9−6:走り抜けた日々




 大学四年の時、ドラフト会議でまさかの一位指名をもらった。
 僕を指名した球団は、僕が幼い頃から憧れつづけてきた、僕の故郷の緋色の球団。単独指名だった。
 球団と相思相愛であることがわかって、しかも自分が思っていたよりずっとずっといい順位で指名してもらって、嬉しさと驚きとが半分半分だった。

 特携の施設長さんや、後輩や、かつて同じ家で過ごしたみんなから、数えきれないほどのお祝いの言葉をもらった。
 大学時代思ったような成績が出せなかったというダンバラは、社会人野球に進むという。すぐに行くからそっちで待ってろ、というメッセージを送ってきた。
 カエデは誰よりも喜んでくれた。これでやっと二人とも夢のスタートラインに立てたと、僕よりもぼろぼろ泣いていた。


 球団と契約を結ぶ日、いくつかの背番号を提示された。
 球団としてはぜひこれを与えたいんだけど、と薦められたのは、かつて抑えの大投手が着けていた、あの日見た胴上げ投手が着けていた番号もあった。

 でも、僕は実はそれどころじゃなかった。
 球団の提示した空き番号に、あの数字があったからだ。

 僕がその番号がいいと言うと、球団の人は驚いて、こんな大きな番号、普通はコーチや控え選手が着けるものだと言ってきた。
 それでもその番号がいいと言うと、球団は仕方がないなといった様子でその背番号を僕に譲ってくれた。

 こうして僕は「背番号90」となった。


 プロ入りしてすぐ、抑えクローザーを打診された。その当時球団に絶対的な抑えがいなかったことと、僕の持ち玉が直球ストレートとフォークしかなく決め球に欠けること、そして僕のメンタルが長続きしないのを見抜かれたせいだ。
 一応先発でも何回か登板したけど、やっぱり長いイニングは厳しいだろうと判断され、すぐに中継ぎセットアッパーに転向となり、そしてシーズン後半からは抑えに抜擢された。
 相変わらず小心者の僕に、重大な責任のかかる抑えが向いているとは言いがたかったけど、そんな僕に任せてくれた監督やコーチの信頼を裏切るわけにはいかなかった。
 下位に低迷していたチームの台所事情もあっただろうけれども、抑えは後続リリーフの中で一番の選手が投げる場所。そこを任されたからには、何が何でも期待に応えるしかない。
 ルーキーイヤーからとにかく必死で投げた。弱気を気合いで振り払い、最終回のマウンドで白球を投げ続けた。

 気がついたら初年度が終わっていて、僕は「守護神」と呼ばれるようになっていた。
 たまにセーブも失敗したし、ランナーは出しまくるし、むらっ気があって安定感に欠けるし、タイトルはとれなかったし、チームも下位に沈んでいたけれども、それでもファンは僕を必要だ、チームに来てくれてありがとうと言ってくれた。
 野次や中傷もたくさん聞こえたけど、それを気にする余裕もないほど、必死だったし、夢中だった。夢舞台に自分が立っている現実を、飲み込むのに必死だったのかもしれない。とにかく、必死だった。

 その年のオフ、社会人野球に入っていたダンバラが、チームに加入してきた。
 お前の後輩なんて気持ち悪いな、などと軽口を叩いてきたが、プロの、しかも同じチームに入れたことはお互いにとってこの上ない喜びだった。

 変わらずポ球で活躍していたカエデは、お前たちだけ同じチームなんてずるいぞ、俺も入れろよ、などと言ってきた。
 そっちで優勝したらこっちに来いよ、球拾いでな、などとダンバラが言い、三人で笑い合った。


 オフにもうひとつの再会があった。
 久しぶりに地元に戻って、昔とてもお世話になったダンバラのお父さんのところへ行った時のことだ。
 相変わらずポケモンがたくさんいるその建物に、僕もとてもよく知っている顔があった。
 僕と同じ特携で、僕の二つ下だった、ポケモンがとても苦手だった、ポケモンを見てパニックを起こしていた、マイちゃんだ。

 マイちゃんは今、大学に行きながらダンバラのお父さんのやっている施設で働いているのだと言った。

「ポケモンには、まだ苦手意識はあるの。でも、だから余計にかな。トレーナーの人には、自分のポケモンも、子供も、大事にしてもらいたいなって。そのために、私からちょっとずつ歩み寄ってみようかな、って」

 小さな頃ポケモンを怖がってパニックを起こしていたマイちゃんが、まだ少しぎこちない様子ではあったけど、捨てられたポケモンを撫でてあやしている姿は、僕にとっては何だか不思議で、でもなぜか少しだけ嬉しかった。



 そして、僕にとって二回目のシーズンが幕を開けた。
 ダンバラは開幕から三塁サードのレギュラーに定着した。僕より後のプロ入りだったけど、元々僕より断然センスがある。早々に攻守で活躍し、あっという間に人気者になった。
 僕はというと、二年目のジンクスとかいうのに怯えながら、それを振り払うように必死で投げた。抑えとして、チームの最後の砦として、歯を食いしばって投げ続けた。


