケモンは小型、強い力を持たない、人に懐きやすい、などの収納しなくても扱いが容易な種を所持することがほとんどであった。

 タマムシ大学のニシノモリ教授が、瀕死のオコリザルがメガネケースに入る現象を確認したことをきっかけに、あらゆるポケモンを安全、確実に収納・携帯できる容器の開発が進められた。

 そこから長い研究開発があり、戦後、現在とほぼ同一の機能を持ったモンスターボールが発売された。
 モンスターボールがポケモンと人間の関係における革命とされたのは、いかなる野生のポケモンであってもボールに収納することができれば、どんな人間にも容易に取り扱いが可能になるということだ。
 これによって人間とポケモンの力関係は大きく変わり、恐れられ敬われていたポケモンは友人として、仲間として、場合によっては労働力などとして扱われるようになった。


 モンスターボールの普及と同時に爆発的に増加したのがポケモントレーナーである。ここでいう『ポケモントレーナー』とは、ポケモンを捕獲・育成・使役し、ポケモン同士によるバトルを行う人物という意味である。
 トレーナーという枠組みに含まれる人物は戦前、いや有史以前から存在していたと考えられる。しかし前述の通り、かつてはポケモンを使役するというのは非常に困難であった。それ故トレーナーは、殊更強力なポケモンを扱うことのできるトレーナーは希少な存在であり、それなりの地位や権力を持っていたと考えられる。
 この国でもかつて戦国時代と呼ばれた頃、各地に現れた強力なポケモンを扱う才能を持った武将ブショーと呼ばれる存在が覇権を争ってバトルを繰り広げていた。

 そのように限られた存在であったポケモントレーナーが、汎用モンスターボールの普及によって年齢・性別・地位や貧富などを問わず誰でも手の届くものになった。また、戦後普及したテレビによるポケモンバトルの中継により、トレーナーとポケモンバトルの人気はますます上昇した。
 決め手となったのは、二十年ほど前に発売された、その名も『ポケットモンスター』という名のRPGだ。
 これまでいくつかのバージョンが発売されているが、目的は全て、舞台となる地方をポケモンと共に旅し、その途中で巨悪を倒し、最終的にチャンピオンまで上り詰める、といったものだ。現実に存在する場所をモデルにし、実在する人物や実際に起こった事件なども大胆に取り入れ、ポケモンの生息地や能力、バトルにおけるルールなどもかなり忠実に再現されており、家に居ながらにしてトレーナーとしての成功体験を味わえるものとして、爆発的な人気となった。その発売からしばらくして放送の始まった現在も続く人気アニメと共に、トレーナーの拡大と若年層化に拍車をかけたとされている。
 ポケモントレーナーとポケモンバトルに対する世間の要望に応えるように、政府は世界に先駆けてトレーナー産業を推進し保護する法案を進めていった。
 結果としてこの国におけるトレーナー産業は他国から見ても非常に発達したものとなっており、世界的に有名なトレーナーを数多く輩出することとなった。
 今やこの国の多くの地域では個人個人がポケモンを所持することが当たり前となっており、十歳を超えたあたりでポケモンを伴って旅に出る若年層もかなりの割合で存在する。


 さて、この国におけるトレーナーの概要を述べたところで、本題に戻ろう。
 野球はこの国に流入して以来、長らく人気のスポーツであった。特に大学などの学生による大会が人気を博しており、戦前にはプロ野球も誕生した。
 戦後この国を統治した連合国軍が推進したこともあり、敗戦の痛手で沈んでいたこの国において野球はもっとも初期に現れた娯楽のひとつとなった。
 プロ野球も発展し、現在とほぼ同一の二リーグ十二チーム制となった。

 モンスターボールが発売され、トレーナー産業が急速に発展し始めたのはちょうどそのような頃であった。爆発的としかいえないポケモン文化の普及により、野球の人気に少し陰りが見え始めた。
 しかしながら戦後の復興に光を与えた野球への支持は根強く、ポケモンの直接関わらない文化としては圧倒的な人気を博し続け、この国においてスポーツといえば野球、という風潮は長く残った。


