9−4:失われた機会




 やがて時は過ぎ、僕は中学生になった。中学は隣町の、私立の中高一貫の学校を選んだ。
 理由は正直なところとても単純で、その学校は成績がよかったら特待生として、中学・高校共に授業料を免除してくれる上に、返済不要の奨学金もかなり出るからだった。
 僕は幸いにも勉強は出来る方だったので――これでも元々勉強は嫌いじゃなかったのだ――何とか努力して授業料全額免除と奨学金を勝ち取った。
 授業料免除が目当てだったのだけれど、この学校は最近では珍しくなったガチガチの進学校で、ポケモンに関する授業はほとんどなく、学校へのポケモンの持ち込みも、長期休暇中の旅も原則認めていなかった。
 それを狙っていたわけじゃないけれど、結果的に僕にとっては心を乱される要素の少ない環境だったかもしれないとは思う。

 部活は野球部に入った。部費やその他経費は新聞配達で補った。時々ダンバラの家の手伝いもしていた。
 ただ、ダンバラは僕とは別の、家から遠い寮制の学校へ進んでいたから、顔を合わせることはなかった。

 部費を稼ぐための新聞配達で下半身が鍛えられたせいか、制球力が飛躍的に伸びた。ついでに背も伸びた。
 それでも相変わらず、メンタル面は豆腐並だった。
 マウンドに立つと、いつも足が震えた。ピンチになるとすぐパニックに陥った。ただでさえ制球がよくなかったから、ほぼ毎回テンパっていた。
 そして失点して、自信を失い、次にマウンドに立つときは更に弱気になる。そんな悪循環に取り込まれていた。
 おまえ投手向いてないんじゃないか? とあらゆる人に何度も言われた。

 ある日、マウンドに上がった時、僕はいつも通り恐怖に震えていた。
 ふと、自分が無意識に手を胸に当てていることに気がついた。
 弱気になった時カエデがいつもそうしてくれたように、自分の胸を軽く叩き、大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせた。

 そうやって深呼吸をすると、身体の震えが止まり、耳の奥で小さく金属音のような耳鳴りがした。
 夕凪の時のように空気が静まっている感覚を覚えた。弱気が消え、集中力が研ぎ澄まされていた。
 その日の登板はこれまでになく安定していて、監督やチームメイトにどうしたのかと驚かれ、人が替わったんじゃないかと疑われるほどだった。

 それから毎回、マウンドに立つ時、その「儀式」をやるようになった。


 高校生になった。内部進学で一貫の高校に入った。特待生として更に三年分の授業料免除と奨学金も勝ち取った。

 部活はもちろん野球部に入った。僕はずっと楽しみにしているものがあった。
 それは夏休みに行われる、高校生の野球選手権大会、通称「コウシエン」だった。
 各地の予選を勝ち抜いてきた強豪校によって行われるその大会は、もはや夏の風物詩といっても過言ではなく、その舞台に立つことは僕たち高校球児共通の夢だった。


 ところが、高校に入っていくばくもしないうち、信じられないニュースが飛び込んできた。

「今年の夏のコウシエンは、中止。そして少なくとも今後数年、春夏共に大会は行われない」

 まさに青天の霹靂だった。高校での目標が、一瞬にして消えうせてしまった。
 理由は高校球児の、もとい「高校生」の減少だった。

 数年前発売されたとあるゲームの後押しもあり、トレーナーとして旅を始める若い世代がどんどん増えていた。
 特に元々トレーナー産業が盛んなカントーやジョウトでは、高校以上の教育を受ける人間が一気に減少し、五十年前は一学年十クラス以上あったのに、今では二クラス程度で収まってしまうくらいの人数しか集まらない学校なんかもあった。当然の如く高校の数自体も減った。

 そしてそれに伴い、野球部に入部する生徒が減った。
 高校生自体が減ったうえに、野球以外の――僕の母校には存在しなかったけれども――ポケモンバトル部みたいなポケモン絡みの部活に入部する子が増えたからだ。

 こうして高校球児は減少し、地域によっては予選に参加できる学校が片手で数えられる程度しかないところも出現しはじめたそうだ。
 大会の規模と、それにかかる費用や効果。それらが噛み合わなくなり、大会スポンサーが出資を渋るようになった。
 その結果、運営が困難となり、大会は始まる前に中止が決定してしまった。


 当然、僕たち高校球児は大会の開催を求めた。
 コウシエンは僕たちの夢舞台であり、予選も含めてプロの球団へ自分をアピールする最大の機会でもあった。
 しかし、僕たちの願い虚しく、大会が行われることはなかった。


 コウシエンが少しルールを変えて再開するのは、僕が高校を卒業した次の年のことだった。





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