9−5:再会の90




 僕は大学へ進学した。高卒でのプロ入りは諦めた。あまりにも実力が足りなさすぎた。
 特携を出て、大学の寮に入った。大学では地理学を専攻した。奨学金を取って、学費は一部免除をもらい、バイトをして補った。
 忙しかったが、もちろん野球部には入った。夢のためにそこは譲れなかった。譲るわけには行かなかった。

 才能のない僕も幼少期から必死で努力を積み重ねてきた。
 そして大学三年の秋、とうとうエースピッチャーの座を掴んだ。
 大学野球の大会の地区予選で、僕の大学の野球部を創部初の本選出場へ導いた。……まあ、本選は一回戦敗退だったけど。
 でも、何も得られなかったわけじゃなかった。いや、僕は何より大事な「再会」をした。



 本選はカントーのタマムシ神宮球場で行われたが、練習やその他で、周辺の大学のグラウンドを借りていた。
 冬も近づいてきた晩秋の午後。
 借りていたグラウンドを整備し、荷物を抱えて広い大学校内を抜け、チームメイトと共に駐車場で帰りのバスが来るのを待っているところだった。

「……ショウリ? お前、もしかしてショウリか?」

 突然名前を呼ばれ、僕は驚いた。
 声のした方を見るとそこには、細くて、小さくて、なよなよした、この学校のものではないウィンドブレーカーを着た男が立っていた。

「か……カエデ?」

 十年ぶりの再会だった。大人になったカエデは、昔と変わらない輝くような笑顔をその顔に浮かべていた。
 チームメイトの一人が、カエデを見て、驚いたような声を上げた。

「えっ……オオタカエデ!? ポ球の!?」

 本当だ、オオタだ、とあっという間にカエデの周りには人だかりができた。
 サインの要求に笑顔で答ながら、カエデは少し申し訳なさそうな顔で僕に言った。

「ごめんな……俺、プロ野球選手にはなれなかったんだ」


 サインや写真撮影のリクエストにあらかた答えてから、カエデはちょっと話でもしようと誘ってきた。僕はチームメイトと別行動をとらせてもらって、カエデに着いていった。
 ゆっくり歩きながら、カエデはこれまでのいきさつを話した。

 引っ越していった後、次の町でもカエデは相変わらず野球のキャッチャーをやっていたけれども、結局どれだけ努力しても、肩の弱さは克服できなかった。
 中学に入ってからは他の捕手志望もたくさん現れ、カエデは試合で控え捕手にすらなれない日々が続いていた。

 そんな時、カエデが出会ったのはポケモン野球、通称ポ球だ。
 ちょうど僕たちが中学に進学した年にイッシュから流入してきたその競技は、トレーナーのようにポケモンを扱え、更に野球も出来るという、カエデにとってはまさに夢のようなスポーツだった。
 カエデは中学二年生で学校の野球部を辞め、町にできたばかりのポ球のジュニアチームに加入した。
 そこでカエデは「指令捕手コマンドキャッチャー」として天性とも言える才能を見せた。自分の身体能力では野球選手として大成できそうにもなかったが、配球を読み、ポケモンに的確な指示を出す力は天才的だった。
 高校では新設のポ球部を第一回大会から全国へ導き、第一回から三回まで全ての大会でベストエイトに入った。
 それがポ球のプロリーグの目に留まり、高校卒業すぐにドラフト一位でプロポ球選手となった。今はもうプロに入って三年経つ。

「ごめんな。お前には真っ先に報告したかったんだけど、お前の気持ち考えると……どうしても言えなくて」

 人間のポ球選手は、野球選手よりポケモントレーナーに近い。だから『トレーナー』というものに複雑な感情を抱いている僕に、報告するのがどうしてもためらわれたのだという。
 本当にごめんな、と言うカエデの頭を、僕は軽く小突いた。

「馬鹿だな。早く言ってくれよ。トレーナーがどうこうより、どういう形であれお前がプロになったってことの方がよっぽど嬉しいに決まってるじゃないか」

 進む道の先は少し変わったけど、それは僕にとってはあまり関わりたいと思う世界ではないかもしれないけど、それでも大事な幼なじみが、ユニフォームを着てプロのグラウンドに立っている。その事実は僕にとって嬉しい以外の何物でもなかった。
 もっと早く言ってくれれば、とは思ったけれども、それは無意識のうちにポケモンやポ球に関する情報をシャットアウトしていた僕の責任でもあるから何とも言えない。
 カエデは照れたように笑って、もう一回ごめんな、と言ってきた。


 目的地は僕たちが使わせてもらっていたグラウンドだった。この大学の学生と思われる選手と、ポケモンが何匹か、グラウンドでアップしていた。
 カエデは今日、この大学のポ球部に指導に来たらしい。何せポ球はこの国にはまだまだ来たばかりのスポーツなので、プレー人口を増やそうとポ球の協会が率先して大学や高校にプロ選手を派遣しているらしい。野球ではプロアマ規定がどうたらとかでプロの指導を受けるのは難しいのだが、ポ球はその辺は割と緩いようだ。
 カエデがグラウンドに現れると、グラウンドにいた選手たちが即座に整列してカエデを出迎えた。カエデは短い挨拶をして、早速始めようか、と笑って言った。
 ショウリも嫌じゃなかったら見学していきなよ、と言われたので、少しだけ見てみることにした。

 ベンチでウィンドブレーカーを脱いだカエデの背中には、『OHTA 90』という文字が躍っていた。

「背番号……90?」
「そう。プロ入りしたときに提示された背番号の中に90があったんだ。ほら、リトルリーグでさ、俺の背番号が9で、ショウリが0だっただろ? 両方をくっつけて90。だからさ、あ、俺がつけるべき背番号はこれだ、って思って」

 いい番号だろ? とカエデは笑って言った。
 自分のことまで考えてくれたことを嬉しく思いながらも、僕はカエデの背中を軽く叩いて言った。

「こんな大きな番号じゃ、回数分胴上げできないじゃないか」
「あ、そりゃそうだ。09にしときゃよかったな」

 何だそれ、と僕は笑った。






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