 しかしながらそれを一変させたのが、『ポケモンベースボール』、通称『ポ球』という存在である。
 トレーナー・ポケモン産業の世界的繁栄により、様々な文化へのポケモンの流入が試みられた。スポーツ界も例外ではなく、リレーやハードルといった陸上競技や水泳などは比較的早くポケモンの参入が行われた。ポケスロンなどの競技大会もかなり古くから行われている。
 それと比較して、野球をはじめとする球技へは参入が遅れた。理由として、速さや高さなど割と単純なもので勝敗がつく競技と比較して、球技は難解で複雑なルールが多く、また団体競技であればまとまった数のプレーヤーが必要となり、ポケモンのみで競技を行えるポケモンを育成するのが困難であるというのが主な原因であった。

 この問題の解決方法のひとつとして、バトル時のトレーナーのように、各ポケモンに即座に指示を送れる司令塔役の人間を配置するというものがある。
 しかしその案にもまだ問題があった。そもそもポケモンにスポーツをやらせてみるという発想の原点として、ポケモンは人には到底及ばない速さや力を発揮できるからというものがある。つまり逆を返せば、ポケモンの力が強すぎるため、人が間に入るのは極めて危険ということである。トレーナー同士でのポケモンバトルでも、技に巻き込まれて負傷したり命を失うトレーナーが頻発していた。後に、リーグや大会など専用のフィールドを用いた正式なポケモンバトルでは、指示を出すトレーナー(及び観客)はバリア効果のある透明な壁(セキチクシティのジムで採用されているものに近い)で保護されたトレーナーエリアへ隔離されるようになった。
 球技の面白さを損なうことなくポケモンを落としこむためには、このように人を守る技術が必要不可欠となる。トレーナー産業が発展し、それに伴う技術の発達により、非常に丈夫で耐久性のある衣服や防具が開発されるようになった。それらの素材や技術をスポーツ用の装備に転用することにより、ポケモンによる試合が行われている中に入ることが可能となった。
 これを用いることで、人とポケモンが共存して行う野球に似た競技、『ポケモンベースボール』、通称『ポ球』が野球発祥の地であるイッシュ地方で誕生した。


 さて、「野球を見るのは頑固者とひねくれ者とポケモン嫌い」「ポ球なんて自分の力で勝てない奴のやる軟弱なスポーツ」なんて悪意のこもった冗談もあるが、ポケモンも野球も好きという人も当然ながらいるので是非ともやめていただきたい。
 ともあれ、中にはポ球を見たことがないという人もいるだろう。ルールや野球との違いを簡単に説明させていただく。

 ポ球は基本的に野球と同一のフィールドで行われる。ポ球専用の球場は今のところこの国には存在していない。ただし、野球で使われる頻度の少ない(野球の本拠地以外の)スタジアムを改修して本拠地としているポ球の球団は存在する。天然芝を用いているグラウンドでは、芝の保護のため特殊なシートをかけられる場合がある。
 球場へ行ったことがある人は、客席を囲むフェンスに特殊な機械が取り付けられていることに気がついているかもしれない。これはポ球を行う際、ポケモンの技や強烈すぎるホームラン・ファールボールから観客を守るための装置である。内野席はポケモンバトルのフィールドにある透明な壁と同様なものが張られ、外野席には電磁ネットが張られている。
 それでも流れ弾が来ることもあるが、ドリンクの売り子や警備員は全員緊急時に対処できるポケモンを持っているので安心してほしい。とはいえ絶対安全とは言えないので外野席に行く際はなるべく身を守れる格好、及び対処できるポケモンの携帯をお勧めする。
 客席へのポケモンの持ち込みは一部の例外を除いて自由だが、アルコールは原則販売されていない。

