4−4:熱の正体




 まだ風が冷たい二月の終わり。
 今日から暖かいホウエンの方以外でもオープン戦が始まる。私の仕事も今日からだ。
 毎年と同じように、準備を整える。まだちょっと寒いから、ポットにホットコーヒーも準備しておこう。

 立ち売り箱にドリンクを詰め込み、外野中央、バックネット裏からコンコースを出る。
 オオスバメ色とコイキング色の合流地点。去年の同じ時期よりほんの少しだけ増えたような気がする、スタンドの人の山。

 試合開始まで三十分。真昼の太陽が照っているのにまだ少し肌寒い空気を、弾き飛ばすような大歓声。
 拾いきれない大勢の声が、耳をつんざいて脳みそへ突き刺さってくる。でも、不思議と不快感はない。
 全身に押し寄せる、くすぐったいような熱気。浮き立つような高揚感。全身を包み込む、熱いけど優しい、心地よい感覚。


 ああ、わかった。私にも、やっとわかった。ここにいる人たちが、こんなに夢中になっている理由。
 自分の事のように喜んで、心の底から怒って、一緒になって哀しんで、側にいるだけで楽しくなる。
 そんな存在に対して、自分たちへの見返りも度外視して、ただただ一方的に贈られる、この暑苦しい気持ち。


 愛だ。これって、愛だ。


 ここに来ている人たちはみんな、伝えに来てるんだ。
 『あなたが好きだ』って、声を嗄らして叫んでるんだ。

 トランペットの音色と共に響いてくる、グラウンドへのラブコール。純度百パーセントの愛の塊。
 それぞれ少しずつ形は違って、時に歪んで、捻くれて、あらぬ方向へ向かうこともある。
 だけども、ここにいる人たちはみんな、選んだ。それぞれのきっかけなんて私が知る由もない。だけどみんな、無数の選択肢の中から、ここを選んだ。

 自分はこれが好きだ。自分はこれを愛してるんだ。胸張ってそう言えるものを、見つけられたんだ。


 身体が痺れるような、不思議な感覚。私じゃない誰かに向けられた声援に、背中を押されたような気がした。
 無理に頑張らなくてもいい。流れに身を任せていてもいい。ただ時々、間違えないように舵を切ることさえ出切れば。
 焦らなくていい。今できることをやればいい。いいじゃないか、何にも夢中になれなくたって。

 この世界は冷淡だけど、冷酷じゃないんだから。
 好きになれるものを見つけた時に、それを愛せば、それでいい。


 私は目をぎゅっと閉じて、頬を軽く叩いた。笑顔を作る。口角が、自然と上がったような気がした。
 大きく深呼吸をして、よし、と小さくつぶやき、右腕を高々と挙げて熱気の渦へ声を張り上げる。


「冷たいお飲み物はいかがですかー?」


 火傷しそうな熱い愛が溢れかえったスタンドの中で、今年も私の戦いが幕を開けた。





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