Inning6:液晶越しの赤色




『はじめまして!

 みなさん、はじめまして! 今日から球団広報に就任しました、天満です!

 これからこのブログで選手や球団の裏側をガンガン書いていこうと思います!
 みなさん、これからどうぞよろしくお願いします!』

 確か初めて書いた記事は、こんな始まりだったはずだ。

 僕の見ている風景を切り取って、写真と文字で伝える。それが僕の仕事。



+++



「――ええ、イノは大丈夫でした? よかった……。はい。ありがとうございます」

 ありがとうございます、と電話口の向こうへ伝える。ついつい頭も下がる。
 試合中の「事故」は、考えられる限り最小の被害で済んだみたいだ。よかった。僕は大きく安堵の息をつく。
 さて、それじゃあ、僕はいつも通りの仕事をしようかな。僕は足早にロッカールームへ向かう。



「モトさんモトさんっ! 写真撮らせてくださいっ!」

 試合後のロッカールーム。端の方でひとりアイシングをしている、背番号90のベテラン投手に声をかける。本川ホンカワ投手は苦笑いして、スマホのレンズを手でふさいできた。

「いいよ僕は、もっと若い奴にしろって。決勝打打ったの流川ナガレカワだろ、ナガでいいだろ」 「直前の記事もナガなんですよー。いいじゃないですか、モトさん全然ブログ載せさせてくれないし」
「あ、あんまり得意じゃないんだよ、そういうの。いいから他の奴に……」

 そうやってホンカワさんと押し問答を繰り広げていると、ホンカワさんの背後から同い年の段原ダンバラさんがやってきて、ホンカワさんの肩を抱いた。
 ホンカワさんはぎょっとしてダンバラさんの顔を見上げた。

「いいじゃねーかショウリ、たまにはお前も載っとけ。テン、早く早く」
「お、おいこらキリ! やめろって!」

 ホンカワさんの抵抗をよそに、ダンバラさんはスマホのカメラに向かってピースサインを向けてくる。
 僕は慌ててシャッターを切った。ダンバラさんのちょっと意地悪なドヤ顔と、照れが隠せないどころか前面に出たホンカワさんのツーショットが撮れた。
 これはいい。ブログのネタにはぴったりだ。

「ありがとうございます! あとで『温泉』更新しますからね!」
「お、今日の『温泉』はモトさんか」
「激レアだな激レア、保存しとかなきゃな」

 紙屋町カミヤチョウ八丁堀ハッチョウボリのふたりが茶化すように言い、ロッカールームに笑いが巻き起こった。
 「お前ら先輩を何だと思ってるんだ!」とホンカワさんが怒っているけど、その顔は照れながらも笑っている。その声でますます笑い声が大きくなった。

 温泉、というのは、今年の春季キャンプから僕が球団ホームページ上で更新している広報ブログのことだ。
 もちろん温泉の情報を載せているわけではない。
 『球団広報てんまくんのブログ テンブロ!』というのが正式名称で、開設早々に『テンブロ』→『露天風呂』→『温泉』という感じでファンの間であだ名がつけられ、それがいつの間にやら選手や球団職員の間でも定着している。
 一度本気でキャンプ先の温泉情報(選手のサービスショット付)の記事を書いたら、ネット上では「公認かよwwwww」みたいな感じで局所的にごく小さな祭りになった。
 まあ温泉情報を載せたのはそれ一度きりで、普段はロッカールームや練習場など、関係者以外がなかなか入れない場所での選手の写真をメインに掲載している。



 就寝前、ホテルの部屋で文章を書き、撮った写真と一緒に記事を更新する。


『ナイス救援☆

 イノ(井口投手)がライナーを頭に受けるというアクシデントで降板したものの、中継ぎ陣が大活躍!
 ノーアウト満塁の大ピンチから、モトさん(本川投手)が完璧な 救援を見せてくれました!

 恥ずかしがってなかなか写真撮らせてくれなかったけ ど、ダンさん(段原選手)が捕まえてくれました☆
 ダンさんナイスです! さすが同郷の同級生、仲良しですね☆
 みなさーん、モトさんの激レアなロッカー写真ですよー!
 モトさん、また写真撮らせてくださいね☆☆☆

 イノはあのあとすぐ病院で診察を受けました。
 診断の結果骨や脳に異常はなく、打撲と脳しんとうだったそうです。
 とりあえずは一安心、ですね。早期の復帰を祈ってます……。