 バットやボールは野球とほぼ同じ規格のものを使用しているが、野球のものと比べて反発係数がかなり低く作られている。
 数年前、ポ球用のボールが野球の方に混ざり、異常に飛ばないボールがあると話題になったことを覚えている人もいるかもしれない。
 グローブもとりわけ丈夫なこと以外特に変わりはないが、必要としないポケモンもいる。ユニフォームは各ポケモンに合わせて作られ、チームのロゴと背番号が見える形で着用することが義務付けられている。帽子も基本的には着用する。人間の選手は攻撃中も守備中もヘルメットを被る。

 九対九で試合を行うのは野球と同じだが、グラウンドに出ている選手の中でポケモンを入れていいのは六匹までとなっている。
 シーズンの半分の試合は指名選手(Designated Player:DP)制度を採用している。DPはソフトボールで採用されているのと同じもので、野球のDH(指名打者)との違いは投手以外の全ての守備位置に就くことができるというものである。
 プレーを行うのはほとんどがポケモンで、人間は指示を出す役割が強い。ポケモンは人と比べて行動範囲が広いものが多く、動きも素早いため、野球より各ポジションの守備範囲が広くなるためである。
 指示を出す人員の振り分けとして多いのは、内野に二人配置するか、内野・外野それぞれにひとりずつ配置する方法である。最も多いパターンはセカンド・ショートに人が入る場合である。この場合セカンドはフィールド右半分(ファースト・ライト)に、ショートは左半分(サード・レフト)に指示を出す。内野・外野にひとりずつ配置する場合はそれぞれ内野・外野に指示を出す。
 もうひとりは投手か外野手として入ることが多いが、ポケモンの守備範囲の広さゆえ、守備要員としては必要とされないことも多い。その場合、内野か外野の守備を減らし(内野三人・または外野二人シフト)、キャッチャーの後ろという特殊な守備位置につくことがある。
 このポジションは『指令捕手(Command Catcher:CC)』と呼ばれ、バッテリーのポケモンに指示を出し、監督やコーチの指令を伝え、試合全体をまとめる司令塔の役割を果たす。守備番号には「0」が用いられる。

 試合の流れは基本的に野球と同様である。試合は九イニングまで行われ、現行のルールでは最大十二回まで延長される。
 週末や休日はほとんどがデーゲームである。これは現在野球の試合のほとんどがナイターで行われており、試合時間を被せない目的もある。
 同じ球場で同日に野球も行われる日は午前中から試合が始まることもある。午前に始まる試合をアーリーゲーム、午後から始まる試合をアフタヌーンゲーム(アフター)、仕事や学校のある平日、あるいは球場や日程の関係で夕方以降に行われる試合をレイトゲーム(レイター)と呼んでいる。ただしこの国独自の呼び方なので海外では通用しない。
 シーズンは野球とほぼ同様の期間で、年によって多少の変動はあるが一チームあたり年間百試合前後が行われる。シーズン終盤の振り替え日などを除けば基本的に木曜には試合が行われない。
 シーズンの前半の試合をスプリングシーズン(SS/春季)、後半をオータムシーズン(AS/秋季)とし、それぞれの終了後上位三チームによるトーナメント形式のプレーオフ(ポストシーズンゲーム/野球で言うクライマックスシリーズに近い制度)が行われ、勝ち残ったチームを各シーズンの優勝チームとする。
 全シーズン終了後に春季と秋季の優勝チームが四戦先取の試合を行い、勝ったチームが年間王者となる(ファイナルシリーズ/野球で言う野球選手権シリーズに相当)。春季と秋季の優勝チームが同一だった場合、そのチームが年間王者となりファイナルシリーズは行われないが、ファイナルシリーズと同じ日程で年間王者対他チームの七試合が組まれることとなっている。
 春季と秋季の間にはオールスターゲームがあり、毎年シーズン前にくじ引きで四球団ずつにチームを分けて戦う。

 細かいルールとしては、ねんりきやサイコキネシスを用いてボールをスタンドへ運んではならないとか、ホエルオーなどの大型のポケモンをグラウンドのプレーに支障となる場所に置いてはならないとか、球審の近くにストライクを配置してはならないとか、どうしてこうなったなルールもちらほらあって結構面白いのだが、きりがないので今回は割愛する。
 詳しく知りたい方は市販されている「公認ポ球規則」を購入していただきたい。一部はインターネット上でも公開されている。


