9−2:炎の夜を過ぎて学校でも、僕は浮いていた。 そもそも子供って言うのは、自分たちと違うものを仲間外れにしたがるものだ。親もいない、家もない、そしてポケモンが好きじゃない僕は、露骨ないじめを受けることはなかったんだけど、何となく「仲間じゃない」という認識を持たれているような感じで、他の人たちと一線置かれているような感覚を持っていた。 露骨ないじめがなかったのは多分当時の僕の故郷の環境のせいもあると思う。 僕の故郷やその周辺地域では、少なくとも僕が子供のころは、カントーやジョウトほど、トレーナーとして旅に出ることが一般的ではなかった。 特に僕の故郷は田舎だったせいもあって、特に年齢が高い人の中には保守的な人が多く、トレーナーなんて職に就けなかった人間がなるもの、無職と変わらないもの、恥ずかしいもの、という認識の人が少なからずいた。 僕が中学にはいる直前ぐらいに発売されたあるゲームの影響で、少しずつ若いトレーナーは増えているみたいだけど、それでも今なお、世界的にもトレーナー産業の活発なこの国の中では特異なほど、トレーナー総人口は多くない。 平穏で、静かで、刺激のない日々。何かを欲しがることもなく、大きな変化があるわけでもない。 それが僕の日常だった。――あの日までは。 それは僕が九歳、小学四年生の時のことだ。 九歳の、秋。色づいた田んぼの稲が重く頭を垂れる、九月の終わりのこと。 その夜、街は燃えていた。 実際に炎が上がっていたわけじゃない。でもそれと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、緋色の熱気に包まれていた。 後半戦を四位で折り返した緋色のチームは、夕凪の季節に怒涛の快進撃を見せ、一時期は一位との間に十五あったゲーム差を完全にひっくり返した。 そしてあの夜。夕凪の残渣が残る球場で、とうとう歓喜の瞬間は訪れた。 僕はそれを、特携のみんなと銭湯のテレビで観ていた。その時ばかりは誰も風呂に入らず、番頭も仕事を放棄し、大人たちも子供が遅い時間にいることを咎めることもなかった。 ツーアウト満塁から、ストッパーが打者へ最後の一球を投げる。 放たれたボールは投手の前で鋭く落ち、バットが空を切った。 その瞬間、テレビの中からも、外からも、割れんばかりの歓声があがった。 大人も子供も飛び上がり、抱き合い、胴上げまでして喜んでいる。 そんな中、僕はじっとテレビの画面を見つめていた。 嬉しくなかったわけじゃない。地元のチームが優勝したのだ。当然嬉しい。 ただそれ以上に、やみくもに喜びを爆発させる以上に、僕は胸の奥に灯った緋色の炎に身体全体がのまれていくような感覚を覚えていた。 画面の中で、緋色のユニフォームを纏った戦士達が、七色の紙テープに囲まれて宙を舞っている。 それを見る老若男女が、みんな泣きながら笑っている。 僕もいつか、あの中へ行きたい。 身を焦がす熱気の中で、僕は強く、そう思った。 炎の夜から数日後、僕は施設のリビングでくつろいでいた、施設長さんとその奥さんの所へ行った。 僕は深々と頭を下げ、言った。 「野球をやりたいです」 今まで特に何を欲しがるということもなかった僕の突然の申し出に、施設長さんは驚いた顔をした。 奥さんと顔を見合わせ、野球かあ、と少し困った顔で言った。 ユニフォーム、帽子、ヘルメット、グローブ、バット、スパイク、月々の会費、その他消耗品、エトセトラエトセトラ。野球は結構お金がかかる。 正直、施設にはお金がない。国からの補助金と寄付金で何とかやっているのが現状だ。 僕もそこは分かっていたので、施設長さんと奥さんの反応を見て、無茶言ってすみません、と頭を下げた。まあ、最初から駄目もとだったし。 部屋に戻って、ベッドに寝転がる。 じんわりと涙が浮かんできた。無理なことは分かっていたけれども、野球がやりたかった。テレビで見た緋色のヒーローたちみたいに、緑のグラウンドで、歓喜の輪に包まれてみたかった。 放課後のグラウンドでは、生徒がみんな思い思いの遊びをしている。大縄跳び。ブランコ。タイヤ跳び。一番広い面積を使って、数十人のグループがキックベースをやっている。 僕は教室の窓から、その様子をぼんやりと眺めていた。 突然、僕の額を指で突いてきた人がいた。僕は驚いて立ち上がった。椅子が大きな音を立てて床に倒れた。 僕の前に仁王立ちしていたのは、僕より頭ひとつ小さい男の子だった。その子は僕を見上げて言った。 「お前、野球やりたいんだってな」 僕がぽかんとしていると、その子は父さんから聞いた、と付け加えた。僕が勢いに気圧されながらうなずくと、その子はふうん、と僕をにらむように見つめてきたあと、僕に背を向けた。 「野球やりたいんだったら、ついて来いよ」 早足で歩く彼の後を、僕は慌ててランドセルを背負って追った。 |