 試合はナガ(流川選手)のホームランで逆転勝利!
 週明けからも頑張るぞー!』


 これでよし、と投稿した記事を見返して、ひとりうなずく。

 僕は一軍付き広報、という立場だ。
 球場でのイベントの企画にスポンサーとの話し合い、招待客の出迎えともてなし、ホームページの保守管理、新商品のアイデア出し、球場周りのゴミ拾い等々、本当に広報の仕事なのか疑問なものも含めて仕事は山のようにある。何せ球団スタッフは人出が少ないから。
 結構な人数が元選手だったりするわけだけど、無論引退した選手全員がスタッフになれるわけじゃない。
 何せ球団にはお金がないのだ。僕の所属する球団は特にと言われるけど、プロ野球の十二球団全部人員も資金も乏しい。絞れるところを絞った結果人件費が犠牲になっている。だから仕事内容も雑多で多岐にわたる。

 そんな僕の仕事で一番人の目に触れるのが温泉、もといブログの運営であり、その主な活動はいろいろな場面で選手などの写真を撮ってファンへ発信することだ。
 選手の自然な表情をファンに届けたい、という球団の意向があって、去年まで選手として在籍していた僕が選ばれた。退団したばかりの僕が、球団のウインドブレーカーを着てカメラ片手にキャンプ先の合宿所に現れた時は「引退撤回したのか?」とみんなに驚かれたけど、そんな距離感だからおかげさまでものすごく自然に接してくれる。
 マスコミの報道写真ではまず見られない選手の姿はなかなか好評だ。まあこの世界には、タマムシの某球団の某マスコットという超絶ブロガーがいるし、僕はまだまだ末席の新人だけど。

 とりあえず、今日の分の仕事はこれでおしまい。明日に備えて寝よう。僕はスマホを充電器に繋いで、大きなあくびをした。





 今日は日曜。明日は休み。試合に勝って、さぞかし選手のテンションも高いだろう。
 勝ったすぐ後に写真を取りに行きたかったのだけれども、諸々の雑用があってロッカールームに行くのがちょっと遅くなってしまった。

 部屋をのぞき込むと、だいぶ人数が減っていた。
 明日は貴重な休みで、次の試合も地元だから移動なし。しばらくぶりにゆっくりできるとあって、家庭持ちの選手をはじめ早々に帰った人が多いようだ。
 それでも何かないか、とうろうろしていると、まだ着替えもしていない状態で、若手元気印のカミヤチョウ、ハッチョウボリ、シンテンチ、ナガレカワが集まって相談をしている。
 聞き耳を立ててみる。

「……肉が……」「先輩……」「取り囲んで……」

 ……何やら物騒な感じがするが、どうやら手ごろな先輩を見つけて焼き肉を奢らせる計画のようだ。悪魔の所業である。食べ盛りの若手四人に集られるとは恐ろしいことだ。
 やめなさいよ、と言おうとしたところで、飢えた若者たちはちょうど片付けの終わったダンバラ選手のところへダッシュで向かい、周りを取り囲んだ。

「ダンさーん、夕飯奢ってくださいよー!」
「嫌だね。俺は今夜は愛する嫁と娘が待つ家で一家団欒だからな」
「そういやダンさんの奥さん、めっちゃ美人っすよねー。どこで知り合ったんすかー?」
「……まあ、何だ、友人の紹介みたいなもんだ。そんなことどうでもいいんだ、俺は帰る。そして飯を食う」

 じゃあな、とダンバラ選手は若手包囲網を華麗に突破し、足早にロッカールームを出て行った。
 逃げられたな、と若手四人は悔しがる様子を見せて顔を見合わせた。大人しく独身寮帰って飯食えよ、と言ったけれども、いや、今日はどうしても焼き肉が食いたい気分なんスよ、もう寮母さんに夕飯いらないって言っちゃったし、と口を尖らせる。

 ダンバラ選手が出ていってから少しして、ホンカワ投手がやってきて、あれ、キリはもう帰った? とロッカールームを見渡した。ダンバラ選手を探していたらしい。
 いいタイミング、いや悪いタイミングでやってきたベテラン選手に、腹を空かせた若者四人組が群がった。

「モトさんいいところに! 奢ってください!」
「何でだよ。お前たちは野手に奢ってもらいなさい野手に」
「他に先輩いないんですよー! いいじゃないっすかー、モトさんと飯食ったのもうずいぶん前っすもん! オレ、久々にモトさんとご飯食べたいなー!」

 わざとらしく甘えた声を出すナガレカワに、オレもオレも、と同調する若手たち。
 僕はため息をつき、ベテランの財布を狙う若者たちをなだめようと前に出た。

「こらこらお前ら。モトさんだって休日前くらいは家族と過ごしたいだろうし……」

 すみませんねモトさん、と言いかけると、ホンカワ投手はいつの間にやら携帯電話を耳に当てていた。

「……ああ、マイ? うん。すまない。後輩がな……うん、カミヤチョウと、ハッチョウボリと、シンテンチと、ナガレカワと……あと、テンマも」

 ホンカワ投手がこちらを指さし確認しながら電話の相手、多分奥さんに報告をしている。というか、いつの間にやら僕までメンバーに入っている。
 電話を切って、嫁の許可はもらった、奢ってやる、とホンカワ投手が言った。やったー! 肉! 肉食いたい! と若手たちは一気にテンションを上げた。
 本当こいつらがすみませんモトさん、と若手に代わって頭を下げると、一緒に飯食いたいなんて言われたらな、とまんざらでもない顔をしていた。何となくいい話っぽい雰囲気だが、多分正しくは「モトさん(の財布)とご飯食べたい」である。
 早く準備しなさい、と苦笑いしながらホンカワさんが言うと、テンションの高い若手たちは了解っす! と慌ただしく片付けの続きをする。