 ポ球の解説が随分と長くなったが、野球とポ球の関係の話に戻る。
 イッシュ地方で誕生したポ球がこの国で本格的に始まったのは、プロポケモン野球協会(PPB:Professional Pokemon Baseball Organization)が統括するポ球のプロリーグ、ポケモン・リーグ(通称ポ・リーグ)が開催された、今から二十年前のことである。
 四球団一リーグ(この翌々年二球団を追加して六球団となり、更に今から五年前に現在と同じ八球団一リーグ制となる)でスタートした「ポ・リーグ」は、開催と同時に圧倒的な指示を受け、試合は常に超満員となる盛況ぶりであった。
 当初のポ球は週末もナイターも多く、野球と試合が完全に被ることもあった。それもあり、ポ球流入初年度の収益は、最も人が入るヤマブキレジギガスの主催試合でも前年比五十パーセント以下と、野球界全体が大混乱に陥った。
 翌年には協議の末、ポ球はデーゲーム中心、野球はナイトゲーム中心という取り決めがなされ、試合時間の被りは減少した。
 しかしポ球の人気は日を追うごとに高まり、逆に野球の観客動員数は初年度ほどの急激な低下はなかったものの減少し続けた。細々と続いていたテレビなどによる中継もほとんどなくなり、放映権や広告料による収入も激減した。

 観客がいなくなり、収益の減った野球界では、球団の譲渡や身売りの話が頻発するようになった。元々経営の苦しい球団が多く、ポ球の流入がそれに拍車をかける形となった。
 それでもしばらくは親会社の援助や人員の削減により、何とかポ球流入前と変わらないリーグを存続させていた。ポ球の流入から十年以上も何とか体裁を保っていたことを考えると、各球団の努力は並大抵のものではなかったことはすぐに伺える。

 しかし、それにもとうとう限界が来た。今から七年前の四月、ペナントレースが始まったばかりのことだ。
 最初に悲鳴を上げたのは、ジョウト地方、コガネシティに本拠地を置いていた――今これを書いている僕がプロ野球の世界に足を踏み入れた最初の球団の――コガネバファランツだった。
 大きすぎる負債を抱えた紅色の球団は、同じジョウトの球団であるアサギブルーケルディオズに合併を申し出た。この合併を承認すると、球団数が足りなくなり、これまでと同様のリーグを運営することが困難になる。
 そして間もなく、プロ野球連盟(PBO:Professional Baseball Organization)の出した提案が、その一年間野球界を大きく揺るがすこととなり、そして現在まで続く野球とポ球の間の溝を形成する要因となった。


 その提案こそが、『野球』と『ポ球』とのリーグ統合、いわゆる『リーグ再編問題』である。
 野球とポ球の運営団体であるPPBとPPOを合併。野球の十二球団を合併・統合して六球団とし、当時六球団だったポ球と合わせて十二球団二リーグとする。
 当然野球とポ球は似てはいるが別物なので、全ての試合でポケモンを使うルールに統一する――要するに「ポ球」だけにする。

 運営団体の統合。球団の削減。そして何より、全ての試合を『ポ球』のルールで行うという提案。それは言わば、プロ野球というものをこの世から消滅させるということだった。
 唐突な話ではあったし、もちろん合併すべきだったとは思わないが、上層部からそのような意見が出るのも当時野球が置かれていた状況を考えれば理解はできる。苦しい市場を縮小・廃止して、業績のいいものを広げる。経営としては当然の発想である。
 正直当時ルーキーながら選手として所属していた僕も、がらがらの球場で野球をやるのであればポ球になってもよいのではないかと考えることもあった。
 選手の中にも、首脳陣の中にも、ファンの中にも、それも止むなしと思う人は少なくなかったのではないかと思う。そうなればいいなということでは決してない。客が減り、資金もつき、当時の野球界には暗いムードが漂っていた。抗っても無駄だと皆半ば諦めかけているという状況であった。

