Inning8:7回のグラウンド
七回表、0対0。相手の攻撃。
キャッチャーマスクを被り、防具をつけ、バッテリーに簡単な指示を出してから、キャッチャーの斜め後ろにしゃがみこむ。
俺はポ球の選手。
ポジションはCC……コマンドキャッチャー、日本語では『指令捕手』。ポ球の元となった野球には存在しない、ポ球独自のシステム。
野手のひとりではあるけども、キャッチャーの後ろで、バッテリーのポケモンに指示を出す役割だ。
相手の攻撃はちょうど一番打者から。クリーンナップ含む上位打線。
相手にとっては点を取るチャンス。こちらとしては、気合を入れて何としても抑えておかないといけない場面。
ここを抑えるか、点を取られるか、それだけでこの試合の流れが大きく変わるだろう。下手に点を与えてしまうと、そのままずるずると大量失点してしまうかもしれない。それは恐ろしい。
とにかく、頑張って抑えよう。
俺は投手と捕手のポケモンの肩を軽く叩いて、頑張ろうな、と声をかける。
最初の相手は、僕と同じ人間の選手。
一番から九番までの打順のうち、三人は人間が入らなければならないので、それをどこに入れるかは戦略的に大事なところ。一番バッターに人間の選手を持ってくるのはよくあるパターンだ。
先頭打者の役割は、安打でも 四球 でもいいから、とにかく塁に出ること。確実にボールを選ぶ選球眼とか、ストライクの球をカットする技術とか、塁に出た後の走塁技術とか、そのあたりはやっぱり人間の方が上手い選手が多い。
ここは積極的にストライクを取りに行きたいところ。思い切って真ん中に投げるよう指示を出す。
人間にはとてもじゃないけど出せない剛速球。そうそう打ち返せまい。
……と、自信を持って選んだ球だったけれども、振り抜いたバットは見事に白球をとらえ、セカンドベースの後ろへ落ちる。お手本のようなきれいなセンター返し。
うわあ、やられた。そうなんだよなあ、ポ球に混ざってる人間は二種類いる。選手としてはいまひとつだけどポケモンへの指示が上手い人と、ポケモンに混ざってプレーできるほど身体能力が優れている人。
僕は圧倒的前者なんだけど、そうだよなあ、一番バッターを任される人なんて、そりゃ後者に決まってるよなあ。
いかんいかん。ちょっと気が緩んでいる。引き締めないと。大事な場面だ。
次の打者はピジョット。ホームラン間違いなしの球に飛びついてアウトにするのに定評のある外野手。
だけどこのポケモンの真価はそこじゃない。塁に走者がいる状態で打席に立つ今の状態こそ、この選手にとっての真骨頂だ。
細めのバットを口にくわえ、長いトサカの鳥がバッターボックスに立つ。
困ったな、どこに投げさせるべきか。悩んだ末、内角低めを指示する。ストライクゾーンをギリギリ外れた球を二球見送られる。くそう、目がいいな。いや、焦らない焦らない。落ち着いてもう一球、内角に要求する。
ピジョットは首を素早く軽く振り、バットにボールを当てる。完全に勢いを殺されたボールは、バッテリーのちょうど間の三塁線ギリギリで止まった。ピッチャーが急いで拾って一塁へ送り、ピジョットはアウト。その間にランナーは二塁へ。
上手いなあ、と俺は舌を巻く。もちろん今は褒めるわけにはいかないので、心の中で思うだけだ。
外野は守備範囲が広く、ホームラン性の当たりもキャッチできるという利点から空を飛べるポケモンが好まれる。
飛べるポケモンといえばもちろん鳥系なのだが、ポ球で一番多いのは虫系だ。
ポ球は野球から派生したスポーツなだけあって、大前提として、打者はバットでボールを打たなければならない。それをなくすと全く別の競技になる。
つまり出場できるポケモンはバットを振れなければならないから、必然的に出られるポケモンの造形は限られてくる。要するに鳥だと打てないからあまり出ないわけだ。翼ではバットを持てないし、足で持っても振るのは難しい。