 先に準備を終えたシンテンチとナガレカワが、時間のかかるカミヤチョウとハッチョウボリを置いて先に戻ってきた。
 肉だー焼き肉だー、とテンションを上げる後輩たちに、ホンカワさんは鞄の中から色紙を数枚取り出して、奢ってやるから代わりにこれにサインな、と差し出した。
 誰かにあげるんッスか? とナガレカワが聞けば、お世話になってる施設に、とさらりと答える。へー、と聞いておきながら適当に返事を流し、ナガレカワとシンテンチは油性ペンのキャップを開ける。
 ホンカワさんが『特携トッケイ』の出身であることは僕は知っているけど、若手はあまり知らない。本人がそういうことあまり話さないから。多分、出身の施設に送るんだろう。
 そういえば今更ですけど、とシンテンチが色紙の右下の方にサインと日付と「焼肉記念」という文字を書きながら言った。

「そういえばモトさんって何で『モトさん』なんです? 『ホンカワ』ですよね本名」
「入団した時に本通ホンドオリさんがいたからだよ。一年だけ一緒だった」
「あー、伝説の名投手ッスか。うちのチーム最後の名球会でしたっけ」
「今となっちゃエースが基町モトマチ先輩だから、また被っちまってますね。まあモトマチ先輩はモッチーだけど」

 今度はモッチー先輩にたか……奢ってもらおうぜ、年俸高いし、と若手たちは新たな悪巧みの計画を立てる。
 具体策が立てられる前に、お待たせーと遅れてきたふたりが重装備で現れる。
 真夏だというのにカミヤチョウは眼鏡にマスク、さらさらした素材の長袖の上着。ハッチョウボリはキャップにハイネックの長袖シャツ、革の手袋。
 いつ見てもお前ら暑っ苦しいなあ、とシンテンチがからかう。うるせーしょうがねえだろ、体質だよ、とカミヤチョウが言い返す。

 カミヤチョウは獣系、特に犬っぽいポケモンの毛に対するアレルギー持ちだ。涙とくしゃみと鼻水が止まらなくなるらしい。
 本人曰くそれほど症状がひどいわけではないらしいが、うっかりポ球が行われた直後の清掃前のフィールドに行くと練習に支障が出る程度には辛いようだ。清掃が終わった後でもいつもぐしゅぐしゅやっている。
 犬ポケモンの毛なんて街を歩けばそこらじゅう漂っているので、試合の時以外は大体いつもマスクと眼鏡かサングラスを着用している。それでも時折盛大にくしゃみをしては鼻をすすっている。
 ハッチョウボリの方は、ポケモンの毒に含まれてる成分に対するアレルギー、というかあれはもうアナフィラキシーって言った方がいいかもしれない。
 とりあえず触るとやばい。少し手に付いただけで全身腫れあがって呼吸困難になるらしい。
 学生時代に球場のフェンスに残っていたスピアーか何かの毒液にうっかり触ってしまって試合中に緊急搬送されたそうだ。ポ球が行われた後に球場の清掃が徹底されるようになったのは俺のおかげだとおどけて言っていた。笑いごとではないのだけれども。
 私生活では夏でも長そで長ズボン、それに手袋だ。どっちかというと暑がりだから本当は脱ぎたいそうだけど、何かあったら大変だからといつも脱がない。
 ふたりとも、本当はポ球に選手として入ってもポケモンたちに負けないくらい身体能力が高いのだけれど、体質上無理なのだ。

 そんなことよりとりあえず飯だ、焼き肉だ、と腹を減らした若者たちが盛り上がる。
 ホンカワさんは苦笑いしながら、お前らもあとで色紙書けよ、と言い、空気清浄機付の個室がある焼き肉屋って近くにあったっけ? と僕に聞いてきた。


