9−1:夕凪の街と歪の子




 日入りの直前。海と陸の温度が同じくらいになる頃、昼間吹き続けていた海風がぴたりと止み、水面は鏡のように平らに静まる。
 空気の流れが止まった三角州デルタに、強烈な西日が照り付ける。天から与えられた熱は背後を囲う山に抱かれて逃げる道を失い、頬を流れ落ちる汗を冷ましてくれる風は半刻以上吹くことはない。
 目に映る景色は溜まった熱気と湿度でぼんやりと歪み、ただ静かに、じっとりと、時が止まったような蒸し暑さが河口の街に滞り続ける。夕凪と呼ばれる、この地方の夏の風物詩。

 それがこの球場での、プレーボールの時間を迎えた合図。

 宵をとうに過ぎた頃合い。
 供給の途絶えた熱が徐々に勢力を落とし、うだるような蒸し暑さが解消され始めるころ、ようやく昼間とは反対方向からの風が吹きはじめる。籠った湿気と熱の残渣を山風が海へと運び、星空の下は乾いた大気で満たされる。
 過ごしやすくなった空気はしかし、カクテル光線の下に集った人々へ届くことはなく、まるでそこだけ未だ夕凪が続いているかのように、いやそれ以上に、時が経つほどに暑く、熱く、熱気が塗り重ねられていく。

 夜空の下での試合が終盤を迎え、スタジアムの熱狂が最高潮クライマックスを迎える頃。赤いランプが三つ点灯し、得点表スコアボードの八番目の下段に攻撃回イニングの最終得点が表示された時。

 それが、僕がマウンドへ向かうタイミング。


 投球前に、何らかのルーティーンをする投手は多い。ベースラインを左足でまたぐとか、まずプレートの真ん中を踏むとか、ロージンバッグを手のひらで二回バウンドさせるとか、些細な者から込み入ったものまで、やることは実にさまざまだ。
 一応、僕にもある。僕はリリーフピッチャーだから、マウンドには必ず自軍と相手のピッチャーが先に立っている。
 それまでの試合で踏まれ、削られ、傷ついた、グラウンドで一番高い場所。そこを僕の場所に変え、小心者の僕の心に忍び寄ってくる弱気を振り払うための、ちょっとした儀式。
 やることは単純だ。
 マウンドへ走っていき、そのてっぺんに立ち、目を閉じ、少し下を向き、右手を胸の真ん中に当て、ノックするように指先で軽く胸を叩く。
 その後大きく深呼吸をして、投球練習を始める。
 プロになって十数年。マウンドに立つ度繰り返してきた。


 四方から照明が向けられ、球場中の視線が集まるこの場所は、まるで演劇の舞台のよう。
 そうであるならば、スポットライトの当たるこの場所は、さながら独白を始める主人公の立ち位置というところだろうか。

 生まれ持っての性質による舞台上での適役は、背景の木か頭数をそろえるためだけのモブといったところか。
 いずれにせよ目立つ役をやるような柄じゃない。身体は動く方だと思うし、図体はそれなりに大きいけど、大人しくて、小心者で、すぐ弱気になる。
 投手としては不向きな性格。いやそもそも戦いに向かないのかもしれない。
 けれど、それでもこの場所に立っている限り、僕は主人公でいなければならない。

 そう、主人公でいなければならないのだ。僕はこうやって、幼いころからの夢舞台に立つことが出来るようになったのだから。



 紅葉を象徴とする街の中心から真っ直ぐ北へ、車で数時間。
 平均標高五百メートルの山が連なる高原の中、霧のたちこめる盆地の小さな町。
 その町はずれ、山と川と田んぼに囲まれたところに、僕が育った「家」があった。

 『特別児童養護施設 もみじの樹』。
 「携帯獣関係特別児童養護施設」、通称「特携トッケイ」と呼ばれるその施設は、トレーナー制度の広がりによって生まれた、僕みたいな「ひずみ」を集めた場所。
 親の顔も名前も、僕は知らない。知っているのは、生みの親はポケモントレーナーだったこと。それだけ。ただそれだけだ。
 施設長の話では、僕はとある年の冬の日の朝、毛布にくるまれて施設の前に置き去りにされていたらしい。ちょうど初雪の降った日だったそうだ。
 古びた毛布に挟まれたメモには名前や連絡先は何もなく、『私たちには無理です。すみません。』とだけ書かれていたとか。
 無責任なものだと思う。無理って何だ、無理って。身元も隠して雪の降るような寒い夜に生まれたばかりの子供を放置していくとかちょっと理解できない。