 それに待ったをかけたのが、一部の球団オーナーと野球の選手会、そして野球を愛するファンである。
 汎用モンスターボールの発売から始まった、ポケモン文化の広がり。半世紀以上経ってなお、その勢いは留まるところを知らない。今この状況で廃止してしまったら、『野球』という文化は失われ、そしておそらく二度と復活することはない。
 事実として、過去に一度、高校生による野球大会が中止となった時期があった。アサガネエレクティヴィアズの本拠地であるアサガネコウシエン球場で、毎年春と夏に行われている選手権大会(会場の名を取り通称『コウシエン』と呼ばれる)である。
 この大会はプロ野球発足以前から行われていた伝統あるもので、特に夏休みに行われる大会は夏の風物詩と言っても過言ではなかった。野球人気の低下、ポ球の広がり、そして長期休暇にトレーナーとして旅をする高校生の増加により、大会に参加する生徒が激減したことが大会休止の主な理由である。
 この大会は結果として三年ほど休止されたが、風物詩の消滅を惜しむ人たちの声は大きく、現在は出場校を各地域(例えば「ハナダ」「東ヤマブキ」など)毎の複合チームにし、規模は縮小したものの毎年行われている。しかしながらかつての盛り上がりを取り戻せることはなく、大会が中止になったのと同時期に始まった高校生のポ球の大会に観客や注目を持って行かれているのが現状である。
 そのような悲劇を、二度と繰り返してはならない。「プロ野球」という文化の灯を消してはならない。
 野球を愛する人々が力を合わせ、立ち上がった。そして、野球の存続を巡り、半年にわたる戦いが幕を開けることとなった。


 ポ球としても、合併に必死になる理由はあったようだ。
 上陸以来順調に人気となっていたポ球は、球団数や開催場所の増加を考えており、ゆくゆくは野球と同じかそれ以上の規模にする予定だった。そのため新球団設立を様々な企業や団体に訴えていたのだが、これが思いの外難航していた。
 元々ポケモンに無理に複雑な運動をさせるということがポケモン愛護を謳う団体によく思われていなかった上、合併騒動の前年に起こった事故がきっかけとなり、ポ球に対する風当たりが強くなりつつあった。
 プロスポーツ団体は自社の広告とほぼ同じである。万が一不祥事があれば、親会社への影響はあまりに大きい。それ故に、球団を持つことに対し難色を示す企業が多かった。
 そこでポ球と似た競技であり、長年この国で行われているため文化として浸透している野球を取り込むことで、労少なく勢力を拡大でき、さらにポ球と野球に分散しているファンを全て自分たちのものに出来るのでは、という考えがあったようだ。

 しかし、協会側の思惑に反し、合併に反対したのは野球の選手会だけではなかった。
 野球の選手会と同調するように、ポ球側の選手会も合併に異を唱えたのだ。想定外の内部からの反発に、ポ球側の協会も相当に面食らった様子だった。
 ポ球の選手会側の主張はこうだ。

「我々は文化を乗っ取りたいわけではない。人気を得るのは我々の努力の成果であるべきで、多くの人たちの犠牲を強要した規模の拡大に意味はない」
「ポケモンと共にいる我々が、人を蔑ろにしてはいけない」

 ポ球選手会はそう主張し、協会の姿勢に強く反発した。


 両選手会の意見は一致していたものの、野球の置かれていた現状はやはり厳しく、問題はすんなり解決とは行かなかった。
 選手会の主張は、現状のチームの維持。度重なる協会との話し合いにも決して譲歩せず、試合日程の半分を野球、半分をポ球にするという協会側の妥協案にも頑として首を縦に振らなかった。
 開幕と同時期に始まった協議は難航し、結論が出たのはシーズンも残り一月余りという頃合いだった。