 後輩たちが好き勝手注文した肉を網の上に並べつつ、その隙間に野菜を置いていくホンカワさん。食べるのに夢中な若者たち。ひと昔前はそこにビールがつきものだったけど、傍らにはウーロン茶。今の世の中は酒より肉のようだ。
 モトさんうめぇーっす! あざっす! と後輩たちが定期的に褒めるので、気をよくしたホンカワさんが追加を発注する。
 うまく乗せられてるなあ、と思いつつ、僕は隅の席でハイボールを流し込む。
 時々ホンカワさんがこっちを向いて、テンは食ってるか? と言いながら肉と野菜を僕の取り皿に盛る。よく考えなくても完全に先輩に焼かせているこの状況はどうなんだろう。僕も肉に夢中の若手たちも。
 それにしても、こうやってホンカワさんが気をまわして色々やってくれる状況、すごく覚えがあるなあ、と僕は思う。確かそう、五年前のことだ。

「そういえば僕が人的保証でマジカープに入団した時、モトさんが真っ先に飲みに誘ってくれたんですよね」
「えっ何その話詳しく詳しく」
「ああ、テンが来た時なあ。あの時は確か僕と、中継ぎセットアッパー白島ハクシマと、捕手キャッチャー舟入フナイリさんとで歓迎会したんだったっけ」
「ベテランたちだーすげー!」

 あの頃は全員若手だったけどな、と懐かしそうにホンカワさんが言う。

 シーズンを終え、秋期キャンプを終え、よっしゃ来年こそ結果残すぞ、と意気込んでいた年末に、突然告げられた人的保証による移籍。
 正直なところショックだった。FAの人的保証っていうことは、球団のプロテクトリストに入っていなかったということ。つまり、元の球団から戦力と思われていなかったということでもある。逆に言えば、そんな中で移籍先の球団には戦力になるって思ってもらってたってことでもあるんだけど。
 急な移籍だったし、心境は複雑だし、チームに馴染めるだろうか、と不安な状態で年明けにモミジの街へ引っ越し、即ホンカワさんに呼び出された。
 当時のホンカワさんと言えば若手ながらも九回を任されている不動の守護神である。正直びびった。こちとら一軍での登板経験が片手で数えられるくらいのヒヨッコである。移籍して早々先輩からの洗礼が来たのかと震えた。

 しかし実際のところ全くそんなことはなく、「急な移籍で不安だろうけど、早くチームに馴染めるように」と気を回して若手バッテリー軍団で歓迎会を開いてくれたのだ。
 めちゃくちゃ嬉しかったし安心した。そしておかげさまでものすごい勢いでチームに馴染んだ。
 一軍でほとんど成績を残せなかった外様の僕が、今こうやって一軍付き広報なんて大層な肩書きを持てているのも、受け入れてくれた球団の暖かさあってのことだ。ホンカワさんは「お前が順応性高すぎるからだよ」と言っていたけれども。

「結局けがで選手生命絶たれて、選手としてはさっぱりだったけどね」
「そうだぞ、僕だって去年までしばらく故障で二軍だったんだから。お前らも若いからって油断するな、野球選手は身体が一番だぞ」
「はーい」
「経験者が語ると重みが違うッスねー」
「そうかそうか、わかったなら肉だけじゃなくて野菜も食べなさい、野菜も」

 しっかりビタミン取らないと体壊すぞ、と言いながらホンカワさんは若手たちの皿に焼けたカボチャやらタマネギやらキャベツやらを配布していく。
 若手たちから「やだー」「野菜嫌いー」と子供のような抗議の声があがる。奢ってやるんだからちゃんと食べなさい、ノルマだぞこれは、とホンカワさんが言い、肉と米さえあれば幸せな若手たちは渋々といった様子で野菜にかじりつく。
 完全に親子、というか母親と言うこと聞かないやんちゃ坊主みたいだな、と端で見ている僕は半笑いで考える。

 そうだ、と僕はスマホを取り出す。

「写真、撮っていいですか?」
「え、またブログか? 僕はいいよ、この前キリと写ったし……」
「じゃあモトさん写らないようにしますから。文章だけならいいですよね?」

 まあ文章だけなら、と照れ屋なベテランは渋々了解する。
 ほら撮るぞー、と若手に呼びかければ、ノリのいい若者たちは焼き野菜片手にポーズを決める。
 写真を撮って、その場で文章を打ち込んでブログを更新。


『休日前の焼き肉☆

 今日も試合は快勝でした!
 エースのモッチー(基町投手)はいつも通りの安定感!
 打線も好調、5回にシノ(東雲選手)の2点タイムリーで先制!
 後を継いだハクさん(白島投手)、抑えのミナミ(皆実投手)もバッチリでした☆

 試合後に、カミ(紙屋町選手)、ハチ(八丁堀選手)、シン(新天地選手)、ナガ(流川選手)が怪しい相談……
 どうやら若手たちはご飯を奢ってくれる先輩を探している模様! 先輩逃げて!

 哀れにも飢えた若手に捕まったのはモトさん(本川投手)。
 何だか僕まで連れて行ってもらえました。モトさんすみません、ごちになります!