鳥ポケモンにはDPを使って打席を回避するところもあるけど、DPはない試合が半分あるからスタメンが固定できないし、貴重な枠を潰すのはもったいない。
そういう意味でこのピジョットはすごい。このピジョット、バットをくちばしでくわえている。
もちろんこの状態で大振りは出来ない。出来ることは、バットを水平に出して、当てて転がす――要するにバントだけである。
大きなヒットもホームランも絶対打たない。ただひたすらに、バント。例外なく、バント。このピジョットに出来ることはそれだけである。
しかしそれでも、スタメンで二番の打順をキープし続けている。この鳥はこれまで、バントの技術のみを黙々と磨いてきたのだ。
守備の穴をつき、相手ピッチャーの剛球の勢いをしっかり殺して確実に落とす。通算の犠打成功率は驚異の九割超え。
自分を犠牲に、前のランナーを確実に次の塁へと送る。それがこの鳥の仕事だ。磨き抜かれたバント技術はすでに職人の域である。
強打を連発する四番打者のような派手な輝きはないが、彼らが点を入れるために黙々と準備をする玄人好みのいぶし銀。二番打者の到達点のひとつの形である。
対戦相手だし、キャッチャー……いや、今は指令捕手だけど、まあとりあえずキャッチャーとしてはすごく嫌な相手なんだけど、個人的にはこういう選手が大好きである。ザ・職人って感じがたまらない。いやまあ、今は対戦相手だし困るんだけど。でもいいよな、こういう一芸に秀でた選手。
そういう意味で俺は先発以外の投手……中継ぎや抑え、ワンポイントピッチャーなんかの地位をもっと向上させるべきだと思う。
一回・三アウトを確実に取りに行く力。たったひとりの相手に対して全力で抑えに行く仕事。捕手的立場からしてもこういう投手たちは先発とは全然違うものを感じる。
一球一心、まさに命を削って投げる、とでもいうような気迫が60.5フィート、18.44mの距離を通じてこちらまで伝わってくる。
おっと、いかんいかん。自分の趣味のことなんて考えてる場合じゃない。
試合中だ。一死二塁、相手チームはこれからクリーンナップ。
抑えられるのか、これ。いや抑えなきゃならないんだよ。試合なんだから。
次に打席に立つのはライチュウ。
速さはあるけどパワーは、と思われがちだけどなかなかの力の持ち主だ。バットコントロールが上手いんだよな。技術があるというか。あのもちもちとした手でよくバットを操れるものだと思う。
確かこの選手は内角高めに弱いんだよな。でも今日はちょっとインコースのボールのキレがよくないからなあ。
とりあえず、外角低めで様子見。うん、振ってくるか。よっしゃ、ここはひとつ勝負しよう。
インコース、高めにまっすぐ。コースは概ね指示通り。ただ、やっぱりちょっとノビがない。
ライチュウの振ったバットの根元辺りに当たる。高々とあがったボールはセンターのフェンス手前でで外野のミットに納まる。
返球の間にランナーは三塁へ。いやしかし、完全に詰まった辺りだと思ったんだけどあそこまで飛ぶか。怖いなあ。
ポ球をやってて思うのが、ポケモンそれぞれのイメージってあるけど、こういう『競技』になるとそういうのってあんまり関係ないんだな、ということ。
世間で非力と思われてるポケモンがパワースラッガーだったり、ごつくて力のありそうなポケモンが意外と俊足の技巧派だったりする。ポケモンの種類ごとの能力より、それぞれのポケモンの個性の方が際立つ気がする。そういう意外性が見えるのが面白い。
だって誰も、小柄なパンプジンが並み居る屈強な格闘タイプを抑えて本塁打王なんて思わないだろ? モリモリマッチョのゴロンダがバントと走塁の名手だなんて思わないはずだ。