 前半戦が終わりに差し掛かったある夜、ヤマブキドームでのビジターの試合が終わった後のことだ。
 ホテルでようやく一息ついていると、携帯電話が振動した。
 画面を見るとカエデだった。シーズン中に電話をかけてくるのは珍しかったので、少し驚いた。
 電話に出ると、カエデはいつも通りの明るい元気な声で話しかけてきた。

「よー、おつかれ! 今日ヤマブキドーム行ったぜ! やったなショウリ! ナイスセーブ!」
「何だ、来てたのか。試合前に言ってくれればよかったのに」
「悪い悪い。急に思い立ったから。近所の子と一緒にビジター席行ってたんだ」

 近所の子? と聞き返すと、カエデの家のはす向かいに家を構えている、トレーナー夫婦の子供らしい。
 めっちゃかわいいんだぜトウカちゃん、とまるで姪っ子でも紹介するような浮かれた声でカエデが言う。
 そうかいそうかい、と半ば聞き流すように聞いていると、カエデは少しの間黙って、落ち着いたトーンの、しかし優しさのこもった声で言った。

「あの子、お前に何か似てるからさ。両親トレーナーで、おうちにひとりぼっちさ」

 少し沈黙して、そうか、と小さく答えた。ほんのり沈んだ空気を吹き飛ばすように、電話の向こうでカエデが笑った。

「まあお前と違って、あの子はポケモン大好きでトレーナー志望みたいだけど!」
「……楽しんでもらえたか?」
「かなり気に入ってたと思うぜ! ま、あの子はお前じゃなくってキリちゃんに一目惚れしちまったみたいだけど」

 何だそれ、と笑うと、カエデも電話の向こうで大声で笑った。

「やー、俺が引っ越す前にトウカちゃんに野球を教えられて良かったなー。トウカちゃんだったら絶対野球好きになってくれると思ってたんだよなー」
「……なあ」
「ん?」
「何で、『ポ球』じゃなくて『野球』なんだ? お前……ポ球の選手なのに」

 僕がそう聞くと、カエデはしばらく悩んでいるようなうなり声を上げて、俺は専門家じゃないから確証は持てないんだけど、と前置きしてからしゃべり始めた。

「トウカちゃんはさ、人を見る子なんだよね。バトルを観戦する時も、ポケモン以上にトレーナーを見てる。

 ……無意識に、親を、追いかけてると思うんだ。トウカちゃんの両親はさ、それなりに実力のあるトレーナーなんだよ。テレビにも時々出てる。
 トウカちゃんは小さい頃から……いや、今も充分小さいんだけど。もっと小さい頃から、親のバトルを見るのが大好きでさ。テレビに映る親の姿を、いつも必死に見てたんだ。録画もして何度もな。
 ……寂しかったんだと思う。家ではいつもひとりぼっち。一番身近な親って存在は、テレビに映ってるトレーナー。

 そうやってるうちに、バトルを観る時トレーナーの方を観る癖がついちゃったんだろうな。
 トウカちゃんはトレーナーになりたいって言ってるんだけど、それはあんまりよくない。トレーナーとしてはポケモンを見ないといけないし。トウカちゃんにとっても、ポケモンにとっても、他の人たちにとっても良くないと思った。

 ……少しポケモンから離れられる時間があった方がいいと思ったんだ。今のままだと、ポケモンも、人間も、全部嫌いになっちゃいそうだと思ったんだよね。
 だから野球にした。トウカちゃんは人を見る子だから、野球に没頭できる子だと思ったんだ」

 少なくないんだよ、こういう子たちって、とカエデは言った。僕が神妙に聞き入っていると、まあそういうわけで、と急に明るい声になった。

「何だ、これからの人生のちょっとした息抜きになればと思ったんだけど……思った以上にトウカちゃんが野球にはまってさ。さすがに俺も予想外。ありゃ熱狂的ファンになる素質があるぜ、間違いなく」
「お、おう、そうか」

 そう言ってからからと笑い、あ、そうだ、とカエデが思い出したように付け加えた。

「俺、結婚するわ」
「は?」
「ほら、もうすぐ前半戦終わってオールスターじゃん? 俺今年出ないし、その間に婚姻届出そうかと思って。あと引っ越しする。今の家、単身用だから狭くってさ。で、シーズン終わったら式あげるんだ」
「お、おお、そうか。何というか、それついでに言うことじゃないだろ。おめでとう」
「さんきゅー。式にはお前もキリちゃんも呼ぶから絶対来いよな! 良い席用意すっから。来賓の」

 やめろよそれ絶対お前のチームのお偉いさん方に囲まれるところだろ、と僕が言うと、カエデはまた愉快そうに笑った。
 それじゃ、お互い優勝目指して頑張ろうぜ、とカエデが言い、会話は終わった。





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