 写真は肉だけじゃなくて野菜も食べなさい! というモトお母さんの指示に従うカミ、ハチ、シン、ナガ。
 丈夫な体は食事から! しっかり食べて、ますます活躍しようね!』


「おい、テン、『モトお母さん』って何だ」
「あっすみません、うっかり思ったことそのまま打っちゃいました」

 更新された温泉を見た若手たちが笑い転げている。
 ホンカワさんにはにらまれたけど、修正はうっかり忘れた。うっかり。





 ヤマブキレジギガス主催の三連戦で、ヤマブキへやってきた。
 相手は現在優勝マジックが残り一。この三連戦でうちが一度でも負けるか、二位のアサガネエレクティヴィアズが負けたら、その時点で相手の優勝が決定。
 目の前で胴上げは見たくない。何とか負けないようにしたいものだ。
 普段は一軍付き広報は僕だけなんだけど、今回は同僚の安佐北アサキタを無理やり引っ張ってきた。優勝は先延ばしにしたいけど、もしそうなったら対戦相手のこっちもてんやわんやになりそうな予感がした。
 球団職員は慢性的人手不足である。保険は掛けておくに越したことはない。

「いやー、ドーム内めっちゃオレンジですねー」
「そりゃまあ、ホームチームの優勝決まりそうって時だからな、無理もないだろ」

 ヤマブキレジギガスのチームカラーであるオレンジ色が、照明を反射してより一層輝いて見える。
 そんな中でも、狭いスペースに押し込められた緋色の集団の活気はベンチ裏まで伝わってくる。普段のヤマブキドームより何倍も、熱気と喧騒が濃い。
 優勝決定するかもしれない試合って、こんな感じなんすねー。独特っすねえ。俺こういうの初めてだからなあ、とアサキタが言う。
 僕もだよ、と返す。


 その日は先発投手だったうちのエースのモトマチが完投完封、更に自らの手で援護点を入れるという投打にわたる大活躍で勝利し、目の前での胴上げを防いだ。

 慌ただしく一日の仕事を終えて、ホテルの部屋に戻り、ようやくひと休み、と思っているところで、スマホが振動した。
 メッセージが届いている。発信者を見ると、ヤマブキレジギガスの球団広報、スイドウバシさんだった。

『テンマくん、おつかれさま』
『お疲れ様ですスイドウバシさん、大丈夫ですかこんな時間に。そっち優勝間近でてんやわんやでしょう』
『そっちは他の人に任せたから。そんなことよりこの件について→』

 そうやって示された先には、ネットニュースのURL。
 開いてみると、今日の試合中に客席で起こっていた騒動について書かれていた。
 最近少し名が売れてきたトレーナー、猿猴エンコウ東花トウカ。彼女がどうやらマジカープファンで、今日の試合を観に来ていたらしい。それで少し揉め事があって、主にネット上で話題になっているとか。
 ありゃー、と僕は驚きと戸惑いが混ざったリアクションをした。
 そこそこ顔の知れたトレーナーが、野球ファン。そりゃ騒動になるのも無理はない。それだけポ球、というかポケモンと野球には隔たりがある。僕もその発端には巻き込まれていた世代だから、そうなったいきさつもまあ身に染みている。
 こりゃ大変ですね、と返事をしようとしたところ、別のメッセージが届いた。アサガネエレクティヴィアズのナルオさんだ。

『お疲れ。何かそっち騒ぎになってるな』

 みたいですね、と返信しようとすると、また別のメッセージ。それを見ようとするとまたメッセージ。更にメッセージ。
 そんな感じで各球団広報から何かしら届くので、通知が止まらない。
 どうしようこれ、と思っているところに、年度初めから時々会議をしていた十二球団広報のグループに、スイドウバシさんから各球団広報に一斉メッセージが配信された。

『通知うるさい。この件に関してとりあえず今から通信会議。各球団広報は五分後にパソコンの前にいるように』

 有無を言わさぬ態度。さすがレジギガスの敏腕広報。
 それにしても今から会議か、こりゃ睡眠時間減るな、と僕はちょっとため息をついた。


 イヤホンマイクを装着して、カメラをつけ、会議モードの通信にする。パソコンの画面が十二分割され、それぞれの枠に各球団の後方さんたちの姿が映る。
 お疲れー、お疲れっスー、と各自適当に挨拶をする。ゆるい空気になりかけていたところに、スイドウバシさんが「会議を始める」と声をあげる。

「今回の議題だが、各自ネットのニュースは見たと思う」
「スイドウバシちゃん、見たけどさ、これと広報会議とどう関係するの?」

 クチバベイスターミーズのカンナイさんが声を上げる。それを今から説明する、とスイドウバシさんがバッサリ切る。クールビューティーだ。

「今年度初めから行ってきた広報会議での議題は、今シーズン終了後に放送予定のコマーシャルについてだな」
「結局意見がまとまってないんだよねー。具体策が出てないっていうか、決め手に欠けるっていうか。ポ球のほうもあっちあはっちでまとまってないみたいだし」
「ミヤギノの言う通りだ。このままではポ球と協力するという当初の計画までおじゃんになりかねない」
「何か妙案でも浮かんだんですか? スイドウバシさん」