 そんな出生なものだから、長いこと大人とか親とかそういう生き物に信頼が置けなかった。そして、僕をそういう境遇に落とした、『ポケモン』というものを遠ざけていた。
 僕以外も大体はそんなもんだ。同じ施設にいた子はみんな大体似通った経験をしているから。

 『ポケモントレーナー』という文化が広がり、旅をする人が増え、そして何らかの「過ち」を犯して、僕たちみたいな子供が産まれる。
 トレーナー人口は年々増加し、それに比例して僕たちのような「歪」は増えた。
 その事実は誰もが知っていたけれども、それが世間に与えた影響なんてほとんど無と同じだった。
 歪は集められ、隠されて、目を背けられる。俺たちは悪くないんだ、問題なんて何も起こっていないんだと、トレーナー中心の世界は白を切る。

 年に何回か、トレーナーの協会だか何だか、そんな感じの人たちが施設に来る。
 僕たちにポケモンと仲良くしてほしいから。トレーナー関係はこの世界でもはやメイン産業となっていて、僕たちを何とかそっちの方へ引き戻そうとしているからだ。
 その人たちは例外なくポケモンとトレーナーを連れてくる。大体は、ぬいぐるみのような小さくてかわいいポケモン。
 そして僕たちに向かって口々に言う。

「ポケモンは友達だよ」
「ポケモンは怖くないよ」
「みんなもポケモンと仲良くなろう」

 僕らに向けられた甘い言葉が、僕たちに届くことはほとんどなかった。
 当たり前だ。ポケモンと仲良くしろという人たちと、僕たちは住む世界がそもそも違うんだから。

 ある時、協会の人たちが連れてきたのは、何て言ったっけ、ピンク色で丸くて大きな目のポケモン。小さな女の子なんかが喜ぶと思ったのだろう。
 だけど、きっと彼らにとって一番のターゲットだったはずの、僕のふたつ下だったマイちゃんは、そのポケモンを見るなり大泣きした。
 協会の人が怖くないよ、かわいいよ、と言いながらそのポケモンを近づけてきたけど、マイちゃんは絶叫しながら逃げ回った。
 錯乱したマイちゃんは施設を飛び出して、目の前の道路で車にはねられた。幸い軽いけがで済んだのだけれど、マイちゃんはそれから何年も、丸いものを見るとその日を思いだして泣き叫ぶようになった。

「こんなに大人しくてかわいいのに」

 と、協会の人は不思議がっていた。
 協会の人は知らなかったのだろう。マイちゃんは三歳になった頃ここに連れてこられたのだけれど、一緒にいたいと泣き叫び縋りつくマイちゃんに一切目もくれず去って行った両親が、その腕に抱え慈しんでいたのがあの丸くてピンク色のポケモンだったってことは。

 ある程度成長してから捨てられた子の方が、心の傷は深くて大きかった。
 僕は産まれてすぐこの施設に来たから、マイちゃんみたいにポケモンに対する強烈なトラウマは残っていない。覚えていないから。協会の人が連れてくるポケモンを見て猛烈に気分が悪くなるとか、そういうことも幸いにしてなかった。
 それでも、ポケモンと仲良くしようと言われて、はいわかりました、と従うことは出来なかった。
 施設の子たちはみんな、僕みたいに強烈なトラウマがない子も含め、自分たちは特別だ、という思いを持っていた。もちろん悪い意味で。
 ほとんどの人は、ポケモンが嫌い・ポケモンが怖いという僕たちの感覚を理解できないらしい。この世界はポケモンに溢れていて、一緒にいるのが当たり前だから。戦後急速に拡大したポケモン文化はこの世界を覆い尽くし、そして僕たちみたいな歪は隔絶された。

 自分たちは、世の中が今の形を保つために棄てられた。この世界の人たちが、ポケモンと生きるために。

 もしこの世界に、ポケモンがいなければ。トレーナーという制度が存在しなければ。
 自分たちは「特別」な存在じゃなかったかもしれない。

 「特携」の子たちはみな例外なく、そう思っていた。





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