9−3:「0」と「9」ダンバラのお父さんから支援を受けて、僕は地元のリトルリーグに入団できた。小学四年生の新年開けたばかりの頃だ。 監督は割と身体が大きめの僕を見て、ピッチャーとキャッチャーどっちがいい、と聞いていた。 ふ、とマジカープが優勝したときの光景を思い出し、ピッチャーがいいです、と僕は答えた。 与えられた背番号は0だった。曰く、空き番号がこれしかない、と。安全ピンで留める使いまわしのゼッケン番号を新しく作るのも面倒だから、というごく単純で適当な理由だった。 監督に挨拶をして、ダンバラにいろいろ説明を受けながらグラウンドへ向かっていると、僕より頭一つ小さいダンバラと同じか少し小さいくらいの男の子がこちらへ駆け寄ってきた。 「キリちゃん、その人は?」 「新入り。俺たちと同い年で、ピッチャー志望」 ピッチャー! とそいつは嬉しそうに飛び跳ねた。 ダンバラの方を見ると、うちのキャッチャーだよ、と言ってきた。 背番号9のそいつは、僕が思い描いていたがっちりどっしりとしたキャッチャー像とは違い、細くて、小さくて、なよなよしていた。 そいつは底抜けに明るい笑顔を僕に向けて、右手をこっちに差し出してきた。 「俺は 「……ショウリ。 「ショウリな! 今日から俺たち、バッテリーだ!」 差し出された手を握ると、カエデは僕にとびっきりの笑顔を向けた。 カエデは一年くらい前にこの町へ引っ越して来たらしい。 ここに来る前はジョウトのとある町に三年ほど住んでいて、その頃から野球はやっていたそうだ。 親は二人とも元トレーナーで、旅の途中で出会って結婚したらしい。今は旅トレーナーは引退して、全国でトレーナーを目指す子供への指導をしているそうだ。 それもあって、カエデは数年ごとにいろいろな地方の町を転々としているとか。 カエデの家には両親のポケモンがたくさんおり、カエデ自身もポケモンを持っているのだと言った。 前に住んでいた地方では十歳くらいで旅に出る子供も最近ではそんなに珍しくなく、そういう子は旅のレポートが学校の授業の単位がわりになるらしい。そうでなければ、夏冬春の長期休暇に旅に出る子が多かったとか。 カエデも旅に出るのか? と僕は聞いた。 『トレーナー』という言葉を聞く度、僕は心の奥がじくりと痛んだ。特携の他の子ほど「ポケモン」というものにトラウマはなかったけれど、「トレーナー」というものに恐怖感にも似た嫌悪感を持っていることを僕は改めて自覚した。 カエデは困ったように眉を寄せ、首をひねった。 「正直なところさ、悩んでるんだよな。トレーナーにはなりたいし、ここに来る前はそのつもりだったんだよ。でもさ……」 そこまで言うとぱっと顔を輝かせ、眼をキラキラさせて、弾んだ声で続けた。 「この前街の方に出ててさ、そこで見たんだよ、マジカープが優勝するの! その場にいた人たちがみんなものすごい喜んでてさ、すごかったんだ。あんなの初めてだよ」 「うん、僕も見てた。本当に……すごかったよな」 「すごかった。それでさ、俺、胴上げ見ながら思ったんだよね。ああ、俺もいつかこの中に入りたいな、って」 カエデは頬を染め、興奮した様子でまくし立てた。 「キャッチャーとして、抑えの投手と最初に抱き合ってさ、飛び込んできたピッチャーをしっかり持ち上げるんだよ。で、集まってきたみんなにもみくちゃにされるんだ。そのあと監督とピッチャーを胴上げするんだ。背番号と同じ回数上げてやる。五十回でも、百回でも」 遠くを見るような眼で楽しそうにそう語り、カエデは傍らに転がっていた軟球を拾い上げた。 「俺、ポケモンが好きだし、トレーナーにも憧れてる。でも、もっともっと野球が上手くなりたい。もっともっと上手くなって、プロに入って、球場の真ん中であの感動を味わってみたいんだ」 カエデは立ち上がり、軟球を放り投げた。ボールは土のグラウンドで何回か小さくバウンドして、少しだけ転がって止まった。 軟球の行方を見守ってから、ショウリは? とカエデが聞いてきた。 僕はカエデを見上げて、僕も同じだ、と言った。カエデは嬉しそうに笑った。 