 トウカスタラプターズのトウジンマチさんが問いかける。その通り、とスイドウバシさんは眼鏡をくいっと上げる。

「これは私からの提案だが、彼女……エンコウトウカさんに、コマーシャルに出てもらうというのはどうだろう」

 スイドウバシさんの発言に、各球団広報がざわざわとざわつく。

「トレーナーにか。確かに今までの野球のイメージとはかなり変わりそうではあるな」
「ポ球とのコラボも、もしかしたらやりやすいかもしれませんね。何といってもポケモンを扱うプロですし」
「だが、問題も起こりそうだな。何せ根は深いぞ。溝を埋めるのは容易じゃない」

 だからこそ、だ、とスイドウバシさんが腕を組む。

「球場に来ていただけで、これだけ騒動になる。つまり逆に言えば、それだけ野球が注目を浴びているわけだ。乗らない手はないだろう」
「……彼女の好感度と心中しそうだな」

 ヨシノドラゴナイツのヤダさんがぼそりとつぶやく。

「騒動を早く鎮圧しようと思ったら、俺だったら一切野球には関わらない。まだ若いトレーナーだ。自分の将来がかかってる。」
「その通りだろうな。でも私としては、心配することはないと思う」
「スイドウバシちゃん、ずいぶん自信あるね。その心は?」

 これだ、とスイドウバシさんはプリントアウトした写真を画面に映す。マジカープのユニフォームを着た女の子が映っている。

「ネットに出回っている彼女の写真を見たが、ユニフォーム、帽子、タオル、リストバンド、カンフーバットと完全装備だ。その上着ているTシャツは先日マジカープが限定生産した記念品。更に帽子はやや年季が入っていて、炎上商法による売名などのために飛び込みで球場に来たわけではないと考えられる。彼女は多分、かなり気合の入ったファンだ」
「わーすごーい、スイドウバシちゃん探偵みたーい」
「そう褒めるな。とにかく私は、彼女が今回のことで『野球を嫌いにならない』と信じている」

 提示された写真をじっと見る。
 ルーキーのヨコガワがプロ入り初サヨナラを決めた夜、僕も参加してデザイン案を出した限定Tシャツ。今はもう終売になっているつばの長い帽子。たくさんの傷がついたカンフーバット。
 この人はこれまで、どれだけの歓声を、僕たちに向けてくれたのだろう。どれだけ一生懸命試合を見て、応援してくれたのだろう。

「多少の賭けにはなるかもしれない。粘り強い交渉がいるかもしれない。だが私は、彼女を推したい。……どうだろう」
「異議なし」

 真っ先にそう答えたのは、ケルディオ・バファランツのチヨザキさん。

「広告塔になってくれるなら、それはもしかしたら逆に、彼女を守る盾になるかもしれない。騒動は僕らが蒔いた種。彼女を守るのは僕らの役目だ。そのためにも、球界全体で彼女をバックアップしたい」

 ひと呼吸おいて、チヨザキさんは悲しげな表情で言った。

「彼女は球団は違えど、野球ファンだ。……僕はもう、ファンが理不尽に泣くのは見たくない」

 過去に存在したふたつの球団名を冠する球団の広報は、はっきりとした口調でそう表明した。
 しばらくして、「異議なし」「こっちも」と声が上がる。
 スイドウバシさんは少しほっとしたような表情で、ありがとう、と頭を下げた。

「……というわけで、テンマ君、資料集め含めてあとはよろしく」
「えっ! 僕ですか!? そこはスイドウバシさんじゃないんですか!?」
「エンコウさんはマジカープファン。テンマ君が行くのがベストだろう。それに」

 スイドウバシさんはニヤリと笑って眼鏡をくいっと上げた。

「我が軍はこれからリーグ優勝祝いの準備で忙しいからね」
「うわーむかつくー!」
「強者の余裕めっちゃむかつくー!」
「おいテンマ、明日絶対負けんなよ! こっからうちが逆転優勝してやるからな!」
「そう言うナルオさんのとこ負けたらうちの試合の前に優勝決まっちゃうんですけど」
「そうだった! おいシナノ、そういうわけで明日は負けてくれ」
「絶対やだ」

 マジック残り一の球団によるブラックなジョーク(多分)に会議がどっと盛り上がる。
 その勢いでうやむやにされたけど、結局のところ僕が交渉に行かなければならなくなったようだ。ちくしょう。しかもさりげなく交渉のための資料集めとかも押し付けられた。さすがスイドウバシさん、敏腕だ。ちくしょう。
 睡眠時間が減るどころじゃない。これは徹夜決定である。ちくしょう。

 調べものに入る前に、ブログを更新する。試合が終わったすぐ後のベンチ裏で撮った、投打に活躍したエースの写真を付ける。


『優勝阻止!