一匹一匹それぞれと先入観を捨てて向き合って、優れている点を見つけて伸ばしていく。ポケモンのポ球選手を育てるのは難しいけど、とても面白い。
昔はトレーナーになろうかと思っていたこともあった。今でもバトルは嫌いじゃない。だけど俺は、この道を選んでよかったと思う。
プロの選手としてグラウンドに立てている、それだけでも十分すぎる幸せだから。
とりあえずツーアウトまで取ったけど、ランナーは三塁。ううむ、怖い。
屈強な格闘ポケモンがネクストバッターズサークルから出てくる。
相手の四番はゴーリキー。破格のパワーでボールを飛ばし、見た目に反して足も速い。そして繊細な小技も意外と上手い。
外野手に指示を出している選手が、守備位置を下げさせる。ヒットが出たら終わりだ。何とか抑えなければ。
ここまでずっと投げてきてるし、今日はあんまり調子もよくないし、積極的に三振を取りに行くのはやめた方がいいかもしれない。何とか転がしてアウトを取りたい。下手にフライをあげたらうっかりそのままスタンドインしてしまうかもしれない。それは避けたい。ただ本当に器用な打者だから、どこに投げても打たれる時はあっさり打たれる。
さて、どう攻めるか。
こんな時、あいつならどうするだろう。胸に手を当てて考える。
いや、考えるまでもない。一番自信があるボールを、一番自信があるコースに投げるだけだ。
打たれたら捕手の責任。今なら指令捕手である俺の責任。それでいい。
大丈夫だ。俺は投手を信じてる。きちんと投げてくれれば、必ず抑えられる。
思いっきり行け、と投手と捕手にサインを出して指令を送る。ピッチャーはうなずいて、ボールを構える。
放たれたボールは、まっすぐ、ど真ん中。
ゴーリキーはバットを振りかぶる。回転のかかったボールが、急に落ちる。ゴーリキーが慌てて出しかけたバットを止める。
ボールは中途半端に止められたバットに当たって、高々と宙に舞い、キャッチャーの後方へ跳んだ。ハーフスイングのキャッチャーファールフライ。
俺は素早く立ち上がり、キャッチャーマスクを外した。
ボールを追いかけて、ダイブして飛び付く。白球はぽすんと軽い音を立ててミットに収まった。
客席から歓声と落胆の声が聞こえてくる。ポケモンに指示を出すのが主な仕事である指令捕手とはいえ、俺ももちろん野手の一員だ。自分の方が取りやすければ、遠慮なくボールを取る。
何はともあれ、これでスリーアウト。交代だ。
オーロラビジョンには客席の映像が映り、こっちのチームの球団歌が流れはじめる。
俺はキャッチャーとピッチャーのポケモンをねぎらう。言葉が通じているかは知らないけど、二匹とも嬉しそうにしているので俺も満足だ。
それにしても、今日は暑いな。まあ、もうそろそろ夏だから暑いのは当然だけど。
『街の方では、夏のよく晴れた日、日中の気温がとても高くなると、夕方に風が入れ替わる時、ぴたりと風が止まる』
こう暑い日は、いつもあいつの言葉を思い出す。まあ俺が今いるこの場所では、風が止まったりはしないんだけれど。
そろそろ、あいつの試合でも観に行こうかな。そうだ、はす向かいのあの子も連れて行こう。気に入ってくれるかな。
さて、この回は何とか点が欲しいな。
三番からだから、得点のチャンスは高い。俺も打撃はそんなに得意じゃないけど、回ってきたら塁に出させてもらうさ。非力だけど選球眼はある方だ。四球でも何でも……あ、でも死球は困るな。本当に死にかねん。
まあとにかく、点だ点。この回で点を取って、残りの回もしっかり抑えてやる。
気合を入れ直していると、バッテリーコーチが俺の肩をぽんと叩いてきた。
「ナイスリード、カエデ」
あざっす、と俺は頭を下げた。
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