「それじゃあ、俺達、同じチームになれるといいな! 俺がキャッチャーで、お前はクローザー! それで、一緒に優勝するんだ!」 「そうなるとすごいな……。でもさ、ドラフト会議ってくじ引きだから、僕たちが願っても同じチームになれるとは限らないんじゃないかな?」 「うーん、ショウリって夢がないなー。でもそっか……うーん……。あ! そうだ!」 カエデが何かひらめいたように、また僕の隣に座って言った。 「もし俺達が二人ともプロになって、でも違うチームになったらさ、背番号を同じにしようぜ!」 「背番号を?」 「ああ! それで、ショウリが優勝したら、俺と同じ背番号が胴上げされるじゃん? 俺が優勝したら、ショウリと同じ背番号が胴上げの輪の真ん中にいるじゃん? そうしたらさ、ちょっとは一緒に優勝した気分にならない?」 「……それって結局優勝はしてないけど……まあ、何となく気持ちはわかる、かな」 「だよな! よっしゃ! じゃあ、約束!」 そう言って、カエデは僕に右手の小指を差し出してきた。僕がそれに自分の小指を絡めると、カエデは右手を激しく上下に振りながら、テンション高く言った。 「俺も、ショウリも、いつか絶対プロになる! それで、違うチームになったら、俺達は同じ背番号を背負うんだ!」 指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、という定型の歌を、カエデは調子を外しながら大きな声で歌った。僕もそれに合わせて歌った。 夕焼けの中に、二人分の声が溶けていった。 プロの選手になりたい、という大いなる野望を抱いていた僕とカエデだったが、二人揃ってリトルリーグに所属している間の実力はというと、正直なところ二人とも将来の夢がそれで本当に大丈夫かと不安になるような残念なものだった。 カエデはというと、絶望的に肩が弱かった。何せ、ホームから二塁まで送球が届いたためしがなかった。それどころか、一塁でさえ届くかどうか怪しかった。 二塁へ送るために立ち上がって投げたボールが、山なりに弧を描いてマウンドに立つ僕のすぐ後ろに落ち、そのままマウンドと二塁の間で力なく静止したときは、さすがに監督も頭を抱えていた。 僕は小学生にしては球速はそれなりに出る方だったと思うけれども、それはそれはひどいノーコンだった。 投げても投げても、ちっともストライクゾーンに入らない。まるであさっての方向へボールを放り投げたり、勢い余って自分の足元にボールを叩きつけたり、ワンバウンドどころかツーバウンドくらいで何とか捕手の足元まで転がることもしばしばだった。練習試合で、相手が一度もバットを振らずに五点ぐらい取られたこともあった。 そして何より、僕はメンタルが弱すぎた。 打たれたらどうしよう。点を取られたらどうしよう。僕のせいで負けたらどうしよう。 そんな考えが頭に浮かんでくると、どうしてもそれを振り払えず、ただでさえ駄目な制球がさらに駄目になり、四球や死球を連発して自滅するのが常だった。 本当に、僕たち二人には才能のようなものは欠落していたと思う。同じチームでサードをやっていたダンバラの方が、ピッチャーもキャッチャーもよっぽど上手くやれた。 ただ、そんな才能のない僕たちだったけれど、二人でバッテリーを組んだときは例外的なくらい安定していた。 僕が弱気になりそうになると、カエデはすぐに僕のところへ来て声をかけてくれた。 「大丈夫大丈夫、俺のところめがけて思いっきり放ればそれでいいから!」 大丈夫大丈夫。カエデはいつもそう言って、僕の胸を拳で軽く叩いてきた。 そうされると僕は不思議と落ち着いて、心を支配してくる弱気がどこかへ消え去っていった。 そういう時は僕はいつも、自分の実力以上の力が出せるような気がした。 僕とカエデは、最高のバッテリーだった。 カエデとバッテリーを組んで、一年と少しが過ぎた。 小学六年生になった春、新年度初めての練習にグラウンドへ行くと、そこにカエデの姿はなかった。 その日の最初のミーティングで、カエデは親の仕事の都合で遠くの地方へ引っ越したと、監督が教えてくれた。 |