 今日負けたら目の前でヤマブキレジギガスの優勝が決定という大一番!
 先発のエース・モッチー(基町投手)が気合の入った投球を見せました!
 八回にはダンさん(段原選手)のヒットから、モッチーがツーランホームラン!
 自らの手で試合を決めました☆☆
 攻守に気合が入り、目の前での胴上げを阻止! みんなお疲れさま!

 さてさて、三連戦初戦が終わったばかりだけど、僕はちょっと別の用事でまだ仕事……。
 今夜は眠れそうにないな☆
 さあ、明日もこの調子で頑張ろう!』


 これでよし。さて、こっちはこっちの戦いをするとするか。
 僕は大きなあくびをしながら、缶コーヒーを手に取り、プルトップを開けた。



 結局試合中に二位のチームが負けたことでレジギガスのマジックナンバーはゼロとなり、今シーズンのリーグ優勝を目の前で決められた。

 僕は睡眠時間を削ってCM出演交渉の資料を作っていた。
 トウカさんは主にカントーで活躍するトレーナー。チームがこちらにいる間に顔だけは出しておきたい。まあ、最悪スイドウバシさんに押し付けるけど。

 それにしても流れで交渉することになってしまったけどどうやって会えばいいんだろう、と思いながらネットを漂っていると、翌日のポケモンバトルの大会に出場するらしいことが分かった。テレビ中継もしている。
 他球団の広報たちからも「大会後に出待ちしろ!」と煽られた。まあ、それくらいしか方法がないか。テレビの中継予定見る限りあんまり時間の余裕はないけど。
 ま、最悪他の仕事はモミジの街から引っ張ってきたアサキタにやらせればいいか。



 会場近くのポケモンセンターのロビーで、適当な時間まで待機する。僕はトレーナーじゃないから特にお世話になることもないのだけれども、入るのは誰でも自由だ。
 都合よく、ロビーのテレビで目当ての大会の中継をしていた。
 目当てであるトウカさんが現れる。聞こえてくる歓声の中に、聞くに堪えないヤジが混ざっているのがテレビ越しでもわかる。球界の関係者として胸が痛い。

 バトルのことはさっぱりわからないのだけれども、噂のトウカさんはとても強かった。
 三対三のルールでのバトルなのだけれども、ほとんど最初に出す赤い鶏に倒されていた。

 見事に頂点を勝ち取った彼女は、優勝者インタビューで、はっきりとした声で、笑顔で言った。


『私は、野球が大好きです』


 その言葉を聞いて、僕は何だかふっと体の力が抜けて、じわりと目頭が熱くなった。
 自分の立場や将来もあるだろう。客席の一部からの声も聞こえていたはずだ。それなのに、この人は、こんなにはっきりと、『好きだ』と言ってくれた。

 スマホに続々とメッセージが届いた。他球団の広報たちからだった。
 『いける』『この人なら大丈夫』『やべ、泣きそう』などなどの言葉。全員が最後に、同じ言葉を書いていた。

『伝えてください。「好きだと言ってくれて、ありがとう」って』

 必ず、とスマホを握りしめ、僕はうなずいた。鞄にスマホを滑り込ませ、事前に調べていた大会会場裏口へ急いだ。



『代打。

 これから試合ですが今日の温泉は代打です。
 皆さん初めまして、広報の安佐北と言います。普段はホームページ管理してます。

 天満さんはちょっと別用でどっか行ってます。大事な用事です。
 多分来年のお正月くらいにはわかるんじゃないですかね。

 さて、こちら試合前のロッカールーム。昨日目の前で胴上げされたので選手みんな燃えてます。
 CS行くには勝ち続けなきゃですからね。
 まだまだシーズン終わるまで応援お願いします。

 天満さんみたいにゆるーく文章書けないや。困ったなあ。
 まあ代打は多分今回限りで。次からはまたいつもの感じでーす。』





 ペナントレースが終わり、クライマックスシリーズが終わり、野球選手権シリーズが終わり、オフシーズン、あるいはストーブリーグと呼ばれる季節。
 トウカさんと話がまとまり、ポ球側とも打ち合わせが完了し、とうとうCM撮影となった。

 撮影現場には、カメラマンやその他撮影の人たちの他に、野球十二球団の広報たちと、ポ球八球団の広報。計二十人が大集合。それぞれPBOプロ野球連盟PPBプロポケモン野球協会の監修として、という名目である。
 威圧感すごいですね、とトウカさんと、撮影直前に急遽協力してもらうことになったトウカさんの知り合いのトレーナー(こちらもマジカープファンらしい。頭が下がる)が苦笑いする。
 僕らはグラウンド上の審判みたいなものだから気にせずどうぞ、と言う。そうそう、石ころみたいなものだから、という言葉に、石ころ多すぎて石垣みたいですよ、とトウカさんが返し、笑いが起こる。