 結果として、コガネバファランツはアサギブルーケルディオズに吸収合併され「ケルディオ・バファランツ」となり、空いた枠には新規球団の「ミチノクブラヴィアリーズ」が参入して、元と同じ十二球団を保つこととなった。
 選手会長は元のチームそのままを維持できなかったことを悔やんでいたが、多くの選手やファンとしてはプロ野球の消滅を免れ、球団数も同じという結果は想定以上の結果だった。
 それ以来、どの球団も綱渡り経営は多いものの、熱心なファンの支えもあり、それぞれの地域で十二の球団が愛され続けている。


 この騒動をきっかけに、『野球』から生き物としてのポケモンの要素は排除されるようになった。
 球場でボール外の携帯は原則禁止され、今後予定されていたイニング間のダンスやボールを運ぶ「ボールポケモン」などの計画も立ち消えた。
 野球に残るポケモン要素は、各球団の球団名とペットマーク、マスコットの造形のモデル程度になった。一時期はそれさえも排除しようという動きさえあったほどだ。

 皮肉なことに、騒動の結果、野球の観客動員数はわずかに復調した。
 昔からの野球ファンが野球界の抱える問題に直面し、積極的に球場へ足を運ぶ空気を作ったこと、各球団がそれに応えファンを大事にする運営を心掛けるようになったこと、そしてこれまでスポーツ観戦に興味のなかった人の中でポケモン文化の広まりをあまり好ましく思っていない層を呼び込んだことが原因にあるのではないかと言われている。
 野球は文化を浸食していくポケモンという存在に徹底して抗った稀有な存在だと、一部の人に祭り上げられているような風潮もある。

 ポ球ファンの中には、経営が行き詰っているにもかかわらず頑なに合併を拒否し、あまつさえ見せつけるかのようにポケモン要素をこれでもかと排除した『野球』に不快感を覚える人が出、「野球を見るのは頑固者とひねくれ者とポケモン嫌い」などと揶揄する人まで現れるようになった。逆に野球好きの人の中には、「ポ球なんて自分の力で勝てない奴のやる軟弱なスポーツ」などと言う人もいる。

 このような流れの中で、『野球』と『ポ球』の間には複雑で深い溝ができ、それはまるで「ポケモン嫌い」と「ポケモン好き」の象徴のように扱われるようになった。
 しかし、実際はそうではない。ポケモン好きな野球好きもいれば、バトルは嫌いだがポ球は好きという人もいる。野球とポ球どっちも面白いという人ももちろんいるし、どっちにも興味がない人だっている。
 選手の中にも、本当はポ球に興味があったけどいろいろな事情で出来なかったから野球を選択したり、逆に野球をやりたかったけどポ球を選んだ人もいる。
 野球とポ球は似て非なる存在だけれども、共存できるものだと僕は思っている。


 ポ球がこの国にやってきてから二十年、様々なことがあった。

 今現在、野球もポ球も、置かれている立場は決して楽なものではない。思いがけず生まれてしまった溝は大きく深いけれども、少しずつでも埋めていくことは不可能ではないはずだ。
 『野球』と『ポ球』は、支え合っていかなければならない時期に入ったと思う。


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 さて、随分堅苦しく文章を書いてしまった。読み直してるけどやっぱりこれ広報の仕事じゃないよね。まあいいか。
 書いてから思ったけど、これ見せてもどうすればいいのかわからないよね。うん。もうちょっと短くまとめよう。

@ポ球は二十年前この国に来た
A野球はポ球に吸収されそうになったが存続した
B野球とポ球の間には溝があるけどこれからは協力すべき

 三行にまとまった。何だったんだろうこの文章。
 そういうわけなのでこの文章は封印しておくことにしようそうしよう。資料は別に用意しよう。
 深夜テンションで書いたら本当何書いてるんだこれうわ恥ずかしい。







「……っていう文章が球団公式ホームページに隠しページとしてあったんですけど」
「ちょっと何でこれ流出してるんですかやめてくださいよまじで本当まじでうわ死ぬほど恥ずかしい死ぬ」
「ホームページ担当の安佐北アサキタさんが『テンマさんにもらったウェブ用写真データの中に間違って混ざってたからこっそり公開しちゃったテヘペロ』って言ってましたよ」
「アサキタこの野郎」






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