 広報の集団で撮影の様子を見守る。背景とか効果は合成するからとグリーンバックでポーズだけとっているのだけれど、やっぱり本物のトレーナーってすごいなあ。トレーナーもポケモンもそんなに間近で見ることがないから、赤い鶏とか青い犬とかが動いているだけでちょっと感動する。
 照明とかを除いても何だか輝いて見えるトレーナーとポケモンを見て、僕の口からぽろりと言葉が漏れた。

「人はいつから、『プロスポーツ』をやらなくなったんでしょうね」

 僕のつぶやきに、スイドウバシさんが顔を上げる。
 ポケモンって、やっぱりすごいですね。求心力ありますよね。僕がそう言うと、確かにそうだな、とスイドウバシさんが答え、周りからも同意の声が上がった。
 だからこそ、ですよね、と僕は目の前の光景を見つめながら続ける。

「僕たちがなぜ、野球を興行としてやるのか。僕たちが考えなきゃならないのは、きっとそういうことなんだと思います」

 『スポーツ』は人間が人間として生まれるより前から存在していた。
 生き物が体を動かせばそれがスポーツだ。体を動かし、肉体を鍛える。それで喜びを感じる。
 だけど人間は、他人がスポーツを行うこと、それを見るということで快感を得るようになった。それが娯楽としてのスポーツ観戦だ。
 やがてスポーツを行う、スポーツを観るということに対して、金銭の授受が行われるようになった。スポーツ観戦が金銭的な価値を持つようになった。

 つまり、スポーツそのものは、やりたい人が好きにやればいい。
 走るのが好きなら走ればいい。泳ぐのが好きなら泳げばいい。野球が好きなら、野球をやればいい。
 でも、興行としてのプロスポーツ、これは違う。興行としてのスポーツは、観客がいないと成り立たない。需要が存在することで、スポーツは初めて興行として存在する。

 プロスポーツっていうのは不思議なもので、どんな競技でも第一の目標は勝つことなんだけど、それと同時に「その競技に金と時間を払ってもいい人」を多く集めるっていうことをクリアしないといけない。
 野球だって好きにやればいいのだ。選手と場所と道具さえあれば、観客はいなくても野球という競技は出来る。

 だけど、それは『プロ野球』じゃない。

 プロとしてスポーツを行う理由。それは自分の能力を上げたいとか、よりうまくなりたいとか、そういうことでは決してない。

 「野球を愛するファンが存在する」。

 それだけが、僕たちが野球をする理由だ。
 全てはファンのために。僕たちは常に、それを心掛けなければならない。

 それこそが、プロとしての僕たちの仕事だ。


 このCM、やってよかったと思います、と僕は言った。

「僕はこの七年間を、野球とポケモンの断絶だと思いたくない。僕たちが少しだけ、自分を、世界を、身の回りを見直す時間だったんだと思いたいんです」

 ポケモンが文化の中心になっている間だからこそ。多様な価値観が認められてもいいはずだ。
 『好き』と思う気持ちに、制限なんかないように。

 そしてその思いに僕たちは答えていく。
 野球に関わる者として。ポ球に関わる者として。

 受け取った『好き』という気持ちに少しずつでも返事をしていく手伝いをする。
 それが僕たち、広報の仕事だと思うから。

 いいCMになるよ、とスイドウバシさんは微笑んだ。



『集合!

 今日は広報というかPBOの仕事です。
 何と十二球団の広報さん+ポ球八球団の広報さんが大集合!

 写真は顔出し×な人がいるので、代わりと言っちゃなんですが僕の今日の朝食です。
 サンドイッチおいしかったです。そこ、いらない情報とか言わない。

 最近ちょっとずつほのめかしてますが、お正月からのテレビをお楽しみに!
 シーズンオフも野球漬け!』





 CMがお茶の間で流れるようになって、数か月。

 まだ春先だというのに、今日はずいぶん暑かった。
 開幕日和だな、と開幕投手を務めるエースが言う。少しだけ涼を含んだ風が柔らかく吹く。


 ダグアウトから顔を出して、スマホを構えてのぞき込む。
 液晶画面に映っているのは、雲ひとつない青空に、緑色の天然芝。そして、緋色のスタンド。

 試合開始まで、あと三十分。僕は撮った写真を記事につける。


『開幕!!

 ついに、今年もプロ野球が開幕しました!
 優勝目指して、選手も首脳陣も裏方も、全員そろって頑張っていきます!


 今年も一年、熱い応援をどうかよろしくお願いします!!』





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